1話 笑子さんの苦悩
笑子さんの苦悩
会社社長の秘書である笑子さんは苦悩していた。
「はぁ。」
ため息も深い。
さて、笑子さんが悩むことといったら?
笑子さんの家族は、息子が一人だけだ。夫に早くに先立たれて少々苦労をしながら、息子を育て上げたが、彼は農業関係の仕事につきたいからと、現在地方の大学に行っている。さみしいのは少々あるが、悩むような問題ではなかった。
家庭と来れば次は仕事だろう。しかし、笑子さんはリストラの心配も今のところはなさそうだ。また、会社の社長も女性である為、言い寄られるというようなこともなかった。
その心配はない。しかし、悩みの種は社長だった。
笑子さんが最初に、社長の秘書になると聞いたときに、彼女の同僚は、ある噂を教えてくれた。
「あのね、なんでも、重要な書類にヒーローのアニメを書いたんですって。」
「ヒーロー?」
「ええ。お兄さんがいるらしくって、その影響で戦隊もののヒーローが書けるそうよ。」
「それで?」
「それでね、相手の社長が、そのヒーローのファンだったらしくって、契約が成立したんだって。すごいわよねぇ。まぁ、あくまで、噂だけど。」
彼女はそう言った。
しかし、それは噂ではなく、事実だったこと笑子さんは後に知った。
「はぁ。」
何度めのため息だろうか、笑子さんは机の前に置かれた「辞表」とかかれた封筒を見つめている。出そうか、出すまいかの悩みではなかった。なぜなら、「辞表」はすでに提出されているからだ。ではなぜ、まだここにいるのか。
「辞表」が受理されないのだ。
「だーめぇー。」
と、いう社長の言葉で却下された。
一度目はそれであきらめた。
二度目は本当にやめようと思って、出社せずにいたら、笑子さんの携帯にも、家の電話にも電話がかかってきた。それでも、ほっといたら、家にまで直にやってきたのだ。
三度目は息子の大学にまで電話がいき、笑子さんの田舎までやってきたのには、さすがに笑子さんは脱帽した。
そして、これは、四度目の「辞表」である。
「笑子さぁーん。」
隣のドアの向こうから、社長が呼んでいる。何度も、自分を呼ぶときは苗字の、林でお願いしますと言っているのに直らない。
「社長。私を呼ぶときは、林、でお願いしますよ。それで、御用は?」
「二日酔いの薬持ってきてぇー。」
笑子さんは、無言で薬と水を置いた。
「あー、さすがに、多かったわぁ。飲みすぎたわぁ。」
その女性は少々だるそうに言った。社長の礼子さんという。
「そうですね。まぁ、あれだけ飲めば、当然のことでしょうね。」
笑子はあっさりと言った。
「つめたぁーい。いいじゃなぁーい。そのおかげで、他よりも三割も安く降ろしてくれるのよぉー。」
社長はにこやかに言った。しかし、笑子さんはにこりともせずに言った。
「社長、忘れていませんか?負けたら、一週間、私を貸し出すというのを代わりに提示していましたよ?」
「そんなこと言った?」
「言っていました。」
「あら、そうだった?でもいいじゃない。勝ったし。」
笑子は少々抑えたように言った。
「いいですか?どこの世界にアルコール販売大手の社長に酒で勝負を挑む人がいるんですか?それも、どれだけ、飲んだと思ってるんですか!」
しかし、しまいには怒鳴っていたようだ。
「ああ……大きな声出さないでぇー。」
社長は顔をしかめた。だいぶ、二日酔いがきているようだ。
「あれだけ飲めば、二日酔いも当然です。」
「つめたぁーいぃぃぃ。」
「勝手に、貸し出しの対象にされたら、誰でも怒ります。」
「せっかく、笑子って名前なのに、笑顔がないわー。わらってぇー。」
なにやら、笑子さんの中で、切れたらしい。
ばんっ!
「失礼します。」
笑子さんは出て行った。
「あら、また辞表……。」
机の上に置かれた封筒を見ると、そのままゴミ箱に捨てた。
そして一本の電話をかけた。よく見ると、内線のランプが付いている。
「あ、私よ、そう、礼子です。あのね、ちょっと聞きたいんだけど、笑子さんが旅行に行く予定あるかしら?外国?いつ?ああ、そうなの。ええ、行かないわよ。ええ。ありがとう。」
礼子は、にんまりと嬉しそうに笑った。




