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俺だけの献立 〜隣のスポーツ栄養士志望が俺の食事を管理するらしい〜  作者: はるくぼ
2年生・冬「遠いはずだったのに」

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138/211

137食目 2枚のチケット

 昼休みの教室は、いつもより少しだけ騒がしかった。


「え、イブ空いてるの?」

「うちは家族でご飯かなー」

「いいな、それ」


 普段なら部活や課題の話題が中心になる時間帯なのに、今日ばかりは教室全体がどこか浮き立っていた。

 黒板の端には、誰かが小さく描いたクリスマスツリーの落書きまで残っている。


 そんな空気の中でも、椿の手元にあるのはいつも通りのノートだった。


 選手権本戦を見据えた献立の調整。

 練習強度の上昇に合わせた糖質量の再計算。

 回復食のタイミング。


 ペン先を動かしながら数値を書き込んでいると、隣の席から陽菜がひょいと身を乗り出してきた。


「ねえねえ、椿」


「……何?」


 顔を上げると、陽菜の目がいたずらっぽく細められている。


「クリスマス、どうやって過ごすの? 天根くんと」


 その一言に、椿のペン先がわずかに止まった。


「……特には決めてないわ」


 できるだけいつも通りの声音で返す。


「大会前だし、集中してるでしょうから」


 陽菜はすぐに大袈裟に肩を落とした。


「えー、せっかくなのに〜」


「いいのよ」


 そう言って、ノートへ視線を戻す。


「今やることは、蓮くんを支えることだから」


 陽菜は数秒だけ椿を見つめ、それから小さく笑った。


「……ほんと椿って、そういうとこぶれないよね」


「ぶれてたら、今の時期に選手権のことなんて考えてられないわよ」


 言葉にしながらも、心のどこかでほんの少しだけその言葉が胸に残る。


 クリスマス。


 恋人になって初めて迎える冬のイベント。


 それを意識していないと言えば嘘になる。

 けれど、それ以上に今は全国大会が近い。


 蓮にとって、桐生たち三年生にとって、負ければ終わる冬。

 だからこそ、今優先すべきことは明確だった。


 陽菜はそんな椿の横顔を見て、少しだけ柔らかい声で言った。


「たまには椿自身のことも考えなよー」


 その言葉に返事はしなかった。

 ただ、ノートの端に書かれた「24日」の文字だけが、少しだけ目に入った。




 放課後のグラウンドは、冬らしい張り詰めた空気に包まれていた。


 選手権を目前に控えた練習は、昨日よりさらに密度を増している。

 紅白戦を終えた後も、三年生たちの表情はどこか研ぎ澄まされていた。


 その片付けの最中、ふと思い出したように口を開いた。


「そういや、もうすぐクリスマスだなぁ」


 スパイクの紐を解いていた蓮が顔を上げる。


「そうですね」


「しかもだ。今年は大会前だから、そこだけオフらしいぜ」


 その言葉に、蓮の手が止まる。


「そうなんですか?」


「ああ」


 桐生は肩を回しながら笑った。


「さすがに連日張り詰めっぱなしじゃ、身体も頭も持たねえからな。監督も休養日を入れるつもりらしい」


 蓮は短く頷いた。


 休養日。

 大会前に意図的に作られた空白。


 それは確かに必要な時間だと理解できる。

 そんな蓮の表情を見て、桐生がにやりと口元を上げる。


「せっかくだ。橘と出かけてこいよ」


「……出かける?」


「休養だ、休養」


 桐生が笑う。


「心身ともにな」


 その言葉に、蓮は少しだけ考え込むように視線を落とした。


「……でも、どこに行けばいいんでしょう?」


 その瞬間だった。


「ふっふー!話は聞きましたよ!」


 明るい声とともに、横からひょいと若葉が飛び込んできた。


「そんな蓮さんに、良いものをプレゼントっす!」


 その勢いのまま、蓮の目の前に二枚の紙を差し出す。


「はいこれ!」


 蓮が受け取る。


「プラネタリウムのチケットっす! 駅前のくじ引きで当たったっす!」


 見れば、駅前の商業施設に併設されたプラネタリウムのペアチケットだった。

 クリスマス限定の冬星座特集。


 蓮が目を瞬かせる。


「いいのか? 若葉が使えば――」


 そこまで言った瞬間、若葉がすっと片手を前に出した。


「おっと、それ以上は独り身に辛いっす」


 その意味を理解した桐生が、次の瞬間、堪えきれずに吹き出した。


「はははっ! 自分で言うなよ!」


「言わないと虚しさで死ぬっす!」


 グラウンドに笑いが広がる。

 張り詰めていた冬の空気が、その瞬間だけ少し柔らかくほどけた。


「使ってくださいっす。ほら、いつものお礼っす」


 若葉はチケットを蓮の手へ押しつけるように渡した。

 蓮はそれを見下ろし、それから短く頷いた。


「……ありがとう」


「どういたしましてっす!」


 若葉が笑い、桐生が肩を叩く。


「ほら、これで行き先も決まったな」


 蓮はチケットをジャージのポケットへしまい込んだ。

 帰り道、その感触だけが妙に意識に残った。




 夜。


 夕食を終えた後のリビングには、温かな空気が静かに残っていた。


 食器を片付け終えた椿が、明日の食材メモを確認している。

 蓮はその向かいに座り、数秒だけ言葉を探した。


 試合のことなら、すぐに口にできる。

 練習のことも、身体のことも。


 けれど、今から言おうとしていることは、それらとは少し違った。


「……椿」


 呼ばれて、椿が顔を上げる。


「何?」


 蓮はポケットから二枚のチケットを取り出し、テーブルの上に置いた。


「若葉にもらった」


 椿の視線が落ちる。


「……プラネタリウム?」


「ああ。クリスマス、オフらしい。せっかくだし……行くか?」


 一瞬、椿の表情が止まる。

 朝、陽菜に聞かれた言葉が脳裏をよぎった。


 ――特には決めていない。

 ――大会前だから、集中させたい。


 そう答えたはずだった。

 けれど今、目の前にはその答えを静かに覆す二枚のチケットがある。


 椿はほんの少しだけ目を伏せ、それからゆっくりと顔を上げた。


「……ええ」


 小さく、けれど確かな声。


「行きたいわ」


 その返事に、蓮は静かに頷いた。

 テーブルの上に置かれた二枚のチケットが、リビングの灯りを受けて冬の夜に小さく光っていた。

ここまでお読みいただきありがとうございます!


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