81食目 見守られて
放課後のグラウンドには、日が傾き始めた春の光が斜めに差し込んでいた。練習を終えたAチームの選手たちは、それぞれクールダウンや片付けに移っている。
若葉もボールを抱えながら、ようやくこの空気に少しずつ慣れてきた実感を持っていた。
Aチームに上がって数日。
テンポの速さにも、要求される判断速度にも、まだ追いつききれてはいない。
それでも、蓮のプレーを間近で見られるこの環境は、若葉にとって何より刺激的だった。
「天根センパイ、さっきのあれ、どうやって見えてたんすか?」
ボールをラックへ戻しながら若葉が問いかける。
蓮はタオルで首元の汗を拭きながら、当然のように答えた。
「相手の重心が右に寄ってた。左のハーフスペースが空くのは見えてただろ」
「いや、だろって言われても。それが分かんないんすよ……」
若葉が肩を落としたところで、グラウンド脇から聞き慣れた声が届いた。
「蓮くん」
振り向くと、フェンス越しに椿が立っていた。手には紙の挟まれたバインダーを持っている。
若葉の目が自然とそちらへ向く。
(え、蓮くん??誰だろ、あんなマネージャーいたっけな)
そんな若葉を尻目に、蓮はフェンスの前まで歩み寄る。
「今日は運動量がいつもより多かったから、帰ったら糖質少し増やすわ。練習終わったら帰る前にこれ、先に食べておいて」
バッグから取り出されたのは、補食用に整えられたおにぎりとドリンクだった。
「……分かった」
蓮はそれを当然のように受け取る。
「あと、水分足りてないわね」
椿はそう言いながら、蓮のボトルを見て眉を寄せた。
「さっきのミニゲームで思ったより汗かいてるわよ。もっとしっかり水分取らなきゃ」
「ああ。ありがとう、椿」
やり取りに一切の淀みがない。
若葉はその様子を見て、思わず瞬きを止めた。
距離感が近い。
近いというより、自然すぎる。
「天根センパイ、この人は…?」
「うん?ああ、彼女は橘さん。スポーツ栄養科の2年生で俺の食事管理してもらってる」
「橘椿よ。いつも蓮くんがお世話になってるわね」
その挨拶に、蓮は抗議の目を向ける。
「……なによ」
「別に。母さんみたいな挨拶だなって」
「いや、えっと……」
2人のやり取りを聞いていた若葉が、助けを求めるように周囲に視線を移した。
若葉の横でタオルを肩にかけながら見ていた桐生は、特に何も言わない。
他のAチームのメンバーたちも、どこか慣れた様子でそれを眺めている。
若葉は視線を再び蓮と椿へ、そしてまた周囲へと順に巡らせた。
「……え、え?どしたんすか、皆さん?
なんで誰もこれに反応してないんすか??」
誰も何も言わない。
だが、なぜか周囲の空気が妙に静かだった。
数人の先輩たちが、若葉の方をちらりと見ている。
その視線に、若葉の中で何かが一気に繋がった。
「なんで皆さんそんな顔……」
一拍の静寂。
「……あ!そういうことっすね!」
その瞬間、周囲の空気が固まる。
(((こいつまさか……)))
Aチームの数人の内心が、まるで同時に聞こえたような気がした。
若葉の目が見開かれる。
「この2人、付k――ムグッ!」
言い切る前に、後ろから伸びた腕が若葉の口を塞いだ。
「柏原ァ!!」
桐生だった。
そのまま若葉の首元を抱え込むようにして、半ば強引に引きずる。
「お前、何つー爆弾投下しようとしてんの!?」
「ムーっ!ムーっ!」
若葉は必死に抗議しようとするが、言葉にならない。
そのまま桐生に引きずられていった。
その場に残された二人の反応は見事に対照的だった。
椿は完全に固まっていた。
頬がみるみるうちに赤く染まり、視線が泳ぐ。
「な、何を言い出すのよあの子は……!」
声にいつもの理性が乗り切っていない。
明らかに動揺している。
対して蓮は、補食の袋を持ったまま首を傾げた。
「……?あいつ、何か変なことでも言おうとしてたのか?」
本気で意味が分かっていない顔で、椿に尋ねた。
その一言で、椿の顔がさらに赤くなる。
「そ、それを私に聞かないでちょうだい!」
思わず語気が強くなる。
蓮はなおも分からないまま椿を見る。
「……?」
ついに椿は、言葉を失った。
その反応を見たAチームの数人が、あからさまに視線を逸らす。
(((こいつ、ほんっと……)))
一方、若葉を回収した桐生は、少し離れた位置で深くため息を吐いた。
「お前な……」
若葉の口から手を離す。
「え!何がダメなんすか!」
「まだなんだよ!」
「え!?嘘でしょ!どう見てもっすよね!?」
「たとえそう思ったとしても言うな!」
「なんでっすか!?」
「なんでもだ!あの2人にはあの2人のペースがあんだよ!」
そのやり取りに、周囲から小さく笑いが漏れる。
若葉はなおも納得いっていない顔で、再び蓮と椿の方を見る。
椿はまだ視線を逸らしたまま。
蓮はなおも理解していない。
その対比が、かえっておかしかった。
夕方の光がグラウンドを柔らかく染める中、若葉は心の中で強く確信していた。
(ああ、天根センパイだけなんすね。気づいてないの)
そして、その確信はおそらく、自分だけのものではなかった。
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