133食目 結果で示す
青陵戦の翌日、部室前の空気はいつもより少しだけ静かだった。
選手権県予選は準決勝を控えている。
それでも、昨日の試合の余韻はまだ部全体に薄く残っていた。
ロッカーの前でスパイクに手をかけたところで、不意に背後から低い声が落ちた。
「よお、天根」
振り向くと、桐生が壁にもたれたままこちらを見ていた。
その視線だけで、何の話かは分かる。
昨日の後半。
青陵戦での自分のプレー。
そして、初めての途中交代。
蓮が言葉を選ぶより先に、桐生が口を開いた。
「その顔。監督にこってり絞られたのか?」
「……はい」
短い返答に、一瞬だけ沈黙が落ちた。
桐生は小さく鼻で笑う。
「なら俺からは言うことないな」
その一言に、蓮はわずかに目を上げた。
「あの人が言ったんなら、それで十分だ」
桐生はそれ以上何も言わず、肩を軽く叩いてそのまま部室へ入ってくる。
説教が始まる空気だと思っていた。
だが、その信頼の置き方こそが桐生らしかった。
監督の言葉が全て。
それで蓮が戻ると、信じている。
その信頼が、胸の奥に静かに残った。
「それはそうとよ」
着替えながら、桐生が続ける。
「お前、あんなプレーもできるんだな」
「あんなプレー」
「ほら、削り返してただろ。交代させられて気づいたけどよ」
「あれは、ああしないと、向こうではやられるだけでしたから」
「ほえー。俺も学ばないとダメかぁ」
「プロは……どうなんでしょう?
というか、桐生さん海外志向あるんですか?」
「あん?当たり前だろ
いつか同じステージに行くから待っとけよ」
軽く言うが、その決意の硬さが顔に表れている。
「桐生さんならすぐですよ」
「そうか?お前に言われると現実味が増すなぁ」
着替えを終えた桐生は、グラウンドへと向かっていく。
蓮は、その背中をじっと見つめていた。
その日の夕食。
いつものように二人で向かい合った食卓には、味噌汁の湯気と焼き魚の香りが静かに立ち上っていた。
昨日の監督室でのやり取りを話し終えた後、椿が箸を置く。
「……そう。そんな状態だったのね」
その声は責める色ではなく、ようやく状況を整理した後の安堵に近かった。
蓮は小さく首を傾げる。
「珍しいな。気づかなかったのか?」
その言葉に、椿は少しだけ眉を寄せる。
「こっちはそれどころじゃなかったわよ。
……あなたがまたラフプレーに遭っているようにしか見えなかったんだから」
その一言に、蓮は視線を止める。
確かに、外から見ればそう見えて当然だったのかもしれない。
自分だけが、あの後半の真意を理解していた。
椿は小さく息を吐く。
「……無茶しないって言ったのに」
責めるようでいて、その声の底には安堵が滲んでいる。
蓮は小さく頭を下げた。
「悪かった」
椿はしばらく黙ってから、ようやく小さく頷く。
「次は、本当に約束して」
「ああ」
「言っとくけど、蓮くんの無茶しないはあまり信じてないから」
やや目尻を赤く染めた椿が、拗ねたように告げる。
その姿に、蓮は困ったような顔を浮かべるだけだった。
そして、翌日。
準決勝の会場は、秋空の下、芝にまだ朝露の名残がわずかに残している。
蓮は、再びピッチに戻っていた。
相手は堅守を売りにする高校だったが、常盤台のリズムは最初から崩れなかった。
蓮も一人ですべてを背負わず、自身すらも歯車の一つとしてピッチを支配していた。
中盤の底で一度受け、相手のラインを横に揺らし、若葉へ預ける。
若葉が戻し、再び蓮の足元へ。
寄せてきたボランチを半身で外し、そのまま右サイドへ展開。
「桐生!」
右サイドからクロスが上がる。
ゴール前で競り勝った桐生が頭で叩き込んだ。
その後も常盤台はペースを渡さない。
後半、若葉が中盤でボールを奪い、そのまま蓮へ縦パス。
蓮はワンタッチで相手CBの間へスルーパスを通す――ように見せて、一歩、横にずらした。
一歩遅れた寄せ。
その遅れで空いたコースへ、左足を振り抜く。
GKがなんとか弾いたこぼれ球には、若葉が詰めている。
準決勝は、二対〇で突破した。
翌々日の決勝は、さらに落ち着いていた。
青陵戦や準決勝を経て、チーム全体の空気がより一層締まっている。
序盤から蓮がテンポを支配する。
相手が前へ出れば裏へ。
引けば中盤で揺らす。
ボランチと細かく三角形を作りながらボールを回し、相手の集中をじわじわ削っていく。
前半二十七分。
左サイドからのマイナス方向の折り返しに蓮が飛び込み、詰めてきたDFを嘲笑うように軽く浮かせる。
完全にフリーになっていた右サイドの選手が、冷静にニアを撃ち抜いた。
後半も、完全に常盤台の時間だった。
蓮が中央で受けては散らし、相手の出足を奪う。
相手の集中が途切れかけた頃に、ミドルレンジでフリーになった若葉がネットを揺らした瞬間、勝負は決まった。
試合終了の笛。
選手権県予選優勝。
全国への切符を、常盤台は掴み取った。
表彰式を終え、グラウンドを後にする帰り際だった。
「天根」
呼び止めたのは監督だった。
蓮が足を止める。
監督は真正面から短く言った。
「よくやった」
たったそれだけ。
だが、その一言が何より重い。
青陵戦の後に交わした言葉。
監督室で思い出した原点。
常盤台を選んだ理由。
その全てを含んだ言葉だった。
蓮はまっすぐ頭を下げる。
「……ありがとうございます」
顔を上げた先の空は高く澄んでいた。
だが、その視線はもう県の外を見ている。
ここから先こそ、本当の勝負だった。
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