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85食目 根を張る

 後半開始の笛が鳴る。


 誠和の空気は、前半終了時よりもさらに鋭く研ぎ澄まされていた。

 ロッカールームで共有された修正は、全員の中に明確に落ちている。


 中央を締める。

 天根蓮を前へ向かせない。

 個ではなく、組織で潰す。


 開始直後から、その意図ははっきりと表れていた。

 常盤台は後方からいつも通りにボールを回す。


 最終ラインから若葉へ。

 中央で受けた若葉の視線の先には、すでに蓮がいる。


 前半と同じ角度。

 同じ距離。

 同じ速度。


 若葉の右足から鋭い楔が走った。


 一直線。


 だが今度は違った。

 誠和のボランチが完全に読み切っていた。


「触った!」


 志岐の横で、一歩前へ出た相方がつま先を伸ばす。

 ボールの軌道がわずかに変わった。


 ほんの少し。

 だが中央へ向かっていたはずの一本が、蓮の足元を外れ、やや右へ膨らむ。


 若葉の目が見開かれる。


(……触られた)


 その一瞬のズレを、誠和は逃さなかった。


「行け!」


 志岐の声と同時に、誠和の中盤が一気に前へ出る。

 蓮へ入るはずだったボールが中途半端な位置へ転がったことで、中央に小さな空白が生まれる。


 そこへ志岐が飛び込む。

 若葉もすぐに切り替えて戻るが、一歩遅い。


 志岐が先に触った。

 状況が、反転する。


 後半開始直後、誠和が初めて中央で蓮への供給を断ち切った。


 スタンドがどよめく。

 そのまま誠和は一気に縦へ運ぶ。


 中盤を抜けたボールが右サイドへ流れ、ウイングがスピードを上げる。

 常盤台の最終ラインが慌ただしくスライドする。


「戻れ!」


 桐生の声が飛ぶ。


 サイドから低いクロス。

 中央へ走り込んだFWが足を伸ばす。


 危ない。


 誰もがそう思った瞬間、常盤台のCBが身体を投げ出した。


 ギリギリでブロック。

 ボールはゴール前にこぼれる。


 再び誠和の選手が詰める。

 そこへ、若葉が全力で戻ってきた。


 スライディングをして、つま先で外へ弾き出す。


 スタジアムの空気が一気に熱を帯びた。

 誠和応援席から歓声が上がる。


 蓮は一度だけ息を吐き、若葉を見る。


 若葉もまた、わずかに肩で息をしていた。

 今の一連で、誠和の修正が本物だと理解した。


 触られる。

 奪われる。

 そこから一気に刺してくる。


 前半とは明らかに違う。


 だが、その瞬間だった。

 若葉の胸の奥で、ハーフタイムの言葉が蘇る。


 ――もっとパススピード上げられるか?


 あの時、なぜそこまで要求したのか。

 今、ようやく理解した。


(……これのことっすか)


 触られることすら、織り込み済み。

 なら次は。


 若葉の視線が、真っ直ぐ蓮へ向く。


 誠和のコーナーキックは、うまく合わせたもののゴールのわずか上を通過していった。


 ゴールキックからの再開後、中央で再びボールを受けた若葉は、一切の躊躇なく足を振り抜いた。

 若葉はパスの瞬間、ロッカールームで蓮から伝えられた言葉を反芻した。


 ーーもっと速く


 今までよりも強く踏み込み、精度よりも速度に意識して右足を振り切った。

 ボールは、蓮の右側に大きく逸れる。


「すんません!ズレた!」


 ここまで完璧だった、若葉と蓮のホットラインに亀裂が生じる。

 誰もが、後半は誠和が流れを掴んだと思った。


 だが―――


「ナイスパス」


 それだけ放った蓮が、ボールの通過点へと足を伸ばす。

 蓮の体勢、ボールの勢いからトラップのズレを予測して、志岐が寄せる。


 ーーフワッ


 そんな音が聞こえた気がした。


 シュート性で、蓮から大きくズレたボールが、蓮の足元にある。


「「……は?」」


 志岐の中で、競技者としての常識が崩れ去る音がした。

 奪ったはずなのに、普通、あんなボールを完璧に収めれるわけがないのに。


 同時に、同じ言葉が若葉の口からも漏れた。


 明らかにずれていた、さっき自分が謝ったはずの一本。

 どう見てもパスミスだった。


 それを、当然のように収めている。


 誠和の守備陣は、誰もが一度前へ出ていた。

 さっきの奪取成功の感覚が残っている。


 今回も奪った。

 そう確信して前進していた。


 その一歩が、致命傷になる。


 蓮は収めた瞬間には、もう前を向いていた。


 誠和のラインの隙間。

 前へ出た分だけ生まれた背後。


 そこへ、左足が振り抜かれる。


 差し込まれた一本は、鋭くゴール前を裂いた。

 蓮が収めた時には既に、桐生が裏への動き出しを始めていた。


 完全に抜け出し、GKと一対一。


 迷いなく右足を振り、冷静に流し込む。

 ネットが揺れた。


 一拍遅れて、スタンドが爆発する。


 歓声。

 どよめき。

 熱狂。


 だがそれは、ただの盛り上がりではなかった。

 どこか畏怖を含んだ空気。


「……なんだ、今の」

「もはやシュートだろ……?」

「あれを収めるのか……?」


 観客席に広がるのは、驚きよりも理解の追いつかなさだった。

 常盤台応援席の歓声の中に、誠和側の沈黙が混じる。


 その温度差が、ピッチ上の現実をより際立たせていた。


 二対〇。


 まだ時間はある。

 だが、誠和の空気は明らかに変わっていた。


 戦術が崩れたのではない。

 その戦術ごと踏み越えられた。


 その事実が重い。


 会場の空気感の中、スタンドの一角で椿は静かにその光景を見ていた。

 周囲がどよめく中でも、彼女だけは表情が変わらない。


 その顔には驚きがない。なぜならーー


 彼女は見てきた。

 冬休みからここまで、蓮が積み上げてきたものを。


 股関節の可動域。

 体幹。

 接触下での再現性。

 ズレても戻せる身体。


 あの時、父と共に作り上げてきたものが、今ピッチの上で形になっている。


 だから驚かない。


 彼女は知っている。

 これは突然の奇跡じゃないことを。


 積み上げた結果だ。

 椿の視線は、ただ真っ直ぐ蓮を捉えていた。

ここまでお読みいただきありがとうございます!


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