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俺だけの献立 〜隣のスポーツ栄養士志望が俺の食事を管理するらしい〜  作者: はるくぼ
2年生・秋「それでも、選ぶ」

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129/195

128食目 暗闇の中で

 黒い幕をくぐった瞬間、文化祭の喧騒が一気に遠のいた。


 さっきまで廊下を満たしていた呼び込みの声も、焼きそばの匂いも、軽音の演奏も、厚い布を一枚隔てただけで別世界みたいに薄れていく。足元を照らす赤いライトだけが、迷路のように組まれた段ボールの壁をぼんやりと浮かび上がらせていた。


「……思ったより、本格的ね」


 椿の声が、いつもより少しだけ低い。


「ああ。すごい作り込みだ」


 蓮は短く返し、一歩ずつ前へと進み出す。

 次の瞬間、制服の裾がわずかに引かれた。


 視線を落とすと、椿の指先が制服の裾をそっとつまんでいた。


「……何だ」


「別に。暗いからよ」


「そうか」


 蓮はそれだけ返すと、歩幅をほんの少しだけ短くし、そのまま前へ進んだ。


 最初の角を曲がった先には、赤いライトに照らされた人形が置かれていた。

 長い髪が床まで垂れ、影が壁に揺れる。


「……っ」


 小さく息を呑む音。

 裾をつまむ指先に少しだけ力が入ったのが分かった。


「ほんとに暗いところが苦手なだけなのか?」


「……別に、ちょっとびっくりしただけよ」


 返ってきた声は、少しだけ硬い。


 さらに奥へ進むと、今度は天井から吊られた布が、通るたびに肩へ触れた。

 床のスピーカーからは低い唸り声のような音が流れ、どこかで金属を引きずるような効果音が鳴っている。


 不意に、左側の黒布が揺れた。


「っ……」


 椿の手が裾から離れ、今度は蓮の袖口をきゅっと掴む。

 蓮はわずかに視線を落とした。


「今度は袖に変わったな」


「……わざわざ言わないで」


「だめだったか?」


「……ほんと、そういうところよ」


 暗がりの中でも、椿が少しだけ睨むようにこちらを見ている気配がした。

 だが、袖を掴む指先は離れない。


 再び角を曲がったところで、今度は床の仕掛けが鳴った。

 足元から突然、乾いた音が響く。


「……っ」


 椿の身体が小さく跳ね、そのまま距離が一気に詰まった。

 袖を掴んでいた手がさらに上へ滑り、蓮の腕へしがみつく。


 制服越しに伝わる力が、さっきよりはっきり強い。

 蓮は足を止めず、そのまま歩幅を合わせて進んだ。


「こういうの、ダメなんだな」


「……笑わないで」


「笑ってないぞ」


「今、少し口元が上がったのが見えたわ」


「ちょっと笑っていたかもしれない」


「あっさり認めたわね……」


 そんなやり取りを交わした、その直後だった。

 正面の黒布が大きく揺れ、人影が飛び出した。


「ヴワァ!」


「きゃっ……!」


 そのうめき声に、反射的に椿が蓮の腕へさらに強く抱きつく。

 蓮はその場で止まり、飛び出してきた人影へ視線を向けた。


「……こんなとこで何してるんだ、若葉」


 黒いフードを被った人影が、呆気にとられた声を出した。


「……え、なんでわかるんすか」


 蓮がわずかに目を細める。


「体格、飛び出すときのステップワーク、寄せの速さ」


「冷静に分析しないでほしいんすけど!?」


 黒いフードを外すと、蓮の言うとおり若葉の顔が出てきた。


「柏原くん!? あなたスポーツ科じゃないの!?」


 椿が思わず声を上げる。

 若葉は肩を少しだけすくめた。


「友達が普通科なんすよ。脅かし役の手が足りないっていうんで、お手伝いっす」


 そこまで言って、若葉の視線が二人へ落ちる。

 正確には、椿が抱きついている蓮の腕へ。


「それにしても、お二人さんアチアチっすね〜

 ……ハッ!?」


 若葉が反射的に首をすくめ、きょろきょろと周囲を見回した。


「……さすがにここにはいないっすよね」


「どうした?」


「いや、だいたいこういう時、首根っこ掴まれるんで」


 不思議そうに聞く蓮に、若葉がぼやく。


 椿はまだ腕を離せずにいたが、若葉の言葉にようやく我に返ったように視線を落とした。

 だが、離す前に若葉がひらひらと手を振る。


「じゃ、自分まだ役目あるんで。お幸せにー」


「誰がよ!」


 椿の抗議を背に、若葉は黒布の向こうへ消えていった。


 再び暗がりと静寂が戻る。


 それでも、椿の腕は離れない。

 蓮は何も言わず、そのまま前へ進んだ。


 迷路の最奥には、最後の脅かし用らしい部屋があった。


 床に転がる人形、揺れる赤いライト、天井から垂れた黒布。

 そこを抜けた瞬間、背後で突然大きな物音が鳴る。


「っ……!」


 椿の腕にさらに力が入る。

 肩口に触れる体温が、暗がりの中では妙にはっきり伝わった。


 蓮は歩幅を変えず、出口へ向かう。


 そのまま、出口の黒い幕が見えるまで。

 そのまま、明るい廊下の光が差し込むまで。


 椿の腕は離れなかった。


 幕を抜けた瞬間、文化祭の音が一気に戻ってくる。


 明るい廊下。

 さっきまでの暗闇が嘘みたいに光が強い。


「……椿。もう出たぞ」


 蓮の声に、椿が一拍遅れて顔を上げた。

 それからようやく、自分がまだ腕に抱きついていることに気づいたらしい。


「……っ」


 慌てて手を離し、少しだけ視線を逸らす。


「……なによ。苦手だって言ったでしょう」


「まだ何も言ってないぞ。

 ……おばけとかも、苦手なんだな」


「言ってるじゃない!」


「今言った。だが……」


 蓮は椿を見る。


「今日は知らない一面がたくさん見れるな」


 その言葉に、椿は小さく息を吐く。


「……本当に、変なところで真っ直ぐなのよね」


 普通科フロアを抜ける頃には、文化祭の熱も少しずつ落ち着いていた。


「じゃあ、帰りに買い物したいから、帰るタイミングで連絡するわね」


「ああ。むしろこっちの片付けのほうが時間かかるかもしれない」


「その時は校門で待ってるわよ」


 二人は一度分かれ、各々のクラスに戻っていった。


 文化祭の喧騒が静まり、片付けを終えた校舎を出る。


 夜の空気が肌に触れた。

 さっきまでの賑やかさが嘘みたいに静かだ。


 二人で並んで歩く帰り道。

 しばらく無言が続いたあと、椿が小さく口を開いた。


「……今日は、楽しかったわね」


「ああ」


 短い返事。

 それだけなのに、今日一日の熱がその一言に全部残っている気がした。


 文化祭の灯りは、もう校舎の向こうに遠ざかっている。


 けれど、暗がりの中で縮まった距離だけは、まだ二人の間に静かに残っていた。

ここまでお読みいただきありがとうございます!


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