◇142 サクラリエル式消火法
さっぶい!
琥珀さんに乗って飛び出したは良かったが、この寒空の下、普通の服だけでは無理がある。しまった、ダウンジャケットを着てくりゃよかった!
「こ、琥珀さん、ちょっと止まって!」
『む、どうした?』
あまりの寒さに一旦琥珀さんに走るのを止めてもらって、【在庫保管】で死蔵していた試作品のダサいダウンジャケットを着ることにする。
くう、オシャレなやつも入れとくべきだったか……。
四十秒もかからず着終わると、再び琥珀さんの背に飛び乗った。
「よし、行って!」
ダウンジャケットを着たお陰で寒さはなんとか耐えられる。しかし、第一区から第三区までは騎士団の検問所があり、許可がない者は通れない。
身分と事情をちゃんと話せば通してくれるかもしれないが、ここで時間を費やすわけにはいかない。
『飛び越えるぞ。しっかり掴まっていろ』
「うひっ……!」
区画の高い壁を琥珀さんが一気に飛び越える。さすが神獣、高い壁もひとっ飛びだ。
第二区に無断侵入した私たちは、そのまま全力で街中を駆け抜ける。
「ひいっ!?」
「なんで虎が!?」
「助けてえ!」
街中を歩いていた人たちが、琥珀さんを見てパニックになっている。あちゃー……そりゃこうなるよね……。
『面倒だ。上から行くぞ』
「え?」
どういうこと? と確認する間もなく、琥珀さんは家の壁と壁の間を三角跳びで駆け上がり、三階建ての屋根の上へと登ってしまった。
そしてそのまま、屋根から屋根へと飛び移り、まっすぐに火事の現場へと向かっていく。
第三区は平民でも裕福な人たちが住む地区だ。建物も普通の建物とは違って、あらゆる対策がなされている。
耐火の付与もその一つ。火が消えれば建物自体はまだ残るのかもしれない。だけども逃げ遅れた人たちは……!
第二区の屋根を駆け抜けて、私たちはついに第三区へと辿り着いた。
屋根から飛び降り、パメラ先生のアパートだと思われる火災現場へと一直線に向かう。
「と、虎だっ!?」
「ひいぃ! 食べないでぇ!」
パニックになる人たちを無視し、火災現場へと辿り着いた時には、すでに消火するのは困難と思われるほど、そのアパートは燃え盛っていた。
そんな……この火の勢いじゃもう……!
『大丈夫だ。まだ死んではおらんようだぞ』
「ほ、ほんと!?」
ごうごうと燃えるアパートを睨みながらそう言い放った琥珀さんに私はわずかな希望を見つける。
『水と風の魔法で炎と煙を凌いでいるようだ。しかしそれもあと僅かしか持つまい。む?』
「ど、どうしたの?」
『あの「ちゃらお」とか言ったか? あの男が中に飛び込んだようだな。音楽教師のところへ向かっている』
ちゃらお……? チャラ男って、ジェレミー先生!? まさか、この火の中に飛び込んだの!? なんて無茶なことを……!
ど、どうしよう! 私が余計なことを報せたから!? まさかパメラ先生だけじゃなく、ジェレミー先生も亡くなってしまうルートに入ってしまった……!?
とにかく消火だ。すぐに火を消さないと! でもどうやって!?
「琥珀さんの力でこの火は消せないの?」
『我は風の力を得意とする。水は苦手だ。火を吹き飛ばせんこともないが、この建物まで吹き飛んでしまうぞ?』
それじゃあ火を消せても意味がない……!
あ、【店舗召喚】でお店を呼び出して、外についている水道から水を……ダメだ、周りに私の店を呼び出せるような広いスペースがない。おにぎり屋やキッチンカーなら喚べるけど、おにぎり屋には水道はないし、キッチンカー内のウォータータンクではとても消火できる量じゃない。
考えろ……! なにか、なにか方法があるはず……!
私は燃える炎を睨みながらめまぐるしく思考を加速させていた。
◇ ◇ ◇
気がついた時にはもう火の手が回っていた。
フィルハーモニー公爵家から帰り、沸かした湯で身体を拭いた後、毎日の日課である楽器の練習を少しこなした。
このアパートは防音の付与がされていて、中の音は外に漏れないし、また、外からの音もある程度遮断する。
家賃がかなり高かったが、ここ以上の設備はなかったため即決した。
今になって思うと、まさかそれが仇になるとは。
ベッドに入り、うとうととし始めたころ、
「火事だー!」
という叫びに私は目が覚めた。防音の付与が機能していない。
まさか、と思ったが、すでに部屋には煙が充満し始め、窓から火の手も上がっていた。家が、このアパートが燃えている!?
「あ、【水幕防御!】」
咄嗟に魔法を放ち、半球型の薄い水の防御壁がベッドと私の周りを包む。
この魔法は動くと解除されてしまうが、火炎耐性に優れている。【火炎の矢】くらいなら何本か防ぐこともできるくらいだ。
風魔法も併用し、煙を寄せつけないようにする。火事の煙には、毒素が含まれていると『学院』で習った。吸ってしまうと、意識を失い、そのまま死んでしまうと。
なんとか火と煙から身を守ることはできたが、ここからどうしたらいいのかわからない。
動くことも逃げることもできないのだ。このままではいずれ魔力が尽きて焼け死んでしまうだろう。私の魔力ではもう一度【水幕防御】を展開することはできない。
窓は火で塞がれ、ドアは半分焼け落ちている。その先の廊下は煙で充満して先が見えない。なんとか魔法師団が駆けつけてくれて、消火してくれることを祈ることしかできないのだ。
ふと、ベッドの横に立てかけてあったエレキギターを火の手から守るように引き寄せる。
私の宝物。新しい音楽を教えてくれた、サクラリエル様から譲ってもらった青いエレキギター。
この子に出会えてまだ数ヶ月しか経っていないが、間違いなく最高の日々だった。
そんな最高の思い出を抱いて人生の最後を迎えるのなら、それも悪くないのではないか、とさえ思ってしまう。
心残りがあるとすれば、フィルハーモニー公爵家での演奏ができなかったことと、あの人を残して逝くことだけ……。
「パメラ! 無事か!」
「っ、ジェレミー!?」
私が全てを諦めようとしたとき、半分燃え尽きていたドアを蹴り破って婚約者のジェレミーが駆け込んできた。
ジェレミーは私を見つけると、すぐに【水幕防御】の中へと滑り込んできた。そのままずぶ濡れの彼に強く抱きしめられる。
「無事でよかった……!」
「貴方、どうしてここに……!」
「はっ、大切な人を守るためなら、たとえ火の中、水の中ってやつだよ」
キザっぽくウインクしながらおどけた風に答えるジェレミー。
馬鹿じゃないの? 本当に火の中に来る人がいる? こんな状況なのに、私はおかしくて吹き出してしまった。
彼が駆けつけてくれたことは嬉しいし、心強い。だけど状況はさらに悪くなった。二人でここを切り抜けるのはやはり不可能だろう。私のせいで自分だけじゃなく、彼まで……。
「大丈夫だ。俺がここに来たのはサクラリエル様がお前の危機を教えてくれたからだ。すでにあの方も動かれていると思う。【聖剣の姫君】だぞ? 必ず俺たちを助けてくれるさ!」
「なによ、結局人任せなんじゃない!」
ジェレミーのその言葉に呆れると同時に、何故だかストンと根拠のない安心感を覚えた。
サクラリエル・ラ・フィルハーモニー様。ちょっと変わった幼い御令嬢。【聖剣】を持ち、神獣様を従え、異界の店舗を喚び出す規格外れの御嬢様。
あの方なら必ずなんとかしてくれる。私もジェレミーと同じくそんな気持ちになっていた。
◇ ◇ ◇
「一か八か……! やってみるしかないか……!」
私はなんとか思いついた方法を試すことにした。
いろいろと穴だらけの作戦だ。琥珀さんにフォローしてもらわないと。
「琥珀さん、このアパートにはパメラ先生とジェレミー先生以外に人は?」
『おらんな。何人かいたが、窓から飛び降りたようだ』
ならなんとかなるか。琥珀さんに作戦を伝え、タイミングを計ってもらう。
この作戦のためには私が建物の近くに行かなきゃならない。つまり燃え盛るあのアパートに近づく必要があるのだ。
近づくのは一瞬でいい。私は【聖剣】を喚び出し、聖剣モードの姿へと変身する。
「いくよ、琥珀さん!」
『うむ、任せろ!』
地を蹴り、勢いよく燃えるアパートへ向けて全力ダッシュ。
ぶわっと炎の熱が襲ってくるが、そんなものにかまってなどいられない。ただひたすらに前に進み、燃える建物のギリギリまで近づく。
やがて私はアパートの玄関前、その燃え盛る建物の一部を、射程距離二メートル圏内に入れた。
「【在庫保管】!」
九女神様からもらった加護を発動させる。一瞬にして勢いよく燃えていたアパート全体が炎ごと収納され、目の前が更地になった。
私の【在庫保管】は箱の中身も全て一緒くたにして収納される。だから建物だけじゃなく、そこにあった家具なども全て収納されるのだ。
生物以外は。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
「きゃあああぁぁぁぁぁぁ!?」
床が無くなったため、五階の高さから抱き合ったまま落ちてくるジェレミー先生とパメラ先生。
「琥珀さん!」
『うむ!』
琥珀さんが落ちてくる二人の真下に小さな竜巻を生み出して、風のクッションを作り上げる。
空気の抵抗を受けて、フワリ、ストンといった感じで地面に不時着した二人は、びっくりしたような顔でこちらを見ていた。
どうやら二人とも無事だったみたいだ。私はやっと安堵の息を漏らすことができた。というか、パメラ先生、なんでエレキギターを抱えてんの?
中の人が持ってる物は収納されないのかしら? まあ、なんでも収納されるなら二人とも素っ裸だよね。されないでよかった。
「ふ、ふふ。ジェレミーの言った通りね!」
「だろ?」
突然二人がうふふ、あはは、と笑い出した。え? 大丈夫? 酸欠とか恐怖でヤバいことになってない……?




