103食目 見られる
夏の陽射しが、スタジアムのトラックを白く照らしていた。
各地区を勝ち抜いてきた代表校が、入場順に整列している。色もデザインも異なるユニフォームが並ぶ光景は、地方大会までとは明らかに空気が違った。スタンドから降り注ぐ歓声、開会を告げるアナウンス、照り返す熱気。そのすべてが、全国の舞台であることを嫌でも意識させる。
常盤台高校の列が入場口付近へ進んだ瞬間、周囲の視線が一段だけ濃くなる。
「……天根だ」
「去年のインハイ、準決勝前に抜けてたな」
「ドイツ契約のため離脱したってやつな」
小さな声は、ざわめきの中に溶けながらも確かに耳へ届いていた。
蓮は視線を前へ向けたまま歩く。
去年の全国を思い出す。
準々決勝まで勝ち進み、次が準決勝だった。
その直前、ドイツのクラブとの正式契約のために日本を離れた。全国の舞台の途中で主力を欠いた常盤台は、そのまま敗れた。
冬の選手権は、県予選で敗退。
その結果も含めて、今年の常盤台には去年とは違う視線が集まっている。
「今年は最初から最後までいるってことか」
「去年の続きみたいなもんだな」
「今年の注目株は、まず天根だろ」
前方を歩く桐生が小さく息を吐いた。
「ずいぶん見られてるな」
隣から若葉が声を潜める。
「そりゃそうですよ。去年ニュースになってましたし」
それでも蓮の歩幅は変わらない。
「レッテルで見られてるだけですよ」
短い返答に、若葉は横目でその横顔を見た。
全国の舞台。
他校の視線。
報道で知れ渡った名前。
それでも蓮の表情に変化はない。
去年もこの舞台に立った。
途中で去った。
その続きを、今年は最後までやるだけだ。
スタンドの一角で、椿もまた整列した常盤台の列を見ていた。
去年とは、明らかに違う。
あの時も“海外帰りの一年生”として警戒されていた。
今年は違う。
”海外へ行く選手”として、より強い警戒と対策の目を向けられている。
それは、この会場にいる全員が知っている事実。
だからこそ、今年のインターハイの中心が誰なのかも、誰もが理解していた。
アナウンスが響く。
「続いて、昨年度ベスト4、常盤台高校」
歓声が一段大きくなる。
蓮はその音を背に受けながら、スタジアムの中央へ視線を向けた。
青く切り取られた夏空。
整えられた芝。
照り返す熱。
この舞台は、もう知らない場所ではない。
だが、去年とも違う。
去年、途中で途切れた全国。
今年は、その続きを自分の足で最後まで紡ぐ。
開会を告げるブラスバンドの音が高く響いた。
インターハイ本戦が幕を上げる。
開会式が終わり、一回戦のピッチへ向かう通路でも、視線は途切れない。
常盤台の初戦の相手は関東代表・白峰高校。
試合前の整列の中で、相手のボランチたちが小さく呟いている。
「今年の映像、何度も見た」
「中央で自由にやらせるな」
その声を聞きながら、蓮は無言でスパイクの紐を締め直した。
ホイッスルが鳴る。
開始直後から、白峰の狙いは明確だった。
中央を締める。
蓮への縦パスを切る。
受ける前を潰す。
誠和との予選を見ていれば当然の対策だった。
若葉が中盤でボールを持つ。
前線には蓮。
だが、その間には白峰のボランチが二枚、明確にコースを消している。
「行かせるな!」
声が飛ぶ。
それでも若葉は迷わず足を振り抜いた。
一直線で、シュート性に近い速度で中央を走り抜ける一本。
観客席の空気が張る。
だが次の瞬間、蓮の右足がその勢いを当然のように吸収した。
収めた瞬間にはもう体が半身で前を向いている。
「……っ!」
寄せた白峰のボランチが肩を当てる。
それでも軸がぶれない。
冬から積み上げた身体が、接触をそのまま流す。
体勢を崩さず、左へ展開。
ボールが鋭くサイドへと走った。
そこから一気に常盤台の攻撃は加速する。
左へ展開されたボールが相手守備を広げ、その折り返しを中央で受けた蓮は、ダイレクトで桐生の裏へ通した。
そして、スタンドにどよめきが走ったのは、前半が終わる前のシーンだった。
再び中央で受けた若葉が、蓮へとパスを通す。
強力な回転を纏ったボールは、芝生の上でイレギュラーなバウンドをする。
しかし、そんなボールを蓮はダイレクトで捌いた。
勢いや回転を吸収し、今度は右サイドの裏へつながる完璧なスルーパス。
「は……?」
スタンドから思わず漏れる声。
開始直後のトラップですら、驚愕に値するプレーだった。
しかし、今のパスは理解の範疇を越えている。
スルーパスがラインの間を裂き、そのまま抜け出した右サイドの選手が切り込み、左足で流し込む。
ネットが揺れ、歓声が爆発する。
だが、会場全体に広がったのは歓声だけではない。
畏怖だった。
「去年より、明らかに止まらない」
「なんであれをダイレでさばけるんだ……」
白峰の監督がベンチ前で歯を食いしばる。
「中央の圧を上げろ!」
「もっと寄せろ!」
だが、止まらない。
後半も同じだった。
白峰は蓮へ寄せる。
止めようとする。
奪いにいく。
それでも、あっさりと次の一本が通る。
さらにその次も。
どれだけ速くても、どれだけ強くても、足元に収まる。
収めた時には、もう前を向いている。
試合終了の笛。
スコアは三対〇。
内容以上に、会場へ残った印象は一つだった。
常盤台の中心は、やはり天根蓮。
しかも去年より明らかに完成度が高い。
スタンドの通路を引き上げる他校の選手たちの間で、静かな声が広がる。
しかし、その声の中に別種の声も混じっていた。
「へぇ、なるほど……」
静かな声は、試合の熱から切り離された温度を持っていた。
「潰すのは、天根じゃないね」
夏の波乱は、誰にも読めない。
その声は、スタンドに広がるどよめきに溶け込んでいった。
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