表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
俺だけの献立 〜隣のスポーツ栄養士志望が俺の食事を管理するらしい〜  作者: はるくぼ
2年生・夏「変わったけど、変わらない」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
102/146

101食目 肩紐

 期末試験が終わり、校内にようやく夏休み前の空気が流れ始めた頃だった。

 廊下では旅行や遊びの予定を話す声が増えているのに、グラウンドの熱だけは少しも軽くならない。むしろインターハイ本戦を目前に控えたサッカー部の空気は、去年のこの時期よりも静かに張り詰めていた。


 練習後、給水に集まった部員たちの間で、自然と合宿の話題が上がる。


「そういや天根、今年も橘さん来るのか?」


 二年のDFがタオルで首元を拭きながら何気なく尋ねた。隣にいた三年の控え組も、ああそれ気になる、と笑い混じりに乗ってくる。


「去年の合宿、マジで別物だったからな」

「食堂の空気まで変わったし。あのスープ、今でも覚えてる」


 蓮はボトルの水を飲み干し、短く息を吐いてから視線だけを向けた。


「さあ」


「知らないのかよ」


「必要なら来るんじゃないか?」


 いつものように淡々とした返答だったが、それ以上誰も深く突っ込まない。

 去年の一週間を経験した部員たちにとって、橘椿の帯同はすでに特別な話題ではなく、チームの調整の一部として自然に認識されていた。


「まあ、橘さんならそうか」

「今年は去年以上に暑いらしいし、来てくれると助かるなー」


 そう言いながら部員たちは部室へ散っていく。蓮もバッグを肩に掛けて歩き出したが、引っかかりを覚えて足が止まる。

 そのまま踵を返し、校舎にいる監督の元へ向かう。


 監督室の前にたどり着いた時、開いたままの扉の向こうに、見慣れた横顔が見えた。


 机の前に背筋を伸ばして座り、手元の資料を相模へ差し出している。

 去年の夏、初めてこの部屋に呼ばれていた時の、あの僅かな緊張感はもうない。そこにいること自体が、もう自然だった。


 蓮は一瞬だけ足を止めたが、そのまま何も言わずに壁にもたれかかった。



 監督室の中では、相模が日程表を机に広げながら椿へ視線を向けていた。


「改めてお願いするわ。今年も合宿に帯同してほしいの。去年の成果はもう誰も偶然だなんて思ってない。今年もインターハイ本戦前の最終調整になるから、Aチームの管理をお願いしたいわ」


 椿は資料を閉じ、静かに頷いた。


「わかりました」


 監督は呆気にとられたような表情を浮かべる。


「……いいのか?また天根を優先的に見ると言い出すと思っていたが」


「本心では、そうです。でもチームの底上げが彼の助けになると判断しました」


 そこで相模も口を開く。


「ならなおさらAチームを任せたいわ。それ以外は私が他の実習生と見るわね。

 去年よりも役割を絞った方が、あなたの強みも活きるでしょうし」


「ありがとうございます。ただ、サポートは必要です。仕込みとデータ管理を一人で回すのは非効率ですから」


「葛城くんは今年もいるから、彼と一緒にやって」


 その名前に椿は小さく頷いた。


「分かりました。葛城先輩なら連携に問題ありません」


 去年、半信半疑で自分を見ていた先輩。だが今は違う。


「去年のデータも残っているし、今年は初日からかなり詰められるわね」


「はい。気温と湿度の予測も更新済みです。去年よりも脱水リスクが高いので、水分補給のタイミングは前倒しします」


 相模はその即答に小さく笑う。


「ほんと、あなたがいると話が早いわ」


 話がまとまり、椿は資料を抱えて立ち上がった。

 廊下へ出ると、すぐそばに蓮が立っていた。


 夕方の赤い光が廊下に差し込み、窓の外からは自主練のボールを蹴る音が響いてくる。その中を2人は並んで歩く。


「決まったのか」


 蓮が先に口を開く。


「ええ。今年も行くわ。

 ……今年はAチームを見ることになったわ」


「そうか」


 相変わらず短い返答だったが、その言葉に含まれる当然さが去年とは違う。


 椿は、蓮の肩に掛かったバッグの紐がねじれているのに気づいて、無言で整えた。指先が一瞬だけ制服の肩口に触れる。

 だがそれもごく数瞬の話。誰かに見られることはなかった。


「水分、もう一本飲んでおいて。今日は気温高かったから」


「分かった」


「あと、夜更かしは禁止よ」


「わかってるって……母さんか、お前は」


 たったそれだけの会話。

 それでも去年の合宿前とは、明らかに空気の温度が違っていた。


 椿が先を歩き、その背中を蓮は数秒だけ見送る。


 去年は、合理的な契約関係の延長だった。

 今年は違う。

 それでも、形は何も変わらない。


 食事の管理、補給の確認、睡眠への注意。言葉にしていることは去年とほとんど同じなのに、胸の奥に落ちる感覚だけが少し違った。


 その違いを、蓮はまだ言葉にしない。


 マンションへ戻った夜、食事を終えた蓮に椿が話しかける。


「これ、明日の移動中用。去年と同じだけど、今年は気温高いから少し成分を変えてるわ」


 差し出されたのは小さな保冷バッグだった。

 蓮が受け取ると、椿はそのまま自然に言葉を続ける。


「朝渡そうかと思ったけど、他の準備に時間取られるかもしれないから」


「分かった。いつもありがとうな」


 短い確認だけで会話は終わる。

 だが、椿はじっと蓮の顔を見つめていた。


「……どうした?」


 蓮が問い返すと、椿はそこでようやく視線を逸らす。


「別に。ただ、去年も同じようにこうしてたなって思っただけ」


 その言葉に、蓮も一瞬だけ去年の夏を思い出す。


 初めての合宿前。

 実習生として帯同する椿。

 合理だけで成立していた距離。


 そして今。


 同じ景色のはずなのに、隣に立つ彼女の存在が、去年よりもずっと近い。


「同じではないだろ」


 短く返すと、椿は小さく首を傾げる。


「去年よりは、椿のことも知ってる。

 もう一方通行じゃない」


「……ほんと、ずるいわ」


 それだけ溢すと、椿はそのまま自宅へと戻る。

 ドアが閉まる音がして、廊下に静けさが戻る。


 蓮は手元の保冷バッグへ視線を落とした。


 去年と同じ準備。

 去年と同じ合宿。

 去年と同じ景色。


 それでも、自分たちはもう同じではない。


 夏の入口は、静かに開いていた。

ここまでお読みいただきありがとうございます!


「おもしろい」「続きが気になる」と思っていただけたら、ぜひ下の【☆☆☆☆☆】やブックマークで応援をお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ