第七話後編 『金属性』
世界は、動き始めました。
まだ、“それ”に気づかぬまま。
パニアスは、遠く離れた別の大陸に
アステカは、パニアス使節団の訪問を受け
少しずつ、変化していきます。
そして、グレンは……
騎士団での任務を終え、
グレンは夕暮れの王都を歩いていた。
市場から聞こえる呼び声。
仕事を終えて家路につく人々。
通りを駆けていく子供たちの笑い声。
王都の悪夢から、
もうかなりの時間が経った。
街は少しずつ日常を取り戻し、
あの日の傷跡も、
目に見えるところから消え始めている。
ただ、ひとつ変わったことがあった。
あの日以来、
グレンに向けられる目が増えたのだ。
騎士として。
魔法使いとして。
そして、
あの事件で多くの人を救った少年として。
すれ違う人の中には、グレンの顔を見て
何かを思い出したように
振り返る者もいた。
だが、当の本人には、そうした視線の
意味がよく分かっていなかった。
グレンの頭に浮かんでいたのは、
訓練の終わりに
カイルから掛けられた言葉だった。
『……やるようになったな』
短い一言だった。
剣を振る速度は、
以前より確実に上がっている。
初級魔法も、今ではほとんど失敗しない。
中級魔法も、
少しずつ自分のものになりつつあった。
剣と魔法を組み合わせた戦い方にも、
手応えを感じ始めている。
いや、それ以上に、
カイルに認められたことが、
グレンの胸に特別な感慨を残していた。
あのカイルが、
自分の成長を認めてくれた。
その事実が、何よりも嬉しかった。
グレンは少しだけ足取りを軽くして、
エレノア邸へと帰っていった。
◆
「お帰りなさいませ、グレンさん」
屋敷に戻ると、いつものように
セレフィーナが出迎えてくれた。
「ただいま帰りました、
セレフィーナさん。あの、
少しお話ししてもいいですか?」
「はい、もちろんです」
セレフィーナは穏やかに微笑んだ。
グレンは少し照れくさそうに頭をかいた。
「今日、カイルさんに言われたんです。
……強くなったな、って」
「……そうですか」
その言葉を聞いた瞬間、
セレフィーナの表情が
ほんのわずかに変わった。
「はい。剣も魔法も、少しずつですけど、
前より上達している実感があります」
グレンは自分の手を見つめた。
「でも、それだけじゃないんです。
今は、以前みたいに無理をしなくても、
ちゃんと成長できている気がします」
「それは……良かったです」
「セレフィーナさんが、
訓練の時間を調整してくれたり、
食事を用意してくれたり。
無理をしていると止めてくれるし、
疲れていると休ませてくれる。おかげで、
以前よりずっと
効率よく鍛えられています」
「それが、私の仕事ですから」
「だから…あの…」
グレンは、
まっすぐにセレフィーナを見た。
「本当に、ありがとうございます」
飾り気のない言葉だった。
だからこそ、
セレフィーナの胸に深く届いた。
何かを言おうとして、
言葉が出てこない。
彼女は一度、そっと息を吐いた。
「……それなら、良かったです」
いつもと変わらない声で
答えたつもりだった。
けれど、ほんの少しだけ、
声が揺れていた。
「それより、汗をかかれたでしょう。
お風呂の準備ができていますよ」
「あ、ありがとうございます。
あっ、髪は自分で乾かせますから」
「ですが、今日は私に任せてください」
「……はい。お願いします」
グレンが浴室へ向かう。
その背中を見送ってから、
セレフィーナは静かに頭を下げた。
誰にも見られないように
頬を伝ったものを、そっと拭った。
◆
風呂から上がったグレンは、
廊下を歩いていた。
その途中、部屋のひとつから、
何やら物音が聞こえてきた。
「……?」
気になって、扉の前で足を止める。
「学院長、入りますよ」
「えっ?」
小さな声が聞こえた。
だが、返事を待つより先に、
グレンは扉を開けてしまった。
「……えっ!」
「なっ!」
そこにいたのは、
着替えの途中のエレノアだった。
互いの動きが止まる。
エレノアの頬が、
みるみる赤くなっていった。
「す、すみません!」
グレンは即座に扉を閉めた。
「ちょ、ちょっと待つのじゃ!」
「大丈夫です!」
「何が大丈夫なのじゃ!?」
扉の向こうから、
エレノアの声が飛んでくる。
グレンは扉の前で直立したまま、
何も答えられなかった。
しばらくして
「……もう、入ってよいぞ」
「し、失礼します……」
今度はきちんと声を掛けてから、
グレンは部屋に入った。
エレノアは
すでに着替えを済ませていた。
いつもの余裕を
取り戻そうとしているようだったが、
どこかぎこちない。
「……ノアさん。
本当にすみませんでした」
「い、いや……もうよい。
気にするでない」
エレノアは視線をそらした。
そして、
いつもよりずっと小さな声で尋ねた。
「……キミは、
魔女よりも……聖女のほうが
好きなのか?」
「え? ノアさん、何か言いました?」
「な、なんでもない!」
エレノアは勢いよく顔を上げた。
「さあ、研究を始めるぞ!
今日は新しい属性を教えるのじゃ!」
「は、はい!」
グレンは、
何が何だか分からないまま返事をした。
◆
研究室に入ると、エレノアは
机の上にいくつかの金属片を並べた。
「今日は金属性じゃ」
「金属性……」
「うむ。金属性は、
物質そのものに干渉する属性じゃ。
錬金術に用いられ、
金属の性質を変えたり、
新たな物質を錬成したり
することができる」
グレンは並べられた金属片を見つめた。
そのとき、ふと
カイルの言葉を思い出した。
『いつまで木剣を使うつもりなんだ?』
『お前も実戦を経験して、
分かっているはずだ』
「……ノアさん。僕も、そろそろ
剣を変えたほうがいいんでしょうか?」
「うむ。むしろ遅すぎるくらいじゃな」
エレノアはあっさりと答えた。
「木剣では、どうしても限界がある。
グレンの戦い方なら、剣そのものも自分に
合ったものを用意するべきじゃろう」
「自分に合った剣……」
「金属性を使えば、剣の素材から
自分で用意することもできる。
硬さ、重さ、魔力との相性、
加工のしやすさ。
考えるべきことはいくつもあるが……」
エレノアは、
ひとつの金属片を指先で持ち上げた。
「グレンのように
剣と魔法を組み合わせる戦い方なら、
魔力との相性が良いミスリルが
最も適しておるじゃろうな」
「ミスリル……」
「まずは、これを錬成してみるのじゃ」
グレンは机の前に座り、
小さなミスリル金属片に手をかざした。
エレノアに教わった手順を思い返す。
金属性『錬金魔法』
グレンは意識を集中し、
金属片へと魔力を流し込んだ。
魔力は金属の内部へと入り込む。
だが、次の瞬間。
流し込んだ魔力が、
そのままグレンのもとへと戻ってきた。
「……?」
ただ戻ってきた訳ではなさそうだ。
グレンはもう一度、魔力を流し込んだ。
しかし、結果は同じだった。
「難しいですね……」
「うむ。
ミスリルは、難度が高いからのう」
エレノアは別の金属片を取り出した。
「こちらなら、
もう少しイメージしやすいかもしれぬ」
「これは?」
「オリハルコンじゃ」
グレンは
新しい金属片へと手を伸ばした。
今度は、魔力を流し込むと同時に、
金属の持つ性質が
ゆっくりと伝わってきた。
硬さ。重さ。
そして、その奥にある、
言葉では表せない何か。
知識ではない。
それでも、確かに分かる。
これが、オリハルコンなのだと。
グレンの魔力が、
金属片の内側へと染み込んでいく。
やがて、
研究室の空間が淡く輝き始めた。
光が集まり、形を持つ。
まるで、光そのものが
物質へと変わっていくかのようだった。
そして、
机の上に、鈍い金色の金属塊が現れた。
グレンも、エレノアも、
しばらく動かなかった。
「……できました」
「……できて、おるのぅ?」
二人は、目の前に現れた
オリハルコンを見つめ続けた。
◆
その日の夜。
研究を終えたグレンが居間に戻ると、
セレフィーナが声を掛けてきた。
「グレンさん、お客様がお見えです」
「お客さんですか?」
居間に入ると、そこには
カイルが座っていた。
「ベルナール騎士!」
「よう」
カイルは軽く手を上げた。
「いいかげん、その呼び方はよせ」
「そんなことより。少し、話があってな」
「何かあったんですか?」
「まだ正式な話じゃない。
だが……まず間違いない情報だ」
カイルはグレンを見た。
「お前、
騎士団の精鋭部隊に推薦されるらしい」
「……精鋭部隊?」
グレンは目を丸くした。
「僕でいいんでしょうか……?」
「お前が決めたわけじゃあないだろう?」
「あ……それもそうですね」
カイルは小さく息を吐いた。
そして、グレンの手元に目を向ける。
「……ところで、お前。
まだ木剣を使っているのか?」
「はい。ずっと使っていますから」
「精鋭部隊で木剣じゃあ、サマにならん」
「それなら問題ないぞ」
会話に割って入ったのは、いつの間にか
居間に来ていたエレノアだった。
「その程度のこと、すぐに解消できる」
「……と言いますと?」
「今日、
グレンがオリハルコンを錬成したのじゃ」
「…………は?」
カイルの表情が固まった。
「お前……オリハルコンを?」
「はい」
「今日、作った?」
「初めて作りました」
「金属性……か」
「そうなんです」
カイルは
しばらくグレンを見つめていた。
誰も見たことのない崩れた顔で。
やがて、
何事もなかったかのように姿勢を正す。
「……だったら、
一流の鍛冶師を紹介してやろう」
「本当ですか?ありがとうございます!」
「うむ。話は決まりじゃな」
エレノアは満足そうに頷いた。
だが、その直後。
「カイルとやら……
くれぐれも他言無用じゃ」
その声には、いつもの軽さがなかった。
カイルも、
彼女の変化を感じ取ったのだろう。
「……承知しています」
それ以上、
理由を尋ねることはなかった。
金属性の錬金魔法
それ自体が、稀な魔法といえる。
中でも、オリハルコンを錬成できる者は
限られている。エレノアの知る限り、
これまでに成功した者は二人。そして、
その二人は、
すでにこの世にはいなかった。
「……そりゃあ、当然だな」
カイルは、
わずかに冷や汗を浮かべながら呟いた。
グレンには、
二人が何を考えているのか、
よく分からなかった。
ただ、
自分の手元にある木剣を見つめていた。
ずっと使い続けてきた、相棒。
それも、
もうすぐ別のものに変わるのだろう。
その先に何が待っているのか。
グレンには、まだ分からなかった。
ただ、
確かに何かが、動き始めていた。
第七話 了
お待たせしました。
いや、たぶんツッコまれてるだろうとは
思ってたんです。
なぜ、木剣で魔物と戦うの?
って。
銅でも鉄でも持たせれば良かったんですが、このほうがグレンらしいかなあ
とかね、思ってたのです。
木剣で戦うのも良いでしょ?
車田正美先生のぽいというか、意図的では
なかったんです。ただ、いつも振ってる剣で
ここまでは…
という訳で、オリハルコンの剣が登場します。
剣に銘をつけるか否か
どうしましょう?




