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俺だけの献立 〜隣のスポーツ栄養士志望が俺の食事を管理するらしい〜  作者: はるくぼ
2年生・秋「それでも、選ぶ」

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127食目 知らない一面

 クラスの喧騒が少しだけ落ち着いたところで、蓮は得点板を書き換えていた手を止めた。


「おい、天根。そろそろ行ってこいよ」


 横から飛んだ声に顔を上げると、クラスメイトがにやりと笑っている。


「橘さん、まだ待たせてるんだろ」

「こっちは回るから大丈夫だって」

「もうデモ要員いらないって」

「むしろお前いると基準狂うからいない方が助かるまである」


 最後の一言に、周囲から笑いが漏れた。

 蓮は小さく息を吐き、教室の入口へ視線を向ける。


 廊下の壁際、午前中と同じ場所で椿が立っていた。

 腕章は外しているが、まだ文化祭の空気を纏ったまま、こちらへ気づくと小さく目元をやわらげる。


「待たせた」


「ううん。見てたから」


 その返しに、蓮はわずかに視線を止めた。

 教室の中を見ていた、という意味ではないことだけはわかる。


「じゃあ、まずうちのクラスから見るか?」


「ええ。せっかくだもの」


 二人で教室へ入ると、すぐにクラスメイトの声が飛んだ。


「お、ご両人! ちょうどいい!」


「今なら空いてるぞ、やっていってよ」


 視線の先にはキッキングターゲット。

 椿は一瞬だけ足を止めた。


「……やる?」


「ああ、やるか。せっかくだしな」


 蓮がに言った、その直後。


「おい、天根はダメだぞ」


 即座に横からツッコミが飛ぶ。


「やるなら橘さんだろ」


「そうそう。お前はチートだ」


 教室に笑いが広がる。

 椿は少しだけ視線を逸らした。


「私、こういうのは……あまり」


「まあ一回だけ。記念みたいなもんだって」

「そうだよ橘さん、百点ゾーン狙えば十分だから」


 逃げ道を塞ぐように言葉が重なる。

 椿は小さく息を吐き、蓮を見る。


「……あなたのクラスって、思ったより押しが強いのね」


「諦めた方が早い。こいつらは運動部だ」


「全然助ける気ないのね」


「俺はもう諦めてる」


「……そういうこと」


 言いながら、椿はボールの前へ立った。

 白いスニーカーのつま先で少し位置を整え、的を見上げる。


 教室の中が妙に静かになる。


「橘さん、頑張れー」

「百点ならいけるって」


 椿は少し助走を取り、右足を振り抜いた。


 乾いた音。

 ボールは真っ直ぐ飛んだ――が、中央の穴をわずかに外れ、枠に当たって横へ跳ねた。


「あっ……」


 一拍遅れて、教室に惜しい声が広がる。


「おー、今惜しかった!」

「軌道はめっちゃ良かった!」


 椿は足元に戻ってきたボールを見て、ほんの少しだけ眉を寄せた。


「……思ったより難しいわね」


 その言葉に、蓮は口元を少し緩める。


「椿、お前こういうの苦手だったのか」


「……悪かったわね」


「いや」


 蓮はそのままムスッとした顔の椿の横に立ち、的へ視線を向けた。


「知れてよかった」


「え?」


「椿でも苦手なことがあったんだな」


 その一言に、椿は一瞬言葉を失った。

 からかわれているようでいて、蓮の声音にそういう色はない。


 本当に、新しいことを知ったような声だった。

 椿は少しだけ視線を落とし、小さく息を吐く。


「……完璧な人間なんていないわよ」


「知ってる」


「なら言わないで」


「でも、少し安心した」


「何に」


「人間らしくて」


 その返しに、周囲から呆れた声が漏れた。


「おい天根、それ褒めてんのか?」

「まあ天根なりには最大級に褒めてるんだろ。……たぶん」


 椿は少しだけ頬を熱くしながら、ボールを元の位置へ戻した。


「も、もう十分見たでしょう。次、私の方に行くわよ」


「ああ」


 廊下へ出ると、文化祭の熱がまた二人を包み込む。

 呼び込みの声、屋台の香ばしい匂い、遠くから聞こえる軽音の音。


 人の流れの中を並んで歩くだけで、いつもの通学路とは違う距離感になる。

 すれ違う生徒の声が小さく耳に入った。


「あれ、天根先輩と橘さんじゃない?」

「やっぱ付き合ってるんだ」


 椿はほんの少しだけ視線を伏せた。

 だが、もう隠す理由もない。


「椿。今日もつなぐか?」


「い、いいわよ今日は。混んでないし」


「そうか?」


 蓮はそれ以上何も言わず、そのまま歩幅を合わせた。


 スポーツ栄養科の教室につくと、蓮のクラスに負けじと人が集まっていた。


 壁一面のパネル展示。

 補食や試合前後の食事についてまとめられた資料。

 簡易相談ブースでは、陽菜が来場者と話し終えた頃だった。


「あ、来た来た」


 陽菜がすぐに気づき、にやりと笑う。


「へぇ〜。ちゃんと回ってるんだ」


「何よ、その言い方」


「別にー?」


 意味ありげな笑みを残しつつ、陽菜は次の来場者へ向き直る。

 蓮は展示パネルへ視線を向けた。


「去年より人、増えてるな」


「相談ブースを増やしたの。展示だけだと受け身になるから」


「なるほどな。

 ……これか?椿の。なんだ、今年も俺か」


 蓮は椿の製作したパネルの前で足を止めた。

 そこには、去年と同様に名が伏せられた実践データがまとめられている。


「当たり前でしょ。今年は去年よりも評価が良いわ。

 誰かさんが言うこと聞かずに怪我をしたから、その回復過程も書けてるし」


「……あれは悪かったよ」


「ふふ、冗談よ。もうしないんでしょ?」


「ああ」


「なら、それで十分よ」


 椿がそう言って小さく笑う。

 教室の中では次々に人が入れ替わり、クラスメイトの声と来場者の反応が途切れずに続いていた。


「忙しそうだな」


「ええ。長居してたら仕事が降ってきそうだから、次行きましょ」


「いいのか?待つぞ?」


「いいの。……短くなるから」


 二人は教室を出て、人の流れに乗るように廊下へ出た。


 普通科のフロアへ入ると、一気に文化祭らしさが増した。


 焼きそばの匂い。

 チョコバナナの屋台。

 呼び込みの声。


 椿がふと足を止める。


「お化け屋敷……」


 黒い布で覆われた教室の入口。

 赤い文字で書かれた看板。


 蓮はその視線を追った。


「入るか?」


 椿は数秒黙った。


「……暗いのは、あまり得意じゃないのだけれど」


 その返答に、蓮は少しだけ目を細めた。


「そうか」


「だから、別に入らなくても――」


「いや、入ろう」


 蓮は看板へ視線を向ける。


「それも知りたい」


 椿が顔を上げる。


「……何を?」


「椿の苦手なもの」


 短く返された言葉に、椿はわずかに息を止めた。


 文化祭の喧騒の中、二人の間にだけ別の温度が落ちる。


「……本当に、変なところで真っ直ぐなのよね」


 小さく零しながらも、椿は入口へ足を向けた。


 暗い教室の奥へ続く黒い幕。

 次の瞬間、文化祭の賑わいから切り離された別の空間へ、二人は足を踏み入れた。

ここまでお読みいただきありがとうございます!


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