124食目 文化祭、始動
放課後の教室には、いつもより少しだけ浮ついた熱が満ちていた。
窓の外では、夕方の陽がグラウンドを斜めに照らし、部活動へ向かう生徒たちの声が遠くから断続的に聞こえてくる。その一方で、スポーツ科二年A組の教室には誰も席を立とうとせず、黒板の前に立った学級委員の声へ視線が集まっていた。
「よーし、じゃあ文化祭の出し物、今日中に方向だけは決めるぞー」
その一言で、空気が一気にざわめいた。
「喫茶店でよくね?」
「普通すぎるだろ」
「スポーツ科なんだから、それっぽいのやりたいよな」
「射的とか?」
「いや、だったらキッキングターゲットじゃね?」
あちこちから飛び交う声が教室を埋めていく。
前の席の男子が振り返り、机に肘をついたまま蓮を見た。
「天根、お前は?」
「飲食以外」
短く返すと、相手は苦笑する。
「だろうな」
蓮は頬杖をつきながら、黒板に増えていく候補を眺めた。
喫茶。
お化け屋敷。
スポーツチャレンジ。
キッキングターゲット。
ピッチングターゲット。
文化祭らしい、まとまりのない盛り上がりだった。
「キッキングターゲットいいじゃん!」
「うちサッカー部多いし絶対盛り上がるって」
「野球部いるんだからピッチングも入れようぜ」
その声に、教室の後ろから別の意見が飛ぶ。
「じゃあサブの体育館借りてスポーツ系まとめる?」
「お、それいいな。借りれんのかな」
「他に使うとこいなかったら借りれるだろ」
「ミニゲームコーナーみたいにしたら楽しそうじゃね?」
意見が少しずつ形を持ち始める。
蓮はその流れを眺めながら、黒板の文字へ視線を止めた。
キッキングターゲット。
悪くない。
むしろ、強豪校のスポーツ科らしい。
派手で分かりやすく、他学年や家族連れも入りやすい。
「天根、お前サッカー部だし何か意見ない?」
再び声をかけられ、蓮はゆっくり顔を上げた。
「……やるなら、的は一種類じゃない方がいいぞ」
一瞬、教室が静かになる。
「どういうこと?」
「難易度を分けた方がいい。近い距離と遠い距離。小さい子も来るだろうし、高校生と同じ条件だとつまらない」
淡々とした声に、何人かが「あー」と納得したように頷く。
「確かに」
「小学生来たら入らんか」
「学年別で点数変えてもいいかも」
そこからまた一気に話が転がった。
「じゃあ初心者用の大きい的作ろうぜ」
「高得点の的は小さくしようよ」
「外したら罰ゲームとか?」
「いやそれは普通に可哀想だろ」
笑い声が広がる。
蓮はそれ以上口を挟まず、椅子に背を預けた。
やがて黒板の候補が整理されていく。
「じゃあ決を取るぞー」
挙手が一斉に上がった。
――キッキングターゲットを軸にしたスポーツチャレンジ企画。
教室の空気は、もうほとんど決まっている。
「賛成多数。決まり!」
その瞬間、教室がどっと沸いた。
「よっしゃ!」
「絶対盛り上がるだろこれ」
「装飾どうする?」
「サッカーゴール風に入口作りたくね?」
文化祭特有の高揚が一気に広がっていく。
「じゃあ、俺は生徒会に出し物案提出してくるから、解散なー」
そう言って委員長がクラスを後にした。
だがその後も、文化祭に向けた熱は収まらない。
誰かが後ろからボールを取り出してきた。
「なあ、試しにやってみようぜ」
「今!?」
「的ないじゃん」
「でも確かに、的の候補決めたいしなー。とりあえずこれとかどうだ?」
そう言うとクラスメイトの一人がカバンからソフトボールを取り出す。
簡易的な的。
教室の後ろから椅子や机が端に寄せられ、小さなスペースが作られた。
「で、誰が蹴るんだよ」
その瞬間、全員の視線が一斉に蓮へ向いた。
「いや、そりゃ天根しかいないだろ」
蓮は小さく息を吐いた。
「……別にいいけど」
転がされたボールを足元に止める。
教室の床。上履き。
十分な助走もない狭い空間。
それでも感覚は狂わない。
視線だけで距離を測り、足元のボールを捉え、左足を軽く振り抜いた。
ボールは低い弾道でまっすぐ伸び、黒板前に置かれたソフトボールを正確に弾き飛ばした。
一拍遅れて、教室が歓声に包まれた。
「うおっ、すげぇ!」
「やば」
「これ絶対人気出るって」
笑い混じりの声が飛ぶ。
蓮は戻ってきたボールを足元で止めながら、わずかに視線を緩めた。
こういう空気は、嫌いじゃない。
夏の終わりから、少しずつ秋へ移ろうとしている学校の空気。
試合とは違う熱量。
日常の中にある高揚。
文化祭という二文字だけで、教室全体が同じ方向を向く。
それが少しだけ心地よかった。
「じゃあまた明日なー」
一人、また一人と部活へと向っていくクラスメイトたち。
それでも、教室のざわめきはしばらく収まらなかった。
放課後の窓から差し込む夕陽が、黒板を赤く染めている。
秋が、ゆっくりと近づいていた。
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