7 「頑張ってください」
「舞原さん、少しいいですか?」
上司に呼ばれた。仕事をしていた手を止める。上司の顔がいつもと違って見えた。
あのデザインのことだろうか。いつも提出しても呼び出されたことなんてなかったのに。これは、もしかしたら。
「舞原さん、大丈夫よ。行って」
一緒に仕事をしていた先輩もそう言ってくれて、
「先輩、頑張ってください!」
と後輩も送り出してくれる。
心臓が痛いほど跳ねる。スキップしたいほど足が軽くなる。まだ何を言われたわけでもないのに、心は期待してしまっている。
落ち着け。そう言い聞かせて胸に手を置き、ふぅ、と息を吐いた。大丈夫。もう大丈夫。
「急にごめんなさいね」
上司が勧めてくれた椅子に座り、
「大丈夫です」
と頷いた。
「この前の舞原さんのデザイン、とてもよかったわ」
「ありがとうございます」
上司がテーブルに置いたのは、あの日美咲が提出したデザイン。
「私としても、ぜひこれを推薦したいと思っている」
は、と呼吸が漏れた。心臓が痛い。
「でもね、ひとつ確認しておきたいことがあって」
何を言われてもいい。何を言われたって、どんなものでも捨てられる。長年の夢が、もうすぐそこに来ているのだ。
「舞原さん、最近、怪しい人たちと付き合ってない?」
「……ぇ」
それは、言葉にならない声だった。とっさに思い出したのは、ルカの顔だった。
「プライベートなことに口を出すつもりはないの。ミューズって言葉もあるくらいだし、恋をして素敵なデザインを作り出すことだってできるから」
思考が止まる。かろうじて聞こえる声が、頭の中に刻まれていく。
「でもね、このデザインを表に出す時、舞原さんは顔になるの。危ない人たちと交流がある人を表に出すことはできないのよ」
違う。なんでもない。恋愛なんてない。友情さえもない。彼はただの借金取りだ。
それなのに、言えない。喉の奥が貼り付いている。言葉も、声も、息さえも出ていかない。
「……今回は、やめておくわね」
上司が言った。
「少し落ち着いて考えた方がいいと思うわ」
部屋を出ていく上司を、呼び止めることはできなかった。
仕事はできた。でも、頭の中は真っ白だった。雲の上を歩いているような現実味のない感覚で、なんとか帰宅した。
いつもよりも身体が重かった。そのままベッドに倒れ込むと、その拍子に涙が落ちた。
頭が痛い。目が痛い。手が痛い。足が痛い。違う、これは心が痛いんだ。
潰された。何よりも大切な夢が。自分の人生をかけて手に入れたかったものが。
でも、彼を憎いとは思えなかった。
借金を返すためとはいえ、彼と関わることを拒まなかったのは美咲自身。毎月会いに来る彼を拒まなかったのも、怪しい車に乗ったのも美咲だ。
でもそれさえも、彼に選ばされたとも言える。あの時、ワインを落としたのは間違いなく彼なのだ。
どうしたらいいのだろう。憎いのに、憎めない。でも当然、好きだから許そう、とも言えない。
悔しくて、悲しくて、泣くことしかできなかった。
次話は8日夜頃更新予定です




