129食目 次の標的
文化祭の熱が校内から抜けきるより先に、サッカー部の空気は一気に張り詰めていた。
放課後の部室前。
掲示板に張り出された選手権県予選の組み合わせ表を前に、部員たちの視線が一斉に集まっている。
紙の中央付近に並ぶ校名。
常盤台の名前のすぐそばに、見慣れた名前があった。
「……誠和」
誰かが小さく呟く。
ざわり、と空気が揺れた。
「準々決勝で当たる組み合わせか」
「思ったより早いな」
「まあ、どのみちどっかで当たるだろうからなぁ」
部員たちの声が重なる中、蓮は掲示板の前で視線を止めていた。
相手がどこであろうと、一つも落とせない。
だが、誠和の名前が視界に入った瞬間、空気の輪郭がわずかに変わるのを全員が感じていた。
「今年の予選は、早々に決着がつくな」
短いその一言で、周囲のざわめきが静かに締まる。
この大会の山場がどこにあるか。
誰もが同じ場所を見ていた。
選手権予選、常盤台の初戦当日。
秋の空は高く澄み、グラウンドの芝には朝の冷たさがまだ残っていた。
試合開始から十分も経たずに相手のラインは押し下げられ、中盤の寄せも2列目まで届かない。
それでも蓮は、試合開始から必要以上に前へ出ることはしなかった。
中盤で受け、左右へ散らす。
攻撃のテンポを変え、相手の出足を挫く。
相手の守備がどこまで食いつくかを見ながら、試合の輪郭だけを静かに組み上げていく。
「若葉!左!」
蓮の声に反応し、若葉の足元からボールがサイドへ渡る。
「丸さん、ニア!」
中へ折り返されたボールに桐生が反応する。
だが、相手ディフェンダーが着いてきている。
(打ち抜く……!)
桐生がダイレクトで合わせようとしたタイミングで、再び蓮の声が響き渡る。
「ステイ!」
その声に、桐生は振り抜こうとした足を止め、自身のやや後方にボールを収める。
そのまま身体をひねるように、ファーポストめがけて振り抜いた。
選手権の幕開けとなる、先制弾。
プレーの一切に、蓮は直接関与していない。
それでも、試合を支配しているのは赤い10番のユニフォームだった。
後半に入っても、その構図は変わらない。
中央でボールを引き取り、寄せを一つ外し、空いたスペースへ通す。
記録に残る最後の一手は別の選手。
だが、その一手が生まれる土台は蓮の足元から始まっている。
後半早々に追加点を重ねた後も、終盤まで試合の流れを渡さなかった。
ゴールゼロ。
アシストゼロ。
それでも試合の流れは最初から最後まで、蓮を中心に設計されていた。
「10番じゃない!他に寄せろ!」
相手GKの指示も飛んでいる。
その声に、より一層若葉やサイドへのマークがきつくなる。
「空いてるっす!」
「天根へのマークは緩めるな!」
若葉と相手監督の声は、ほぼ同時だった。
若葉の声に反応したCBから、蓮にパスが入る。
受けるやいなや、右サイドの走り込みに合わせてパスを出す。
試合終盤にダメ押しの3点目。
夏の大会を経た常盤台は、徐々に完成度を高めていった。
試合後、学校へ戻るバスに乗り込んでいる途中だった。
「監督!先輩方!」
息を切らした声が飛ぶ。
一年生部員が全力で駆け寄ってきた。
その一年生は、誠和の試合を偵察に行っていた。
彼の表情を見た瞬間、部員たちの空気が変わる。
「どうした、畠山」
監督が短く問う。
駆け寄ってきた畠山は一度息を整え、それでも抑えきれないように声を上げた。
「誠和が……」
一瞬、周囲の空気が止まる。
「誠和が、負けました!」
その言葉に、周辺が一気にざわめいた。
「は?」
「嘘だろ」
「どこに?」
重なる声の中、彼は続ける。
「二回戦で、青陵に……」
誰もすぐには言葉を返せない。
準々決勝で当たることを、誰しもが当たり前だと思っていた相手。
この大会最大の山になると誰もが思っていた相手。
その前提が、初戦を終えたその日に崩れた。
だがそれ以上に、誠和を負かしたその高校に聞き覚えがあった。
その記憶が場の沈黙を引き伸ばしていた。
「青陵……!」
桐生の声に、怒りがにじむ。
畠山や若葉をはじめとした一年生たちは、上級生のその様子に違和感を覚えていた。
「蓮さん、蓮さん」
「……なんだ」
「みんな顔怖いっす。なんか因縁でもあるんすか?
その青陵ってとこと」
その疑問を拾ったのは、桐生だった。
「一年生は知らねぇよな。
去年の夏、うちと練習試合やってるんだよ」
「……え?練習試合……?
そこで負けたとかっすか?」
「いや、勝った」
「じゃあなんで……?」
「天根を、削りに来た」
蓮の脳裏にも、夏の練習試合が蘇る。
ボールではなく脚を狙ってきた寄せ。
監督の怒声。
桐生の険しい横顔。
そして、夕食の席で珍しく感情を露わにした椿の声。
「畠山。誠和が負けたの、怪我人が続出して崩壊したとかだろ?」
桐生が、確信めいた声音で問う。
「あ、はい……
まずボランチの二人から、交代してました」
「だろうな……
誠和は選手層薄いからな」
ボランチの二人から。
その言葉に、蓮は何も言わずに視線を落とした。
準々決勝で、志岐ともう一度向き合うつもりだった。
志岐との対戦は、常に新たな可能性が広がっている。
心の何処かで、あのマッチアップを待っていたのかもしれない。
それを青陵に横から奪われた。
真っ当とは言えないやり方で。
胸の奥に、静かに熱が落ちる。
「青陵……」
志岐との再戦は、ここで終わった。
だからこそ、次で負けるわけにはいかない。
次は、二度とそんなプレーが出来ないように叩き潰す。
蓮の視線だけが、すでに次の相手を射抜いていた。
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