39食目 初デートと遭遇
書店から出た2人は、足早に帽子を買いに行った。 蓮は、購入するや否や、黒いキャップを深く被った。
続いて2人が向ったのは、スポーツ用品を取り扱う店舗。
フロアに並ぶ最新のウェアやギア。本来なら真っ先に新製品のスペックを確認しに走るはずの場所だが、今の蓮の意識は、数歩先を歩く椿の背中に釘付けになっていた。ハーフアップにまとめた髪の先が、彼女の歩調に合わせて小刻みに揺れる。いつもは管理士として厳格な彼女が、私服というだけで、どこか守らなければならない存在のように思えてくるから不思議だ。
「……天根くん、そんなにツバを下げて歩いていたら、肝心の商品が見えないんじゃないかしら」
椿は少しだけ呆れたように、けれどどこか楽しそうに微かな笑みをこぼした。その柔らかな表情に、蓮の鼓動がまた一段と速くなる。
「大丈夫、見えてるから。
それより、今更だけど退屈じゃないか?スポーツ用品なんて」
「退屈ではないわ。こういう機会じゃないと、来ない場所だし。
あなたがどういう環境で、どういう道具を使ってるのか見れるしね」
そう言い放つ椿は、至って真面目な顔で、陳列された商品を一枚一枚指先で確かめていった。
「……これ、新しいタイプだな。足裏のアーチを支えて疲労を軽減するやつか」
蓮が何気なく独り言を漏らすと、椿がひょいと覗き込んできた。だが、彼女はインソールの性能には一切触れず、パッケージに記載された「推奨される使用時間」と「運動後のアフターケア」の項目だけを読み上げる。
2人の距離が、同じ商品を覗き込み近づいた、その時だった。
「――お?天根か?何してんだ、こんなところで」
背後から響いたのは、聞き違えるはずのない、低く、快活な声だった。
蓮が弾かれたように振り向くと、そこにはラフなパーカー姿の桐生が、スポーツバッグを片手に立っていた。
「……桐生さん。なんで、ここに」
「あ? なんでってお前、練習用のソックスがボロボロになったから買いに来たんだよ。……それより」
桐生の鋭い視線が、蓮の隣で固まっている椿へと注がれた。常盤台の絶対的エースの口角が、いたずらを見つけた子供のように、ニヤリと吊り上がる。
「……へえ。なんだお前ら、二人で買い物か。仲が良いことで。おい橘、お前、今日は随分と雰囲気違う格好してんじゃねえか。いつものお堅い感じはどうした?」
「……桐生先輩。これは、その……昨日、天根くんの宿題を手伝ったことに対する、お礼としての同行です。他意はありません」
椿は顔を伏せ、早口でまくし立てた。だが、その頬はみるみるうちに朱に染まっていく。
桐生はそんな椿の様子を面白がるように一歩踏み込み、今度は蓮の肩にガシッと腕を回した。
「お礼、ねえ。
......おい、天根。さっきから見てりゃ、そんなに深く帽子を被って、コソコソ隠れて歩いて……。そこまでして、橘との時間を誰にも邪魔されたくないのかよ」
桐生はニヤニヤしながら、蓮のキャップをくいっと持ち上げた。
「隠せば隠すほど怪しいんだよ、お前らは。ピッチの上じゃあんなに堂々としてるくせに、外に出ると随分と分かりやすいな。見てるこっちが恥ずかしくなるぜ」
「……桐生さん、からかうのはやめてください。そんなんじゃないですから」
蓮の声が、自分でも驚くほど上擦る。桐生はそんな蓮の反応を楽しむように、さらに声を弾ませた。
「ま、いいけどよ。天根、明日からの練習、楽しみにしてるぞ。しっかりリフレッシュしてこいよ。……橘、こいつ全然浮いた話聞かねぇからさ、存分に振り回してやってくれよ」
桐生はそう言い残すと、蓮の肩をポンと一度叩き、手を振りながら人混みの中へ消えていった。
その背中が見えなくなるまで、二人は石のように動けなかった。周りの客の話し声や店内のBGMが、急に遠くの出来事のように感じられた。
「……悪かった。俺があんなこと誘ったから。……桐生さん、絶対に明日部活でニヤニヤしながら見てくるよな」
蓮が消え入りそうな声でこぼすと、椿は前を向いたまま、さらに強くトートバッグを握りしめた。
「……誤解なんて、させておけばいいわ。私は私の役割を果たすだけ」
椿はそう言い放つと、蓮のシャツの袖を掴み、レジに促すように歩き出した。
彼女は平静を装っているつもりだろうが、掴まれた袖から伝わってくる指先の震えは、隠しきれていなかった。
会計を済ませた二人は、さらなる熱気と沈黙を抱えたまま、最後の目的地であるキッチンフロアへと向かった。
エスカレーターを上がる間、蓮は、自分よりもずっと小さな椿の背中を見つめていた。桐生にからかわれ、周囲の視線に怯えながらも、彼女は決して自分のそばを離れようとはしなかった。その事実が、誇らしさと申し訳なさ、そして言葉にできない愛おしさを、蓮の胸の中に溢れさせた。
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