◇138 悪役令嬢(役)の女教師
「やあ、テルミン女史。ちょっといいかな?」
「カノン先生? ……と、そちらの方は?」
ジェレミー先生に声をかけられ、クラリッサ・テルミン女史は視線をこちらへと向けた。
私は礼儀作法で叩き込まれ、すっかり板についたカーテシーでご挨拶。
「初めまして。フィルハーモニー公爵家長女、サクラリエル・ラ・フィルハーモニーと申します」
「フィルハーモニー……? あっ、【聖剣の姫君】……! は、初めまして、クラリッサ・テルミンと申します。『学院』で教職に就いております」
テルミン女史が同じようにカーテシーで答えてくれる。同じようにエステルとビアンカもカーテシーでご挨拶。
「テルミン様は語学に精通していると聞きまして、ぜひお話をさせていただきたいと思い、カノン様にご紹介をお願いしましたの。私も外国語をいくつか習っているのですけど、なかなか上達せず……」
「そうなのですか? どちらの言葉を?」
「今は主にジョールリ語ですね」
あの怪しい関西弁の言語ね。ごちゃ混ぜになっててよくわからんのよ。いや、意味は通じるんだけども。
『来ない』って言葉をなんちゃって関西弁で考えると、『けーへん』『きーひん』『こーへん』といくつも候補がある。そしてジョールリ語では『きーひん』が正解。
関西人が聞いたら怒り出すだろうなと思うほど、ごちゃ混ぜの言語なのだ。
『……ジョールリ語はややこしいさかい、大変やね』
おっと、テルミン女史からジョールリ語が飛んできたぞ?
『そやねん。ホンマやってられへんわ』
『その割にはなかなかうまいやん。発音が少し怪しいくらいやで。立派なもんや』
『ホンマ? 嬉しいわあ』
「あの、なにを喋ってるのかよくわからないんだけども……」
きょとんとするジェレミー先生に、私たち二人は声を上げて笑った。
「少し発音に気をつければ、問題ないと思いますよ。ただジョールリ語は裏に意味がある言葉もあるので気をつけて下さいね」
裏に意味がある……? ああ、『いい時計してますなぁ』が『話が長い』って意味だったりする、アレ?
あれらは知らないとわからないからなあ……。
それからテルミン女史としばらくジョールリ語の話で盛り上がり、その後、他の先生に呼ばれてジェレミー先生とともに彼女は去っていった。
ゲームで知ってはいたけど、そこまで厳しそうなイメージはなかったな。まだ新米だからかしら。
ゲームだとジェレミー先生に好意を持っているんだけど、今はそんな感じは全くしない。まあ、相手には婚約者がいるからな。対象外なんだろう。
十年後、いや、ゲームとは違ってエステルも私たちと同じく初等部から通うから、十歳……四年後にはあの先生に語学を習うことになる。仲良くしといて損はないだろう。
まあ、本来の目的は『悪役令嬢』に会うことだったんだけれども。正確にはジェレミー先生と二人が話している場に遭遇すること、だが。
ジェレミー先生ルートには彼と仲良くなった後半、二人が仲良く話し合う場面をエステルが目撃して、ちょっとジェラシーを感じてしまうようなイベントがあるのだ。
ここで『そっとしとこう……』の選択肢を選ぶとその後一連のイベントは発生しない。
ゲームでのエステルはテルミン女史に関してちょっと嫉妬を覚えていたみたいだけど、こっちの世界のエステルはなんとも思っていないっぽいな。
なぜだか逆にジェレミー先生の方に警戒心を持っているっぽいし……。
本来ならば悪役令嬢には自分からは近づきたくはないのだけれども、ジェレミールートは潰す予定だからね。
パメラ先生は亡くならず、あのジェレミー先生が生まれることもない。それにテルミン女史は私の破滅ルートには絡んでいない悪役令嬢だ。このルートで私が修道院送りになるのはカンニングしたからだし。今からなら友好な関係を築ける筈だ。
そしてイベント再現でこれでまた一店舗……。
もうコンビニが出たから食べ物系はほとんど満たされたかなあ。後はなんの店が来たら嬉しいかしら?
家電量販店? いやいや、電気がないと買ってもなにもできないし。毎回電気を使うためだけに店舗を呼び出すわけにもいかないしね……。電気が作れればいいんだけど。
あ、発電機があればいいのか。発電機は……ホームセンターかな? なら、まずはホームセンターを召喚しないといけないのか。発電機があれば……いや待て、発電機も燃料がいるよね?
発電機の燃料って、確かガソリンとか軽油とかだったような……。あれ? 結局ガソリンスタンドが必要になってくる? むむむ……。
「サクラリエル様? どうかされましたか?」
「え? ああ、いえ、なんでもないわ。その……『学院』に入学したらあの先生たちに習うんだなあって思って」
「『学院』に行ったらルカ様やティファ様ともいつも会えますね。リーシャ様とも」
「そうね。賑やかになりそう」
三人とも王族だけど、『学院』では身分は関係ないし、今よりもっと気楽に付き合えそう。
私たちがそんな話題で盛り上がっていると、いつの間にか会場の中心でダンスタイムが始まっていた。
これはヤバい。私はそそくさとバルコニーの方へと出て、ダンスの申し込みを避けることにする。
基本的にダンスは男性から女性へ申し込む。『一曲踊ってくれませんか』というやつだ。女性は申し込みをされたら、基本的には受けるが、断っても構わない。
しかし大勢の人がいる前で断るということは、相手に恥をかかせることになる。かかせても構わない相手ならそれで問題ないが、恥をかかせるわけにはいかない相手だと、踊りたくなくても踊らなければならないということになる。自分より身分の高い相手とかね。
故に踊りたくない場合は、こうして避難するわけだ。人目のないところなら、たとえ誘われて断ってもそこまで角は立たないからね。
ちなみに、婚約者がいると断れば相手の恥にならないらしい。だからといって婚約者なんかいらないが。
私がバルコニーに出ると、エステルとビアンカも付いてきた。
「みんなは出て来なくてもよかったのに」
「わ、私もダンスは苦手で……」
「私も身体を動かすのは得意ですが、ダンスはちょっと……」
エステルとビアンカが口々にそんなことを言う。いいのかそれで。仮にも貴族令嬢としてさあ。思いっきりブーメランだし、『おま言う?』だけども。
バルコニーは本来なら季節柄、寒風吹きこむ場所だが、この半円形になったバルコニーには結界が張ってあって、そこまで寒くはない。
さらに正面と左右に薪ストーブも置いてあるからね。どうやら結界は熱を逃さないような作りになっているようだ。サンルームみたいなものかしら。
あまりストーブに近づくとドレスが焦げてしまうかもしれないから注意は必要だけども。
バルコニーには私たちと同じように逃げてきた貴族令嬢の方々がちらほらといた。
まあその他にも若い男女でいい感じになっている方々もそれなりにいたが。
私たちはそんな人たちの邪魔にならないよう、端っこのテーブルに腰掛けて休むことにした。
「はー……。やっと一息つけるわ……」
「新年の宴って大変なんですね。お父さんもお母さんも挨拶回りをずっとやってるみたいです」
「エステルのところは新興貴族だからな。新年初めの挨拶は派閥を超えて大切だろう。来年からは同派閥と仲のいい貴族に挨拶するくらいでよくなると思うぞ」
まあねえ。仲の悪い派閥同士が挨拶すると、うちとアラベスク侯爵家の挨拶みたいに、裏で嫌味を言い合うみたいな感じになるからね。
しかし疲れるなあ……。元旦ってもっとダラダラと過ごすもんじゃないの?
あ、いや、初詣とかに行ったり、新年挨拶に回ったり、忙しい人は忙しいか……。
「そういえば昨日、第三区の方で火事があったみたいですよ。私の家から火の手が見えました。幸い怪我人もなくすぐに消火されたみたいですけど」
エステルがバルコニーの片隅で薪を燃やすストーブを見ながらそんなことを口にした。
冬は火事が多くなるからねえ……。火の不始末は本当に気をつけてほしい。
それにしても大晦日に火事になるって、大変だな……。正月にこの寒空の下に追い出されるなんてたまったもんじゃないだろう。
そんな話をすると、
「今年の冬はまだマシな方です。そこまで雪も積もってませんし。たぶん雪や氷の精霊が今年はそれほど訪れていないのでしょう」
ビアンカが当然のことのようにそんなことを口にするが、現代日本で育った記憶がある私にとって、イマイチその感覚がわからない。
精霊の訪れによって気候が変化するって……。いや、神様もいるんだから精霊もいるんだろうけど。
《この都には小さき主がいるからな。精霊も遠慮したんだろう》
《なぬ……?》
どういうこと? 琥珀さんからの念話に疑問を持った私は、同じく念話で返した。念話で送ってよこしたって事は他のみんなに聞かれない方がいい話なんだろうし。
《精霊は神々の配下だ。九女神様の加護を持っている小さき主は、言ってみれば上司のお気に入り。そんな相手に軽々しく近寄れはしまい。そのうち挨拶に来るかもしれんが、今は様子見と言ったところなのだろう》
なんてこった。まさか自分の存在が気候にまで影響を及ぼしていたとは……!
これって大丈夫なの? 嵐の精霊とかが『ちわっス! 挨拶に来ました!』なんてやって来たりしない? 自分のせいで農家さんたちとかに、予期せぬ大打撃を与えるのは勘弁してほしいんだけども。
《要らぬ心配をするな。さすがに精霊もそこまで馬鹿ではない。自分たちが世界にどう影響するかくらい把握しておる》
琥珀さんの説明を聞いてホッと胸を撫で下ろす。女神様の加護はありがたいのだが、どんどんと気苦労が増えていっている気がするなあ……。




