9 「何をすればいいんですか」
「お邪魔します」
大理石の玄関を踏んだ。
「いらっしゃい」
彼はいつもより少しラフな格好で出迎えてくれた。
「荷物は部屋に運んであるよ」
「ありがとうございます」
彼の家に引っ越すことになった。それが彼の条件だった。その理由ははぐらかされた。
「この家のものは自由に使っていい」
そう説明してくれる彼についていくと、見知らぬ男性が立っていた。
「あぁ。この家の管理を任せている人間だ」
「三上と申します。御用の際はお申し付け下さいませ」
まだ若い男性だった。といってもルカよりは年上。30代後半くらいだろうか。綺麗な服の袖の隙間から、鮮やかな色の刺青が見えた。
きっと普通の人ではない。深く聞くのはやめておいた。
「わたしは何をすればいいんですか」
一応聞いておく。管理人がいるのなら、家事を求められているわけではないのだろうか。
「デザインだ」
彼はそう答えた。
「毎日僕に見せて。僕が気に入ったら作らせる。できがよければ商品化もできるよ」
商品化。そんな夢みたいな話があるのか。
「できる?」
そう聞かれた言葉に、美咲は思わず呼吸が止まった。できないはずはない。服を描くのなんて、幼い頃からやってきた。いろんな服をデザインしてきた。それが商品になったことは、今まで一度もないのだが。
「できます」
会社を辞めてよかった、なんて言葉は、心の中だけにしておく。
「じゃあ頑張って」
美咲の部屋には、美咲が家から持ち込んだものたちが並ぶ。そしてそれらが異質に見えるほどの、豪華な家具たち。
新しい生活が始まってしまった。
雑用をしなくていい。それだけでは、空っぽになったアイデアは復活しなかった。
それでも彼のもとで生活する以上、ちゃんとやるべきことはやらなければいけない。家から持ってきた雑誌を見てなんとか1枚描きあげたデザインは、あまりにも稚拙だった。
「……ふぅん」
仕事から帰ってきた彼に見せると、鼻を鳴らすようにそう言っただけだった。
ライターを取り出した彼が、そのデザイン画に火をつける。灰皿の上に置かれたそれが、黒く染まっていく。
「夕食にしよう。三上、用意して」
灰皿の上で煌々と輝く炎を、彼は気にとめることもなくダイニングに向かう。
成果を残さなければ、この世界にはその形すら残らない。それが新しい世界のルールだった。
豪華なダイニングに並べられたのは、見るからに手の込んだ和食だった。綺麗な手付きで箸を持ち、茶碗を持って食べるルカの姿は、異様に見えた。
「箸使うの、お上手なんですね」
美咲だってそんなに変な持ち方ではないが、日本人の美咲のそれと、外国人の風貌であるルカのそれは、なぜか違うように見える。
「箸を使えると便利なんだよ。たった棒2本でものを動かせるからね」
「誰かに教わったんですか?」
「祖母が日本人なんだ」
初めて彼のルーツを教えてもらった。いつだったか、ルーツを聞いた時に「いろいろ」と言っていたのを思い出す。それは日本の血を持つクオーターだったということなのだろうか。
「随分僕に興味を持ってくれているんだね」
楽しそうに目を細める彼に、美咲はついムッとする。それは意地悪な言い方ではないか。
彼が自由に操る日本語も、きっとその祖母に教えてもらったものだろう。
「別にそういうわけでは」
美咲が視線を逸らすと、彼はふっと笑った。
次話は9日夜頃更新予定です




