◇141 炎の中へ
生まれた時から俺たちは一緒だった。
俺のカノン子爵家と、パメラのエチュード子爵家はどちらも同じく『学芸派』であり、母親同士が親友だった。
だから、小さい頃からよく遊んでいたし、『学院』でもよく一緒に行動していた。それが当たり前だったし、日常だった。
そしてそのまま高等学部に入る頃に婚約をすることになった。周りから見れば親に決められた政略結婚と見えるだろうが、俺たちは兄妹のように相手のことを知っていたし、他に好きな人もいなかったから、すんなりと受け入れられた。
いや、好きな人がいなかったというのは嘘だ。いつからか俺はパメラを幼馴染としてではなく、一人の愛する女性として見ていた。
向こうはどう思っていたのかわからないが、婚約を拒否されないくらいには好意を持たれていたと思いたい。
婚約者同士になっても、俺たちの関係は特に劇的に変わることはなかった。
それでもいずれ彼女と結婚し、幸せな家庭を築いていくことが、俺にとって何よりも大事なことになっていた。
だから『学院』の教職に就くために必死で頑張ったし、パメラとの関係も愛想を尽かされないようにいろいろと見えないところで努力した。まあ、あいつは気づいていないだろうが……。
パメラはパメラで宮廷楽師の職に就き、彼女も順風満帆な人生だと思われたが、その裏で一人悩んでいたことを後になって知る。
宮廷楽師の世界は厳しい。同世代では天才と言われるパメラだったが、その才能に嫉妬を持つ人間も少なくなかった。
彼女は口にはしなかったが、どうやら同僚の中で小さな嫌がらせを受けていたらしい。本当にくだらない。彼女の才能に嫉妬する時間があるのなら、自分の才能を磨けと言ってやりたかった。
パメラは新しい音楽を求めていた。そのために古い音楽を打ち破りたいのにそれができず、同僚には陰口を叩かれ、仕事で言われるがままに同じ曲を弾く日々。好きな音楽を仕事にしてしまったばかりに、その音楽に彼女が苛まれるとは思ってもみなかった。
あれほど音楽が好きだった彼女が、だんだんと音楽に苦しめられていく姿を俺はただ見ているだけしかできなかったのだ。
俺にできるのはたまに気晴らしに付き合って一緒に演奏をするくらいだった。下手なチェロでも多少とも彼女の慰めになれるなら、続けてきた甲斐がある。
いっそ、宮廷楽師の職など辞めてしまえばいいのでは、と思ったことも何度かある。
宮廷楽師でも、結婚して職を辞し、家庭に入る者もそれなりに多い。パメラだってそうしてもいいんじゃないかと。
だが、子供の頃から宮廷楽師を目指し、夢が叶った時のあの嬉しさでいっぱいの彼女の姿を思い出すと、そんなことは口が裂けても俺には言えなかった。俺は自分の無力さを感じ、やるせない気持ちが日々募っていった。
そんな彼女に転機が訪れたのは突然だった。フィルハーモニー公爵家の御令嬢が、異界の音楽を奏でる『ギフト』を手に入れたとのことで、宮廷楽師たちが聴きに行ったのだ。
なんとかそれを聴いて秋涼会で演奏できないかという話だったらしい。その音楽を聴いて、パメラはとてつもない衝撃を受けたという。
タイミングよく、その御令嬢が音楽の家庭教師を探しているというので、彼女は一も二もなく飛びついたと言っていた。無茶しやがって……。
それから『学院』に届くパメラからの手紙には、『こんなすごい音楽があるなんて』とか、『曲を弾くのが楽しくて仕方がない』と言ったような、子供のころのようなはしゃぎっぷりが目に見えるような文章が、つらつらと何行にも渡って書かれていた。
シンフォニアに帰郷して、本来の明るさを取り戻した彼女に再会したとき、心から嬉しく思った。その明るさを取り戻させたのが、俺でなかったことだけが少々癪ではあったが。
同僚の嫌がらせもサクラリエル様の助言で排除できたというし、本当にあのお嬢様には頭が上がらない。
初対面の時にいきなり胸ぐらを掴まれて、文句を言われたのだけはよくわからないけどな。なんだったんだ、あれは……。
城での『新年の宴』で聴いたパメラの演奏はとても素晴らしかった。音楽で感動に身を震わせたのはいつぶりだろう。パメラが夢中になるのも仕方がないと心から理解した。
今彼女は公爵家で開かれる『新年の宴』で演奏する曲を、毎日仲間と共に練習している。
おかげでこっちはずっとほったらかしだ。ま、俺の方も『学院』の先生方に連れられて、連日パーティーに連れまわされているから会えないのは仕方ないんだけども。
『学院』の新人教師としての顔合わせだから、今年だけだとはいうけれど。これが毎年あったらさすがに気が滅入る……。
今日もファンタジア公爵家の新年パーティーから帰るところだ。貴族時代なら馬車を使ったが、貧乏教師ではそう軽々と使うわけにはいかない。もう家を出た身、実家の馬車を使うのも気が引けたので歩いて帰ることにした。
ファンタジア公爵家は実家の派閥である『学芸派』のトップであるから、いつもより緊張したわ。なにを話したかよく覚えていない。覚えていないってことは大した事じゃないんだろう。
「また降ってきたな……」
ちらつきが多くなってきた雪を見上げて一人呟く。暗い闇の中からはらはらと降り注ぐ雪を見るのは好きだ。
道端で突っ立っていると少し寒いが、酒で火照った身体を冷ますにはちょうどいい。
パメラは今ごろ何をしているだろうか……。
「わぷっ!?」
突然、顔に何かが当たり、視界が塞がれた。
顔に付いた紙をひっぺがすと、それは手紙だった。どこかの家の窓から風で飛んできたのか?
「え……?」
なんとなしに宛名を見て驚く。『ジェレミー・カノン様へ』……俺宛ての手紙!? なんで俺宛ての手紙がこんなところに……!
裏返すとそこには『サクラリエル・ラ・フィルハーモニー』と差出人の名前が。
サクラリエル様からの手紙か!?
俺はあたりをキョロキョロと窺ったが、あの御令嬢の姿はない。
開けて……いいんだよな? 俺宛てだし。
一瞬、帰ってから読もうかとも思ったが、なぜだかそうはしなかった。焦ったような殴り書きの宛名と署名に、無意識に緊急的ななにかを感じたからなのかもしれない。
桜の意匠が押された封蝋を剥がし、中に入っていた手紙を読む。そこに書かれていた文章に俺は思わず息を呑んだ。
『パメラ先生のアパートが燃えています。至急向かって下さい。これは冗談でもなんでもなく、本当です!』
パメラのアパートが燃えている!? いったいどういう……!
そう思って顔を上げた時、実家近くの高台にあるこの位置から第三区の方が見えた。
ここから第三区までは近い。暗闇の中にまるで松明のように燃える家を発見したとき、サクラリエル様のこの手紙はその内容通り冗談でもなんでもないことがわかった。
その瞬間、背中に氷を突っ込まれたような、全身から血の気が引くような感覚に襲われる。
あの中にパメラが……? 嘘だ……! 嘘だ!
やっと彼女は自分を取り戻せたんだぞ! これからもっと幸せに……!
俺はサクラリエル様の手紙を乱暴にコートのポケットに突っ込むと、第三区の方へ向けて全力で走り出した。
第三区まで近いといってもそれなりに距離はある。走り出したはいいが、すぐに日頃の運動不足を痛感した。
それでも足を止めるわけにはいかない。
第二区と第三区との検問所を抜けて、パメラのアパートがある方向へとただひたすらに走る。
パメラのアパートは宮廷楽師が住むのに相応しい高級アパートだ。確か防音や耐火付与の魔法もかけられていると聞いた。
ただ、それは燃え尽きるのに耐性があるというだけで、燃えないというわけではない。
もしもその中に人がいたら、建物は燃えて崩れなくても、住人は焼かれて死んでしまうだろう。
すでに消火のための魔法師団が動いていればいいが……!
頼む、無事であってくれ!
息を切らせてパメラのアパートまで辿り着くと、やはり彼女のアパートは炎上中であった。
五階建てのアパートが、ごうごうという火の手をあげて、近づく者を寄せ付けない勢いで燃えている。
「そんな……!」
周りの、あるいはこのアパートの住人であろう人たちが、着の身着のままで燃え盛るアパートを眺めている。
何人かがバケツで近くの水路から水を汲み、消火活動をしているが、本当に焼け石に水といった感じだ。
俺は辺りを見回したがパメラの姿は見えない。近くにいた男をつかまえて話を聞く。
「あのっ! 中にはまだ人がいますか!?」
「あ、ああ一階と二階の人たちは全員逃げたけど、まだ三階より上に取り残された人たちがいるかも……!」
彼女の部屋は五階だ。もう時間がない……!
俺は消火活動をしていた男から水の入ったバケツをぶん取り、頭から一気に被った。
身を切るような冷たい水もなんとも感じない。こんな冷たさなんぞ、彼女を失うことに比べたら……!
パメラは少しだけど水魔法と風魔法を使える。『学院』で習った簡単な水の防御壁なら作れるはずだ。あれは自分が動くと消えてしまうが、その場に留まる限り、火の手をある程度は防いでくれるはずだ。風の魔法も使えば、煙に巻き込まれることも防げるはず。
俺は水魔法は使えないが、風魔法は使える。煙を吸わずにパメラのところまでいけるはずだ。
大丈夫だ。まだ間に合う……必ず助ける!
「行くぞ!」
俺は燃え盛るアパートの中へと、決死の覚悟で飛び込んでいった。




