84食目 前とは違う
若葉の足元から放たれたボールは、一直線に中央を切り裂いた。
速く、鋭いパス。
春先、誠和との試合で常盤台の流れを止めたあの速度よりも早い。加えて、芯を食った分だけわずかに鋭い。
観客席の空気が、一瞬だけ張る。
だが蓮の右足は、その勢いを正面から受け止めるのではなく、ほんの僅かに面をずらした。足の甲に触れたボールの回転が、そのまま吸い込まれるように殺される。
足元に収まった。
止まるまでに、ほとんど時間はない。
次の瞬間には、右サイドへ鋭い展開が走る。
ボールを受けた右ウイングが一気に縦へ運び、誠和の最終ラインを押し下げる。
その一連を追いながら、志岐の目がわずかに細くなった。
(……攻めたパスだな)
あの一年のパスの精度が高いことは、事前のスカウティングで知っている。
だが、それでもあのパススピードは今まで出してない。そんなパスを中央であそこまで自然に収め、そのまま次へ繋げるとなると話は別だ。
それでもまだ、志岐の中には余裕が残っていた。
今の一回。
まだ偶然の可能性はある。
誠和はすぐにラインを整え直し、中央の圧力を再び強めた。
ボランチへの縦パスコースを切り、蓮へ入る角度を狭める。
だが常盤台の循環は止まらない。
最終ラインから若葉へ。
若葉は受ける前に一度だけ首を振り、中央の位置を確認する。
見ている先は同じだった。
もう一度、蓮。
今度も速い。
先ほどとほとんど同じ威力。志岐とコンビを組むボランチがギリギリ触れないスピード。
一直線に走るボールに、スタンドの視線がまた中央へ集まる。
志岐も半歩寄せながら、蓮のトラップを見た。
今度は左足だった。
体を半身に開き、左足の内側で回転を吸収する。
勢いを完全に殺したボールが、次の動作へと滑らかに繋がる。
そのままワンタッチで前方へ。
桐生の足元へ鋭く差し込まれた。
桐生が背負った状態で受け、落とし、切り込んできたサイドが拾って再び前進する。
誠和の守備陣が素早く戻り、シュートまでは持ち込ませない。
だが、志岐の胸に小さな違和感が残った。
(……まぐれじゃない?)
一回目は右。
二回目は左。
しかも、ほぼ同じ精度。
前回の蓮なら、あの速度のボールを受けた時点でわずかなズレが生じていた。
だから前回、この化け物からボールを奪えた。
だが今は違う。
あの威力を受けることは、もう当たり前になっている。
志岐は息を整え、視線を蓮へ固定した。
(なら次は、触らせる前に潰す)
その、次の局面はすぐにきた。
若葉が中央でボールを受ける。
志岐はあえて若葉ではなく、その先の蓮へ意識を置く。
来る。
そう確信した瞬間、若葉の足が振り抜かれた。
蓮への楔。
同時に志岐が前へ出る。
今度は受ける瞬間を狩る。
今までと違い、完全にボール奪取へ行く圧だった。
それを横目に捉えた蓮が、ボールを受けるより一瞬早く、肩を合わせにいく。
強い接触。
だが、その力が空を切った。
蓮はボールを受ける直前に重心を半歩だけずらしていた。
当たりを正面で受けない。
志岐の力を斜めに流し、自身の軸を崩さない。
接触の瞬間、体がぶれない。
むしろ、その力を利用するように体が前を向く。
志岐の目が見開かれる。
「……っ!」
その時にはもう遅い。
蓮は完全に前を向いていた。
誠和の最終ラインが一瞬だけ止まる。
その静止が生んだ、守備の隙間。
そこに向って桐生が裏へ抜ける。
蓮の左足が振り抜かれた。
鋭く、しかし正確なスルーパス。
ディフェンスラインとGKの間を切り裂く一本。
桐生が走り込み、そのまま右足を振る。
スタジアムの空気が爆発する。
常盤台応援席から歓声が一気に立ち上がった。
桐生が拳を握り、蓮へ向けて腕を上げる。
蓮は表情をほとんど変えないまま、小さく頷くだけだった。
その静かな反応が、逆に誠和へ現実を突きつける。
――前回と同じ形では、もう止められない。
前半終了の笛が鳴った時、スコアは一対〇だった。
誠和のロッカールームには重い空気が漂っていた。
決して、好き勝手やられたわけではない。こちらの守備も、完全に崩れていない。
それでも、あの怪物は存在感を放っている。
志岐がタオルで汗を拭いながら口を開く。
「もう、あのパススピードには慣れたっす」
視線が集まる。
「次は奪います」
その言葉に、監督の視線が鋭く志岐へ向く。
「志岐、忘れるな」
ロッカールームの空気が締まる。
「あいつは個で止められる次元にいない」
その一言で、前半の一対一の感触が志岐の脳裏に蘇る。
受けた瞬間を狩りに行ったはずの接触。
それをいなし、体勢を崩さず前を向いた蓮の姿。
監督はホワイトボードの中央を指先で叩いた。
「あくまで我々は、組織で潰す」
短く、だが絶対に揺るがない方針だった。
「前回と同じだ。受ける前を消せ。中央を閉じろ。天根一人を見るな。常盤台全体を止める」
志岐は一度だけ息を吐き、静かに頷く。
「……了解っす」
一方、常盤台のロッカールーム。
熱気の中でも空気は落ち着いていた。
蓮はボトルを口に運び、一度だけ若葉を見る。
「若葉」
「なんすか?」
「もっとパススピード上げられるか?」
若葉が目を瞬かせる。
「……どのくらいっすか?」
「シュート性でいい」
一瞬、部屋の空気が止まった。
若葉が思わず聞き返す。
「上げれますけど、いいんすか? さすがにちょっとズレますし、威力上がったらその分トラップが――」
「問題ない」
蓮はその言葉を途中で切った。
短く、はっきりと。
視線は真っ直ぐ前を向いている。
「あいつらにはもう、何もさせない」
その一言が、ロッカールームの空気をさらに熱くした。
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