表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
俺だけの献立 〜隣のスポーツ栄養士志望が俺の食事を管理するらしい〜  作者: はるくぼ
2年生・秋「それでも、選ぶ」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
121/178

120食目 夏休み明けの朝

 夏休み明けの朝。

 窓の外では蝉の声が途切れることなく降り注ぎ、キッチンには味噌汁の湯気が静かに立ち上っていた。


 焼き鮭。

 だし巻き卵。

 きゅうりの浅漬け。

 炊き立ての白米。


 夏休みの間と何も変わらない朝の食卓。


 向かいに座る蓮は、最後の一口を口に運びながら小さく息を吐いた。


「……うまい」


「それ、毎朝言ってるわよ」


 椿が少しだけ呆れたように返す。

 けれど、その声は柔らかい。


 短いオフの間に積み重なった時間が、朝の光景少しだけ変えていた。


「ごちそうさま」


 蓮が箸を揃えて置き、そのまま立ち上がる。


 椀を重ね持ち、そのままキッチンへ向かう。


 蛇口から流れる水の音。


 蓮が袖を少しだけまくり、手際よく皿を洗い始める。


 その背中を見ながら、椿はふと時計へ視線を向けた。


 普段なら家を出ている時間だ。

 けれど今日は、なぜか足が動かなかった。


 椅子に座ったまま、蓮の背中を見ている。


 水音の向こうで、蓮がふと振り返った。


「……椿?」


「え?」


「今日はまだいるんだな」


 一瞬だけ、言葉に詰まる。


「……うん」


 理由なんて、自分でもよく分からない。

 ただ、もう少しだけこの時間を続けていたかった。


 皿洗いを終えた蓮が手を拭きながら時計を見る。


「そろそろ出るか」


「......そうね」


 それから、蓮が何でもないことのように言った。


「一緒に行くか?」


 その一言に、胸の奥が小さく跳ねる。


「……うん」


 答えた声が、少しだけ柔らかくなる。


 玄関の鍵を閉める音が、夏の朝に小さく響いた。


 並んで歩き出す通学路は、朝からじんわりと熱を返していた。

 陽射しは強く、蝉の声が頭上から降り注ぐ。


 隣を歩く蓮の歩幅に、椿は自然と合わせた。


 肩が触れそうで触れない距離。


 夏祭りの夜、人混みの中で繋がれた手の感触がふいに蘇る。


 あの時は自然だった。

 はぐれないため、という理由があった。


 けれど今は違う。


 ただ、繋ぎたい。


 その気持ちが、自分でも少しくすぐったい。


 椿の右手が、ほんの少しだけ揺れる。


 隣の手に近づける。


 けれど、触れる寸前で引っ込める。


(……何してるのよ、私)


 数歩進む。


 また少しだけ手が動く。


 触れそうで、止まる。


 また戻す。


 その小さな動きを、蓮は横目で見ていた。


 一度。

 二度。

 三度。


 繰り返されるその仕草に、ようやく意味を理解する。


「椿」


「……え?」


 呼ばれて顔を上げた、その瞬間だった。


 蓮の手が自然に伸びる。


 指先が椿の手を捉え、そのまま指を絡めた。


「――っ」


 呼吸が止まる。


 温かい。


 こうして朝の通学路で繋がれる手の温度は、夏祭りの夜とはまた違って感じられた。


「ち、ちょっと、どうしたの?」


 椿が小さく言う。

 蓮は、椿へ視線を落として答える。


「違ったか?繋ぎたかったんだろ?」


 その言葉に、椿の耳が一気に熱くなる。


「……もう」


 小さく呟きながらも、手は離さない。

 むしろ少しだけ握り返す。


 その様子を見た蓮は再び前を向くのだった。


 そして、そのまま校門が見えてきた頃。


「あれぇ?」


 聞き慣れた声に、二人が同時に顔を上げる。

 前方に立っていた陽菜が、にやりと口元を上げた。


「朝から何してるの、二人とも」


 視線が、繋がれた手へ落ちる。


「へぇ〜……」


 意味深に目を細める。

 その瞬間、椿の心臓が大きく跳ねた。


「っ……!」


 反射的に手を引こうとする。


 けれど、離れない。

 指先はしっかりと蓮の手に包まれたままだった。


 優しく、けれど離れる余地はない。


 椿が小さく隣を見上げる。

 蓮は何事もない顔で前を見たままだった。


「……れ、蓮くん」


「ん?どうした?」


「……なんでもない」


 そう答えるしかなかった。


 陽菜はそのやり取りを見て、ついに吹き出した。


「ちょっと待って、何その感じー」


「ち、違うのよ、これは……!」


「違わないよね?」


 にやにやと笑いながら陽菜が覗き込む。

 蓮はようやく口を開いた。


「別に、一緒に登校してるだけだが」


「手まで繋いで?」


「……ああ」


 あまりにも自然な返答に、陽菜が腹を抱えて笑い出す。


「はいはい、ごちそうさま!」


 そのまま三人で校門を抜ける。


 当然、周囲の視線が集まる。


「あれ、天根くん?」

「橘さんと一緒」

「え、手……」


 小さな囁きがあちこちで弾ける。


 椿の耳がじわりと熱を持つ。

 けれどもう、離そうとはしなかった。


 そのまま校舎の分岐まで歩いていく。


 右がスポーツ科棟。

 左がスポーツ栄養科棟。


 蓮は椿の手を引いたまま、左――スポーツ栄養科棟の方へ足を向ける。


「……え?」


 椿が思わず顔を上げる。


「蓮くん、そっちじゃ」


「送る」


 短く、当然のような一言。


 陽菜が後ろで肩を揺らしながら笑った。


「はいはい、じゃあ私は先行ってるねー」


 そのまま先に棟へ入っていく。


 スポーツ栄養科棟の玄関前で、ようやく足が止まる。


「じゃあ、ここで」


 蓮が手を離す。

 指先から、すっと温度が抜ける。


 その一瞬だけ、胸の奥が小さく空いたような感覚がした。


「あ……うん」


 答えながらも、足がすぐには動かない。


 もう少しだけ、このままでいたい。

 そんな気持ちが自然に浮かぶ。


「どうした」


「……なんでもない」


 小さく首を振る。


 けれどその声には少しだけ名残が滲んでいた。


 蓮は一瞬だけ椿の表情を見る。

 それから、ほんの少しだけ口元を緩めた。


「また放課後な」


 その一言で、胸の奥の空白がふっと埋まる。


「……うん」


 今度は自然に笑えた。


 蓮が背を向け、スポーツ科棟の方へ歩いていく。

 その背中を見送ってから、ようやく椿も校舎へ入る。


「で?」


 入った瞬間、柱の陰から、待っていたように陽菜が顔を出した。


「……っ、びっくりした」


「びっくりしたのはこっちだよ」


 にやり、と口元が上がる。


「まさか校舎前まで送ってもらうとはねぇ」


「ち、違うわよ。たまたま……」


「たまたまで科違いの棟まで来る?」


 即座に詰められ、椿が言葉を失う。


「しかも、離れたあとちょっと寂しそうだったし」


「なっ……!」


 頬が一気に熱くなる。


「夏休み明け早々、ごちそうさま」


 陽菜の茶化す声の中、椿の胸にはまだ、さっきまでの手の温度がはっきりと残っていた。

ここまでお読みいただきありがとうございます!


「おもしろい」「続きが気になる」と思っていただけたら、ぜひ下の【☆☆☆☆☆】やブックマークで応援をお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ