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2 「捨てておいて」

 車が止まった。カーテンでしめきられた窓から外は見えず、そこがどこかわからなかった。


 海辺の倉庫とか、山奥のさびれた山荘とか、いろいろ可能性を考えた。


「降りて」

 言われた通りに降りると、そこにはさっき以上の人数が並んでいた。

「ついてきて」


 自発的に動く勇気は出なくて、先を歩く彼の背中を追う。

 通されたのは、豪邸のリビングだった。一目で高価だとわかる家具が並ぶ中、

「どうぞ、座って」

 と椅子を勧められる。


「ワインは好き?」

 意味がわからない。答えられずにいると、彼はグラスに赤ワインを注ぐ。


「気が向いたら飲んで」

 テーブルにそれを置き、彼は別のグラスに入れた同じワインを飲む。


「殺すんですか」

 思いきって聞いてみた。


「どうしようかな」

 返ってきた答えは、あまりにも軽いものだった。


「命乞いでもしてみる?」


 頼めば殺さないでいてくれるのだろうか。額をこすりつけて謝れば、許してもらえるのだろうか。


 床に視線を落とす。柔らかい絨毯。絨毯の善し悪しなんてわからないが、きっと量販店で売ってあるような安物じゃないことはわかる。


 喉が渇く。緊張しているせいだろうか。恐怖と焦りで思考が止まりそうになる。身体が強ばり、冷たい汗が背筋をなぞった。


 たすけて。そう言いたかった。


 でも、言いたくなかった。それは、かろうじて残った生存本能か。みっともなく命乞いしたところで、この男はきっと逃がしてくれないとわかってしまう。


 グラスに手を伸ばし、ワインを一気にあおる。思ったより強烈なアルコールの匂いが鼻に抜け、目眩がした。


「いい飲みっぷり」

 彼が楽しそうに目を細める。


 綺麗な人だと思った。仕事柄モデルとも関わるが、一般的なモデルなんて比にならないくらいの美しさ。顔立ちから日本人でないことはわかった。


「気に入った?」

 男がワインボトルを手に取る。


「お土産にしてもいいよ」


 そして、彼女に差し出す。受け取らなければ殺されるだろうか。おずおずと差し出した手のうえで、男はボトルを手放す。


 ゴトン、と鈍い音がした。

 絨毯の上に落ちたボトルから、赤いワインが零れる。トク、トク、と波打つさまは、まるで心臓から血液が流れていくようだ。


「あーぁ」

 男は赤く染まる絨毯を見下ろした。

「これ、高いんだよ」


 ワインのことか、絨毯のことか。彼女が見上げた先で、男は楽しそうに笑う。


「どうしようか」

 その視線が、彼女に向けられた。


「ワインと絨毯。総額300万くらいかな」

「……今のは、あなたが……」


 そう呟くと、

「証拠はある?」

 と返ってきた。周りにたくさんの人がいる。大勢が一連の流れを見ている。

 でも、きっと有利な証言はしてくれない。証拠も、証人も、なかった。


「……弁償します」


 そんな貯金、3年目のデザイナーにあるはずがない。でも、それ以外の言葉なんて思いつかなかった。


「できるの?」

 その言葉に答えられなかった。

「夜の仕事でも紹介しようか」


 そう言われた瞬間、ぞわっと全身の血がざわめいた。嫌だ、と思った。大好きな仕事ができなくても、冷たい現実を知っても、幼い頃から望んでいた仕事だ。この仕事を離れたくなかった。


「少しずつ返します」

 給料だって多くないのに。でも、殺されるよりずっとマシだ。


「いいよ」

 男が頷いた。


「君、名前は?」

「舞原美咲です」

「かわいい名前だね」


 そう言われて、ハッとした。正体不明の、しかも怪しすぎる男に、あっさり本名を答えてしまった。


「……あなたのこと、なんて呼べばいいですか」


 彼のことを知ったところで対等になるとは全く思えないが、せめてもの抵抗だった。


「ルカでいいよ」

 男はほんの少しも警戒することなく答える。

「約束ね」


 助かったのだろうか。


「車で送るよ」

 男がふらりと歩き出す。


「捨てておいて」

 そばにいた男にそう告げたのは、汚れた絨毯のことだろうか。そんなあっさり捨てられるものなら、弁償する必要はないのではないか。


 そう思ったが、言えるはずはなかった。


次話は4日昼頃更新予定です

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