2話 笑子さんの憂鬱
笑子さんの憂鬱
笑子さんは、毎日の事ながら、会社に行くのが憂鬱だった。仕事がきついわけでもなく、したくもない仕事をさせられているわけでもないのに、なにゆえか。
林 笑子さんというのは、息子を一人持つ母親、兼、社長秘書をしている。社長も女性で、二人は仲良しだ、と、社長だけは思っているのだった。
誰であろうと、勤めているからには、一回や二回は会社に行きたくないことだってあるに違いない。しかし、笑子さんの場合、ちょっと違った意味で憂鬱だった。
「笑子さぁーん。」
いつもの口調で、社長の礼子は隣の部屋にいる秘書を呼んだ。なぜか秘書のことを苗字ではなく、名前で呼び、笑子さんは毎回修正するところから話が始まる。
「林と呼んでください。ご用は?」
「あのねぇ、午後からの会議、何来て行こうかしら?」
これが、秘書に聞くようなことだろうか。ついでに、着替える必要もみられない。
「……。いまの格好で結構です。着替える必要もありませんし。他にご用はありますか?」
「ないわ。」
「では。」
ぺこんとお辞儀をして出て行った。その五分後。
「笑子さぁーん。」
「林と呼んでください。ご用は?」
ドアの中には入らず、顔だけ出して聞いた。
「コーヒーが欲しいわぁ。」
「いま、入れさせます。他にご用は何か?」
「ないわ。」
「では。」
お辞儀も面倒になってきてようだ。三分後。椅子に座って、コーヒーを入れるように言うだけしかできなかった。
「笑子さぁーん。」
「林です。何か?」
さすがに、だんだん面倒さが出てきているようだ。やっぱり、顔だけを出した。
「ホッチキスの芯がないのー。」
笑子さんは無言で、引き出しから出して芯を取り替えた。笑顔のかけらもないといったところだろうか。コーヒーが運ばれてきたが、運んできた女性はなにやら不穏な空気を読み取ったのか、さっさと出て行った。
「他に、ご用は?」
「ないわ。」
「では。」
ドアのノブに手をかけると。
「あ、笑子さん。」
「林ですが。なんでしょう?」
さすがに、顔はげんなりしていたが、社長の方を向くときには普通の顔に戻しているところは、さすがかもしれない。
「今日の午後の午前中に行った工場の視察報告と予算の見積もり、それと、あさって行くのはどこだったかしらぁ?」
たまに、こうやって、真面目な問題が出てくる。この差に笑子は三年かかって、やっと少し慣れてきた。
「プラスチック工場です。視察報告と予算見積もりは、いま、やっております。社長が私を呼びつけないでくれましたら、今日中にできます。」
「つめたぁーい。」
「他に用は?あったら、今、すぐに思い出してください。」
「ないけど。」
「では。」
笑子さんはため息をついて、椅子に座った。すると、電話が鳴った。しかし、笑子は出なかった。誰からの電話だか、わかっているからだ。しかし、鳴り続けているとうるさい。かといって、他からの電話もくるので、線ごと切ってしまうわけにはいかなかった。もし、できるなら、とっくにしていたことだろう。さすがに、観念して電話に出た。
「はい。」
「あ、笑子さん?あさってのプラスチック工場見学、なに来て行こうかしらぁ。」
「……。どんなの、持っていらしゃいました?」
笑子はスピーカーにして、社長にしゃべらせたまま、仕事を進めた。そして、毎回、こんな調子でなぜ会社がつぶれないのか、いろいろと理不尽に思う笑子だった。
これでため息をつくなというほうが無理というものだ。今日も笑子さんは憂鬱だった。




