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俺だけの献立 〜隣のスポーツ栄養士志望が俺の食事を管理するらしい〜  作者: はるくぼ
2年生・夏「変わったけど、変わらない」

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115/159

114食目 夏支度

 朝の部屋は、試合のない静けさに包まれていた。


 カーテンの隙間から差し込む夏の陽射しが、床に細い線を落としている。目は覚めていた。だが、身体が起き上がる理由を見失ったまま、蓮はベッドの上でぼんやりと天井を見上げていた。


 全国優勝から一夜。


 昨日まで身体の芯に張り詰めていた熱だけがまだ残っている。

 だが、今日は練習もない。走る理由も、ボールを蹴る時間もない。


 その静けさを破るように、寝室のドアがノックされる。

 続いて、聞き慣れた声が聞こえてくる。


「蓮くん、起きてるの?」


 返事をする前に扉が開いた。


「オフだからってだらだらしないの。ほら、朝ごはんできたから顔洗ってきなさい」


 そう言って部屋へ入ってきた椿を見て、蓮は一瞬だけ目を止めた。


 いつものパーカーじゃない。

 淡い色のブラウスに、膝下までの軽いスカート。髪もいつもより少し丁寧に整えられていて、夏の朝の光を受けて柔らかく見える。


「……分かった」


 短く返して身体を起こす。


 食卓につくと、いつもの朝の温度がそこにあった。


 焼き鮭。

 だし巻き卵。

 冷やしたトマト。

 味噌汁。

 炊き立ての白米。


 湯気の向こうで、椿が向かいに座る。

 箸を手に取ったところで、蓮はふと口を開いた。


「今日、おしゃれだな」


 椿の動きが止まる。

 蓮は気づかず、そのまま続けた。


「やっぱり、そういうのも似合ってるな」


 数秒、部屋の空気が止まった。

 椿の箸先がわずかに震える。


「…………」


 耳の先が熱を持つ。


「……き、今日、陽菜と出かけるから」


 ようやく絞り出した声は、少しだけ硬かった。


「そうか」


 蓮は味噌汁を一口飲んでから、何でもないように続ける。


「じゃあ、駅まで送るよ」


「っ――」


 今度こそ、椿が完全に固まった。

 危うく箸を落としそうになって、慌てて持ち直す。


「な、なんでそうなるのよ……」


「駅だろ?待ち合わせ」


「そ、そうだけど……」


 優しさに悪意がない。

 だから余計に困る。


 誤魔化すように、椿は視線を逸らした。


「……蓮くんは、出かけたりしないの?」


 問い返すように言う。

 蓮は少しだけ考えるように視線を上げた。


「ああ、そういえば」


 スマホの通知を思い出したように言う。


「明後日、サッカー部でプール行くって誘われてたな」


 椿の箸先が止まる。


「……プール?」


「ああ。オフだし、みんなで遊ぶらしい」


 一拍置いて、蓮が自然に続けた。


「椿も来るか?」


 その言葉に、胸の奥が一瞬だけ跳ねた。

 けれど、それより先に理性が口を開く。


「……え。でも」


 視線が揺れる。


「男だけでしょう? 私が行ったら邪魔じゃない?」


 サッカー部のオフ。

 しかもプール。

 自分がそこに混ざる絵が、一瞬うまく想像できない。


 だが蓮は首を傾げただけだった。


「いや、マネージャーたちも来るって言ってた」


「……は?」


 思わず素の声が漏れた。

 マネージャーも来る。


 つまり女子もいる。

 胸の奥が、さっきとは別の意味でざわついた。


(……なんでそんな大事なことを省いてんのよ!)


 一瞬で頭の中に浮かんだ光景を、慌てて振り払う。


「……行く」


「ん?」


 小さく零した声に、蓮が聞き返す。


「だから!」


 思わず声が大きくなる。


「行くって言ってるの!」


 一拍遅れて、蓮が頷いた。


「そ、そうか……じゃあ、そう伝えとくな」


 何でもないように返されて、椿はますます落ち着かなくなった。




 昼前の駅前は、夏休みらしい人の多さで賑わっていた。

 陽菜は椿の顔を見るなり、にやりと口元を上げた。


「あれぇ?」


「なによ」


「なーんか今日、機嫌いいじゃん」


「別に」


 即答だった。

 だが、その返しの速さ自体がもう怪しい。


 陽菜は笑いを噛み殺しながら椿の隣を歩く。


「何から買いに行く?」


 椿は一瞬だけ言葉を選んだ。


「……水着」


「え?」


 今度は陽菜が素で止まった。


「プールかどっか行くの?」


「ええ……明後日ね」


 陽菜が笑みを深めて聞いてくる。


「へぇ〜?誰と?」


「蓮くんと……あと、サッカー部の人たちと」


「へぇぇぇぇ?」


 声音が一段上がる。

 椿は耳まで赤くしながら前を向いた。


「マネージャーも来るって言ってたから!」


「不安なんだ??」


 陽菜が笑いを堪えきれない。


「っ!違うから!その、誘われたからよ」


「うんうん、なるほどねぇ」


 陽菜の目が完全に面白がっている。


 その後、水着売り場で散々からかわれた後、二人は雑貨店へ入った。


 椿の足が、ある棚の前で止まる。

 並んだマグカップ。


 色違いの、シンプルな二つ。


 白と紺。

 指先が、自然とその二つを手に取っていた。


「それ、買うの?」


 陽菜が横から覗き込む。

 椿は少しだけ視線を落として頷く。


「……ええ。蓮くんの、優勝のお祝いに」


「いいじゃん、お揃い」


「……うん」


 恋人になってから、形に残るものを渡すのは初めてだった。


 紙袋の中に入った水着と、小さな箱。

 その重みが、椿の夏の始まりを静かに告げていた。

ここまでお読みいただきありがとうございます!


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