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俺だけの献立 〜隣のスポーツ栄養士志望が俺の食事を管理するらしい〜  作者: はるくぼ
2年生・夏「変わったけど、変わらない」

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105/148

104食目 見抜かれた起点

 準々決勝の朝、スタジアムには前日よりも一段濃い熱気が満ちていた。トラックを照り返す陽射しは朝の時点でも十分に強く、ピッチの芝の上には薄い揺らぎが立っている。通路を歩く常盤台の選手たちへ向けられる視線も、昨日とは明らかに質を変えていた。ただ強豪校を見る視線ではない。全国の舞台で、天根蓮を擁するチームを見る、明確な警戒の目だった。


 すれ違う他校の選手たちの声が、ざわめきの中に断片的に混じる。


「昨日の試合、見たか?」

「見た。あれは中央で自由にさせたら終わる」

「二枚、いや三枚で囲まないと無理だろ」


 その声を横で聞きながら、若葉が小さく息を吐いた。


「完全に先輩中心の対策っすね」


 その隣を歩く桐生は前だけを見たまま小さく笑った。


「当然だろ」


 そこに揺れはない。少し前を歩いていた蓮が、その一言を聞いて返す。


「なら、その分空く場所も決まってます」


 若葉の目がわずかに細くなる。言葉にしなくても意味は分かる。今日の試合は蓮個人の突破を見せる場ではなく、蓮へ人数を使わせた先で常盤台がどれだけ前へ進めるかを見せる場になる。


 準々決勝の相手は東北代表・北嶺学院。

 キックオフ直後から、その狙いは誰の目にも明らかだった。最終ラインから若葉へボールが入る。若葉が半身で受けて顔を上げた瞬間、前方の蓮にはすでに二人のボランチが身体を寄せ、さらにセンターバックが半歩前へ出て中央のライン間を圧縮していた。


「中央消せ!」

「天根に入れるな!」


 ベンチから飛ぶ声に合わせるように、蓮の周囲へ守備が収縮していく。


(やっぱりそう来るっすよね)


 若葉は一度だけ首を振った。蓮に人数を使う。なら、その外が空く。

 中央へ意識を寄せた分だけ右のハーフスペースにわずかな空白が生まれていた。若葉はそれを見て、右足を振り抜く。鋭い縦パスがライン間を裂き、その一本を桐生が背負いながら受ける。


「任せろ!」


 桐生がワンタッチで右サイドの裏へ落とし、局面が一気に加速する。常盤台の攻撃が滑らかに前進し、観客席から低いどよめきが漏れた。


「天根を見すぎた……」

「いや、見たから空いたんだろ」


 その声が、今の構造をそのまま言い当てていた。去年の常盤台なら、蓮に入らなかった時点で一度テンポが落ちていた。だが今は違う。蓮へ二枚、三枚と人数を割けば、その分他のスペースを使う。春から積み上げてきた形が全国の舞台でも崩れずに機能していた。


 前半二十三分。再び若葉が中盤でボールを持つ。今度は相手の寄せも一歩速い。それでも蓮へ二枚ついている以上、中央の重心はどうしても内側へ寄る。


(空くのは左)


 若葉は今度は左へ散らした。サイドバックがオーバーラップし、そのまま深く侵入する。折り返しに桐生が飛び込み、右足を振り抜いた。ネットが揺れた瞬間、スタジアムの熱が一段跳ね上がる。


 一対〇。


 若葉は拳を握りながら無意識に蓮を見る。蓮は小さく頷いただけだったが、その視線に込められた信頼は十分に伝わった。自分に入らなくてもチームが進める。その形がもう出来上がっている。


 前半終了間際、北嶺学院はさらに蓮へのマーク枚数を増やしてきた。中央で蓮が動くたびに三枚。だが、その分若葉の前には明確な時間が生まれる。

 若葉は前線の動き出しを確認し、右サイドの裏へ鋭いスルーパスを差し込んだ。抜け出したウイングが深くえぐり、最後は桐生が押し込む。


 二対〇。


 前半終了の笛が鳴った時、常盤台のロッカールームに過度な高揚はなかった。監督がホワイトボードを軽く叩く。


「よく見えてる」


 その視線は若葉へ向く。


「天根に人数を使えば、その分外が空く。そこをしっかり使えてる」


「はい」


 若葉が短く返す。


「去年なら、ここに入らないだけで止まっていた。だが今は違う。チームとして崩せている」


 その言葉に全員の表情が締まる。成長。それを全国で証明している実感があった。


 後半も流れは大きく変わらなかった。

 北嶺学院は蓮へのマークを崩さない。だが、その分だけ若葉の視野は広がる。中央、外、裏。空いた場所へ的確にボールを差し込み、常盤台は相手を押し込み続けた。三点目こそ生まれなかったが、試合の主導権は最後まで渡さないまま、終了の笛が鳴る。スコアは二対〇。歓声の中、常盤台は準決勝進出を決めた。


 その試合をスタンド最前列で見下ろしていた一団が、周囲の歓声とは切り離された静けさの中で立ち上がる。胸元には西条南高校のエンブレム。準決勝の対戦相手だった。


「……なるほど」


 低く声を落としたのは、西条南の主将・朝倉だった。視線はピッチから引き上げる常盤台の背中、その中でも若葉へ向いている。


 隣にいたチームメイトが問いかける。


「どう止めます?天根」


 朝倉は短く息を吐いた。


「天根じゃない」


「え?」


「確かに、天根は野放しにできない。

 でも、そこに意識を使うほど、他が前を向けてしまう」


 視線の先で、若葉が桐生と言葉を交わしている。


「だから、潰す場所はそこじゃない」


「じゃあ、どこを?」


 返ってきた答えは静かだった。


「天根に出る前」


 その一言に、隣の選手の表情が変わる。朝倉はなおもピッチを見下ろしたまま続けた。


「誠和は天根に入る瞬間を潰していた。でも今の天根にはそれじゃ遅い」


 若葉から蓮へ。そこへ至る一本のラインが頭の中に浮かんでいるのが、その横顔から分かった。


「流れの入口を断つ」


 そう言い残すと、西条南の一団は席を離れた。歓声の残響が響く通路を抜けても、誰も無駄口を叩かなかった。


 夕方、宿舎へ戻るバスの車内でも空気は静かだった。窓の外を流れる街路樹と白い壁、信号待ちで止まる車列、そのどれにも西条南の選手たちの意識は向いていない。

 朝倉は二列前の席でタブレットを開き、先ほどの試合映像を止めては戻し、止めては戻す。若葉が受ける角度。蓮の立ち位置。蓮へ二枚ついた瞬間に生まれる外側の空白。そこへ差し込まれる一本。頭の中で整理されていくのは個の印象ではなく、流れの構造だった。


 夜のミーティングは、夕食と軽い調整を終えた後に始まった。西条南のロッカールームには試合映像が投影され、ホワイトボードの中央には10番、その後方には16番のマグネットが置かれている。監督が赤いマーカーで二人を結ぶ線を引く。


「そして誠和の試合は見たな」


 全員が頷く。


「誠和は天根に入る瞬間を潰した」


 映像が止まる。蓮が受ける直前に寄せる守備。パスを見て、入る前に止めに行く。


「だが、それでは止まらなかった」


 次に今日の準々決勝の映像が映る。蓮に二枚、三枚と寄る北嶺学院。その外で前を向く若葉。若葉から外へ、裏へ、足元へと配られるボール。


「今日の北嶺は天根に人数を増やした。だが結果は同じだ」


 一拍置いて、監督のマーカーが若葉を叩く。


「理由は単純だ。後ろが前を向けているからだ」


 ロッカールームの空気が静かに張り詰める。


「核は天根だ。そこは変わらない」


 その前提を先に置いた上で、監督は言葉を重ねる。


「そして今の常盤台の攻撃は、柏原から天根へ入るラインで始まっている」


 赤いマーカーが若葉から蓮へ伸びた線をなぞる。


「誠和のように天根に入る瞬間を潰す。北嶺のように天根へ人数を増やす。どちらも間違いではない。だが、今の常盤台には足りない」


 選手たちの視線が一斉にホワイトボードへ集まる。


「潰すのは天根じゃない」


 低く落ちた次の言葉が、部屋の温度を変えた。


「天根に出す所だ」


 誰も口を挟まない。


「天根に出る前を潰す。出しどころを消す。後ろからの展開を止める」


 赤いマーカーが若葉から蓮へ向かう線を大きく塗り潰した。


「この16番だけではない。他の選手含め、天根以外へ強く行く。ただし、ただ突っ込むんじゃない」


 監督は守備の立ち位置を補足するように磁石を動かす。蓮へのコースを消しながら、若葉に寄せる一枚。さらに横パスへ限定し、前を向く時間を奪う位置取り。


「意図的に天根へのコースを消しながらボールホルダーへ圧をかける。そうすれば、奴らの時間を奪える。」


 主将の朝倉が口を開く。


「天根に入れないだけではないですよね」


「そうだ」


 監督は即答した。


「今日の試合、特にこの16番からのパスが目立った。だがそれは、彼が自由であるからこそ生まれている。

 余裕を奪え、思考の時間を奪え。天根は一人しかいない」


 監督の言葉に、選手全員が頷く。


「この対策の核は、天根を試合から消しながら、常盤台全体を止めることにある。

 誠和の対策の先を行け」


 監督は、全体を見渡しながら最後に伝える。


「明日、常盤台の流れを天根以外から断つ」


 その言葉が落ちた瞬間、ロッカールームの空気が静かに牙を剥いた。潰されるのは蓮ではない。その手前にいる起点、その起点から核へ伸びるラインそのものだと、誰もが理解していた。


 同じ夜、常盤台の宿舎では明日の対戦表を見つめる若葉の指先が、無意識に名前の上で止まっていた。準決勝、西条南。全国の舞台は一つ勝つごとに対策の深さを増していく。今日までのやり方が、明日もそのまま通る保証はない。だが、その不確かさの向こうにあるものまで、若葉はまだ見切れていなかった。


 準決勝の朝、断たれるのはどこか。まだ誰も知らないまま、夏の夜だけが静かに更けていった。

ここまでお読みいただきありがとうございます!


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