77食目 新たな軌道
新入生が入部して4日が経過した。人の数が増えた放課後のグラウンドには、春先特有の乾いた風が流れている。
メインピッチではAチームのメニューが既に始まっており、ボールの打音とスパイクの擦れる音が一定のリズムで重なる。蓮は輪の中でボールを受け、足元で収めた時点で次の展開を決めたまま、無駄な保持を挟まずに次へ流していく。
受ける位置、出す角度、間の詰め方。そのどれもが揃っている。ボールは止まらず、意図を共有したまま輪の中を循環していた。
その流れの最中、視界の端に別の軌道が入る。
隣のピッチで行われているCチームの基礎メニューだった。短い距離でのパス交換。まだテンポは揃っておらず、受ける位置もばらついている。その中で、一つだけ無駄なブレのないボールが混ざる。
強さが一定だった。
距離に対して伸びすぎず、弱すぎない。受け手が取りに行く必要もなく、その場で次の動作に移れる位置へ収まる。
蓮は、今度こそはっきりと視線を向ける。
出したのは、一年の中でも体格の大きくない選手だった。特別に目立つ身体能力があるわけではない。だが、次の一本も同じ軌道で通す。
受け手の右足前。
その次は左足の外。
狙うべき一点へ、寸分違わず通している。
対照的に、そのパスを受けた一年生は一度止まり、持ち替え、そこでテンポが切れる。出されたボールも正しい軌道には乗っておらず、停滞している。
蓮は足元に戻ってきたボールを処理しながら、その差だけを頭の片隅に残した。
メニューが一区切りし、水分補給のためにピッチ脇へ移動する。蓮がCチームのコートを眺めながらタオルで首元の汗を拭いていると、後ろから桐生が話しかけてきた。
「どうした?Cチームを見ているなんて、珍しいな」
「桐生さん、あれ」
そう言って蓮は、自身の視線の先を指差す。
「おん?あれは一年か。あいつがどうかしたか」
「……見ててください」
蓮たちが視線を向けている一年生が、パスを出す。
受け手の右足に、ピタリと。
またボールを受け取ったら、今度は左足へ。これも受けやすい位置にピタリと行き着く。
極めつけは、他のパス練をしていたペアのボールが流れてきたときだった。
先ほどよりも長い距離でも、返球を求める選手の足元に寸分違わずパスが届いていた。
「おいおい。あいつ、なにもんだ?」
「少なくとも、世代代表では見たことないです」
「俺もねぇな。だが、あの精度。
……もしかしてお前並みか?」
「少なくとも、パスだけなら。
……ちょっと試してみていいですか?」
「いいじゃん。お前そういうとこあんのな」
そう言って蓮は、Cコートを見ていたコーチに断りを入れてピッチに入る。
「56番」
蓮の声に、Cコート中の視線が集まる。
その視線を意に介さず、蓮はあの一年生をまっすぐ見据えていた。
番号を呼ばれた一年生と目線が合うと、スッと右手を右足へ向ける。
ースパンッ!
最初の一本が右足前に収まった瞬間、蓮の視線がわずかに変わる。
――偶然ではない。
今度は数歩位置を変え、少しだけ距離を取った場所へ手を向ける。さっきよりも強さの調整が必要な位置だったが、彼の足元から放たれたボールは芝の抵抗をほとんど受けず、その指定した一点へ迷いなく滑り込んだ。
「天根。なにをしている。練習に戻れ」
その様子を見ていた監督から声がかかる。
「はい。すみません」
蓮は監督と、Cコートのコーチに頭を下げ、ボールを彼に戻す。
パスを出す前、その一年生がボールを置いていた位置へと。
Aコートに戻ると、再び桐生が話しかけてきた。
「お前、案外負けず嫌いだよな」
「別に、そういうのじゃないです」
少しだけふてくされたような表情を浮かべる蓮に、桐生は大きな笑い声を上げた。
練習後。コートの外でストレッチをしている蓮に背後から声がかかる。
「天根センパイ」
振り向くと、さっきの一年が立っていた。
近くで見ると、思ったよりも線が細い。だが、目だけは真っ直ぐこちらを見ている。
「どうした?」
「さっきの。なんだったんですか」
蓮はタオルを肩にかけ直しながら、一度だけ頷く。
「気になっただけだ。お前のパスが」
「へぇ。あの天根センパイにそう思っていただけるなんて光栄です」
そこで一年は口元を少しだけ上げた。
「柏原若葉です。一年、ボランチやってます」
蓮は立ち上がり、体ごと若葉へと向き合う。
「天根蓮だ。トップ下」
「知ってますよ。サッカーやってて知らない人なんていないじゃないですか」
若葉は一拍だけ間を置き、それでも視線を逸らさなかった。
「改めまして、よろしくおねがいします。でも……
パスを出す能力なら、負けるつもりないです」
やや挑発的な言い方。そこにあるのは純粋な自負と少しの敵対心だった。
蓮はその顔を数秒だけ見て、特に感情を動かさずに返す。
「そうか」
それだけだった。
若葉は一瞬だけ目を丸くしたあと、すぐに笑う。
「……ですよね。そう返しますよね」
悔しさと楽しさが混ざったような笑い方だった。
「でも、いつか絶対に認めさせます」
そう言って軽く頭を下げると、そのまま片付けの流れへ戻っていく。
蓮はその背中を見送り、再びピッチへ視線を戻した。
春の風が、芝の上を低く流れていく。
その中に、新しい軌道が一つだけ混ざり始めていた。
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