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俺だけの献立 〜隣のスポーツ栄養士志望が俺の食事を管理するらしい〜  作者: はるくぼ
2年生・秋「それでも、選ぶ」

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131/203

130食目 静かな熱

 朝の食卓には、いつもより少しだけ重たい静けさがあった。


 窓の外は高く澄んだ秋空で、差し込む光は柔らかいのに、食卓の空気だけがどこか張り詰めている。味噌汁の湯気が二人の間をゆっくりと流れ、焼き鮭の香ばしい匂いが部屋に広がっていても、その温度がそのまま椿の胸の内には届いていないことが、蓮には分かっていた。


「……今日の相手」


 箸を持つ手を止めたまま、椿が静かに口を開く。


「あの青陵なのよね?」


「ああ」


 短く返した蓮の声に、椿は一度だけ視線を落とした。


 去年の夏。

 あの練習試合の記憶は、椿にも色濃く残っている。


 蓮の脚を狙うような接触。

 ベンチから飛ぶ監督の怒声。

 帰宅後、何でもないように食卓についた蓮に向けて、思わず感情をぶつけたあの夜。


「……絶対に、無茶しないで」


 今度は、始まる前に言い切れた。

 蓮は椀を置き、まっすぐ椿を見る。


「無茶はしない」


 その声は静かだった。


「今回も、触れさせやしない」


 椿がゆっくりと顔を上げる。


「……本当に?」


「ああ。あれから更に研ぎ澄まされている。

 ラフプレーなんかに、潰されない」


 その言葉に、椿は数秒だけ蓮を見つめ、それから小さく息を吐いた。


「……信じるわよ」


 その一言が、食卓の空気をわずかに緩める。食器の触れ合う音が戻り、いつもの朝の流れが静かに再開していく。

 それでも、二人の間には言葉にしきれない緊張が残っていた。


 会場へ向かうバスの窓から見える空は高く、秋の光がグラウンドの芝を白く照らしている。

 アップを終えてピッチに立った瞬間、蓮は相手の視線の置き方だけで今日の試合の輪郭を理解した。


 やはり来る。

 その事実を、自身を射抜く視線が物語っていた。


 開始の笛が鳴る。

 最初に中盤でボールを受けた瞬間、死角から肩が入った。


 ボールではなく身体へ。


 わずかに遅らせた接触。

 審判からは見えにくい角度。


 だが、蓮の身体はもうその軌道を覚えていた。


 半歩だけ重心をずらすと、突っ込んできた相手の肩が空を切り、その横をボールだけが滑るように抜けていく。

 そのまま中央から左へ展開し、若葉へ通す。


「若葉!戻せ!」


「了解っす…うおっと」


 若葉にも激しいチャージ。なんとか躱しながら蓮に戻す。


 蓮にボールが渡ると、青陵の二人目が今度は後ろからユニフォームを掴みに来る。


 それすら蓮は意に介さない。

 わずかに身体を回して手を外し、逆サイドへ散らす。


 同じだ。

 去年と何も変わっていない。


 入ってくる角度。

 削る位置。

 寄せのタイミング。


 全部見えている。

 だから止められない。


 青陵の守備は、蓮を止めるために一つ余計な接触を必ず入れてくる。

 膝を狙う足、死角からの肘、着地の瞬間を狙った遅い寄せ。その全てを、蓮は受ける前に視野へ入れ、触れられる前に重心を外し、相手の勢いごと逆手に取ってスペースへ変えていった。


 削るという意図が露骨になるほど、蓮のプレーはむしろ静かに冴えていく。

 若葉が横目でその姿を追い、小さく息を呑む。


(……すげぇ)


 削りに来ているのに、触れられない。

 むしろ寄せた側の守備バランスだけが崩れていく。


 青陵の焦りが目に見えて増していた。


 前半終盤、ついに相手が狙いを変えた。


 中盤で蓮が二枚を引きつけ、桐生へ差し込む。

 その瞬間、遅れて入った足が桐生の軸足を刈った。


「っ……!」


 鈍い音。

 芝へ崩れる桐生。


 今回ばかりは笛が鳴った。


 ペナルティエリア手前、絶好の位置でのFK。

 倒れた桐生へ若葉が駆け寄る横で、蓮だけがその場所を静かに見つめていた。


 その目が、わずかに温度を変えている。


(……そういうやり方か)


 止められないなら、次を削る。

 桐生が顔をしかめながらも立ち上がる。


「ててて……大丈夫だ」


 大事には至っていない。

 その様子に、ベンチやスタンドから、安堵の息が漏れた。


 蓮も桐生が立ち上がったのを見て、ボールをセットする。


 壁の位置。GKの立ち位置。

 ほんのわずか、全体が右へ寄っている。


(それくらいの感覚はあるのか)


 明らかに自分の左足を警戒した立ち位置。


(とはいえ、触れさせない)


 短い助走から、左足を振り抜く。

 ボールは壁の頭上を越え、落ちるようにゴール左上へ吸い込まれた。


 ネットとともに、歓声が大きく揺れる。

 前半終了の笛が、その直後に重なった。


 ロッカールームに戻ると、前半の熱気がそのまま閉じ込められたように空気が重かった。

 桐生は足首を軽く回しながら椅子へ腰を下ろし、若葉は額の汗を拭っている。


 だが、誰より静かだったのは蓮だった。

 壁際に立ったまま、水を一口含み、短く言う。


「後半、俺に集めてください」


 一瞬、空気が止まる。

 若葉が思わず顔を上げた。


「……え?」


 小さな声だった。

 だが、全員が同じことを感じていた。


 いつもの蓮と、少し違う。

 これは、怒りだと。


 それも、表に出さないまま、内側だけが静かに熱を持っている。


 桐生がわずかに顔をしかめる。


「お前、全部自分で背負う気か?」


 蓮はただ一度だけ頷く。


「俺が持てば、皆に行かない。

 ……それに、あの程度がいくら来ようと、変わらないですから」


 その横顔に、若葉は背筋がわずかに冷えるのを感じていた。


「……ったく。わかったよ。だが、危ないと感じたら俺にも集めさせるからな」


「そうならないようにします」


 怒鳴っているわけでもない。

 表情が変わったわけでもない。


 それでも、ピッチの空気だけが確かに変わっている。


 誰よりも近くで蓮を見てきた桐生だけが、その静かな熱の意味を理解していた。

ここまでお読みいただきありがとうございます!


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