5食目 カスタマイズ
お隣さんだと発覚した、衝撃の夜。
自分の部屋のドアを閉めた後も、蓮の心臓はまだ少しだけ速いリズムを刻んでいた。だが、それ以上に彼を焦らせていたのは、キッチンに広げられた「正しい食材」たちだった。
(……食材はある。橘が選んだんだ、栄養素のバランスも完璧なはずだ)
だが、問題はその先だった。
買ってきたのは、白身魚、生姜、バナナ、小松菜。
一つ一つのパーツは揃っている。しかし、これをどう組み合わせ、どう加熱すれば「プロの食事」として完成するのか。料理の基礎はあるはずなのに、いざ「正解」を突きつけられると、自分の手で行う一工程がすべて栄養を破壊しているような錯覚に陥る。
蓮は数分間、食材を睨みつけた後、意を決して隣の402号室のインターホンを押した。
数秒後、不機嫌そうな、あるいはひどく驚いたような顔で椿が顔を出した。まだ着替えも済んでいないのか、スーパーで見かけたパーカー姿のままだ。
「……どうしたの? 天根君。」
「いや、せっかく食材選んでもらったとこ悪いんだけど」
蓮は、至極真面目な顔で切り出した。
「これで何を作ればいいのかわかんなくて。レシピも貰えないかな」
「……」
椿は、瞬きもせずに蓮を凝視した。
「……?」
沈黙に耐えかねて、蓮が首を傾げる。
「はぁ」
椿の口から漏れたのは、短い、地を這うような声だった。
「いや、だから。レシピを教えてほしいんだ。せっかく選んでもらった食材を無駄にしたくない」
「あんたね……」
椿の眉間に、深いシワが刻まれる。
「なんで私があんたの夕飯作る流れになってんのよ......」
「いや!作れとは言ってない、レシピだけ!
……自分なりに考えたんだが、栄養を損なわずに美味く仕上げる組み合わせが、どうしても見つからないんだ」
「それが一番面倒なのよ。あんたの今の筋肉量と今日の練習強度、さらには冷蔵庫の中身まで加味したレシピを、玄関先で即興で教えろって? 」
「……すまん。だが、俺にはこれ以上、正解が見えない」
蓮は真っ直ぐに椿を見つめた。その瞳があまりに純粋で、かつ「プロとしてベストを尽くしたい」という熱意に溢れていたからだろう。
椿は「〜〜〜っ!」と言葉にならない声を上げると、乱暴に自分の髪を掻き回した。
「……もういいわ。キッチン貸して」
「え?」
「教えるくらいなら作ったほうが早いわ」
気づけば、蓮の部屋のキッチンには、持参したエプロンを締め直した椿が立っていた。
彼女の動きは、ピッチの上の蓮に劣らず鮮やかだった。無駄のない導線、正確な包丁捌き。
「いい? タンパク質○グラム、炭水化物○グラム、ビタミンAはこれくらい……。 」
手際よく皿に盛り付けられていく、彩り豊かな料理。
蓮は、その光景を食い入るように見つめていた。
「すご……。ドイツのチーム寮よりしっかりしてるかも」
「当たり前でしょ。私のは『天根蓮専用』にカスタマイズしてるんだから」
出来上がった料理を、蓮は一気に平らげた。
味付けは、ストイックすぎず、それでいて身体の芯に染み渡るような優しさがあった。
「ありがとう、助かった」
食後、蓮は心底からの感謝を伝えた。
「今日だけよ。私があれこれ食材選んじゃったし、責任取っただけだから」
椿は少し頬を赤らめながら、手早く片付けを終えて玄関へ向かう。
「もちろんだ。迷惑かけた」
蓮の殊勝な態度に、椿はドアノブを掴んだまま、少しだけ躊躇するように足を止めた。
「……ねぇ」
「ん?」
「ご飯は作らないけど。……ご飯の『評価』なら、するわよ」
「評価?」
「そう。その日の食事を写真で送ってくれたら、不足してたり多かったりする栄養素は伝えられると思う。あんたがあまりに危なっかしいから、管理栄養士の卵としての、ボランティア」
椿はそっぽを向いたまま、早口で言った。
蓮にとっては、願ってもない申し出だった。ピッチの上でのパスコースを探すように、彼は即座に最適解を掴み取った。
「じゃあ、お願いしてもいいか? これ、俺の連絡先」
交換された、スマートフォンの連絡先。
ドイツからの帰国。一人暮らし。
誰にも頼らず、自分一人で律するはずだった高校生活。
だが、スマートフォンの画面の中で光る椿のアイコンを見て、蓮は不思議と嫌な気はしなかった。
「……よし。明日から、報告させてもらうよ」
ピッチの上では無敵の天才。
そして今日、キッチンの上での最強のサポーターを得た。
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