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俺だけの献立 〜隣のスポーツ栄養士志望が俺の食事を管理するらしい〜  作者: はるくぼ
2年生・冬「遠いはずだったのに」

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139/212

138食目 ネイビーの万年筆

 昼過ぎの空は、冬らしく高く澄んでいた。

 玄関の扉を開けた瞬間、冷たい空気が頬を撫でる。


「……思ったより寒いわね」


 コートの襟元を押さえながら椿が小さく肩をすくめると、隣で靴を履き終えた蓮が外を見た。


「夜はもっと冷えるだろうな」


「そうね。帰りはイルミネーションも見るだろうし、長く外にいるかもしれないわ」


 そこまで言って、椿は少しだけ言葉を止めた。


 “イルミネーションも見る”。

 あまりにも自然に口にしたが、クリスマスらしい予定を自分から織り込んでいることに、少しだけ頬が熱くなる。


 蓮は特に気にした様子もなく、短く頷いた。


「じゃあ、行くか」


「ええ」


 二人並んで家を出る。


 駅へ向かう道は、普段より人通りが多かった。

 家族連れ、友人同士、恋人たち。


 街全体が少しだけ浮き立っている。


「……みんな楽しそうね」


「クリスマスだからな」


「蓮くんは、こういうの意識するの?」


「まぁ、多少は?

 向こうでもマーケットが盛り上がってたからな」


 椿が思わず目を丸くする。


「意外だったわ。興味ないと思ってた」


「……俺だって高校生だぞ?

 そういう椿はどうなんだ」


「……多少は」


「パクリか」


「違うわよ」


 そのやり取りだけで、自然と口元が緩む。

 こうして並んで歩いていること自体が、もう十分特別なのに。


 プラネタリウムの館内は静かだった。

 席へ座ると、照明がゆっくり落ちていく。


「こういう場所、初めて?」


 椿が小声で聞くと、蓮は頭上を見上げたまま答える。


「小さい頃に一回くらいはあるかもしれないが、覚えてないな」


「じゃあ、ほぼ初めてね」


「そうなるな」


 次の瞬間、天井いっぱいに星空が広がった。


「……すごい」


 思わず漏れた椿の声に、蓮もわずかに目を細める。


「思ってたより綺麗だな」


「思ってたよりって失礼よ」


「いや、想像以上だったって意味だ」


 珍しく素直な感想に、椿は少しだけ嬉しくなる。

 解説のアナウンスが静かに流れる。


『それでは次に、視線を東の空へ向けてみましょう』


 その声に合わせて、星空の焦点がゆっくり移る。

 椿はふっと小さく笑った。


「……蓮くんみたいね」


「俺?」


「ええ」


 暗闇の中、椿は星を見上げたまま続ける。


「試合の時、次にどこを見るか、どこに出すか、自然にみんなの視線を動かしてるでしょう」


 蓮が少しだけ沈黙する。


「……そうかもな」


「今のアナウンスにすごく似てるわね」


「そんなふうに見えてるのか」


「ええ。すごく自然に、次の景色を見せてくれる感じが」


 蓮はそれ以上言葉を返さなかった。

 ただ、少しだけ口元が緩んだのが暗闇の中でも分かった。


 しばらく二人で星空を見上げる。

 言葉は少ないのに、不思議と沈黙が心地よかった。


 館内を出ると、外はすっかり日が落ちていた。


「もう夜ね」


「結構長くいたな」


 駅前広場へ出た瞬間、椿が思わず足を止める。


「……綺麗」


 イルミネーションが街路樹を埋め尽くしていた。

 白と青の光が通りを染め、中央のツリーがひときわ強く輝いている。


「やっぱり人、多いわね」


「クリスマスだからな」


 人混みの流れに、自然と肩が近づく。


 椿の腕が蓮の腕に触れた。

 一瞬だけ視線が合うと、そのまま椿はそっと腕を組んだ。


 蓮も何も言わず、歩幅を合わせる。


「……何も言わないの」


「嫌じゃないからな」


 その返しに、椿の胸が少しだけ跳ねた。

 その短さが蓮らしくて、椿には嬉しかった。


「……そういうところ、ずるいわ」


「何がだ」


「そうやって平然としてるところ」


 言葉と裏腹に、掴む手に力が入る。


「こうして歩くの、初めてね」


「そうだな」


「なんだか、普通の恋人みたい」


「普通じゃないのか?」


「……かなり特殊なんじゃない?私たち」


「そうか?」


「そうよ」


 思わず笑い合う。

 冬の空気は冷たいのに、腕を通して伝わる体温だけが温かかった。


「今日は、楽しかったわ」


「そうか」


「そうか、じゃないわよ」


 そう苦笑を浮かべながら、椿が小さな紙袋を差し出す。


「はい、クリスマスプレゼント」


 蓮が目を瞬かせる。


「……俺に?」


「ええ。他に誰がいるのよ」


 蓮が袋を開け、中を取り出す。


「手袋か」


「最近、練習の時に手が冷えてるでしょう」


「気づいてたのか」


「当たり前でしょう」


 少しだけ呆れたように返す。


「指先の感覚って、あなたにとってかなり重要だもの」


 蓮は手袋を見つめ、それから静かに頷いた。


「……ありがとう」


「どういたしまして」


 蓮も、コートのポケットへ手を入れる。


「俺からも」


「え?」


 差し出された小箱を受け取る。

 開けた瞬間、椿の呼吸が止まった。


「……万年筆」


「ああ」


 落ち着いたネイビーの軸。

 シンプルで、でも上質な一本。


「最近、ずっと進路の資料見てただろ」


 椿の視線が上がる。


「書くことも増えると思ったから」


 その言葉に、胸の奥が熱くなる。


 悩んでいることも、資料を広げていることも、未来を考えていることも。

 彼は、見てくれていた。


「……ありがとう」


 椿は箱を胸元で抱える。


「すごく嬉しい」


「ならよかった」


 イルミネーションの光が万年筆の金具に反射して、小さく光る。


「大事に使うわ」


「そうしてくれ」


 少しだけ沈黙が流れる。

 けれど、今度はその静けさも温かい。


「……寒くなってきたわね」


「もう少し歩いて帰るか」


「ええ」


 二人は再び立ち上がる。


 冬の光の中、並んで歩き出す。


 選手権を前にした束の間の休息。

 けれど、この夜の温度は、きっとこの先も残り続ける。


 冬は、まだ始まったばかりだった。


ここまでお読みいただきありがとうございます!


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