第六話前編 『異国の少女』
自重というブレーキが壊れたなんとか
グレンは、放っておくと倒れるまで頑張っちゃう。なので、管理されることになりました。
そんな生活にも慣れた頃のお話。
王都での生活にも、
少しずつ慣れてきた。
朝は決まった時間に起きる。
以前なら、目が覚めた瞬間から
今日やるべきことを考えていた。
騎士団の訓練
剣の鍛錬
魔法の研究
学院での用事
全部、自分で管理していた。
けれど今は違う。
「グレンさん。朝食ができていますよ」
「はい」
「それから
今日は午前中が騎士団の訓練。
午後から学院ですね」
「はい。ありがとうございます」
「昨日は少し
遅くまで研究していましたから、今日は
無理をしないようにしてください」
「……はい」
セレフィーナに言われるまま、
食卓につく。
最初の頃は、
それが少し落ち着かなかった。
自分のことなのに、
自分で決めていない。
そんなことも
「……いただきます」
温かい食事を口にすると、
どうでもよくなった。
そして最近では
「おかわり、ありますか?」
「もちろんです」
そんな会話まで
自然にできるようになっていた。
「ふふ」
「どうしました?」
「いえ。以前より、
ずいぶん素直になられたなと思いまして」
「そうですか、ね?」
「はい」
セレフィーナは小さく笑った。
「良いことです」
そう言われると、少しだけ照れくさい。
食事を終え、身支度を整える。
廊下を歩いていると、
研究室の扉が開いた。
「おお、グレン。
ちょうどよいところに来たの」
「学院長。おはようございます」
「……学院長」
「?」
「いや、なんでもない」
エレノアは何か言いたそうにしたが、
すぐにいつもの笑顔に戻った。
「今日の訓練が終わったら、
学院に来るのじゃろ?」
「はい」
「なら、昨日の術式について少し……」
「学院長、その前に騎士団へ行かないと」
「そうじゃった」
エレノアは
少し残念そうに肩を落とした。
「では、また後での」
「はい。行ってきます」
屋敷を出る。
王都の朝は、いつも人が多い。
商人が店を開け、荷馬車が通り、
通りの向こうではパンを焼く香りがする。
少し前までは、
こうした光景を見る余裕もなかった。
王都へ来たばかりの頃は、
何もかもが珍しかった。
そんなグレンも、今は
この街を歩くことにも、
すっかり慣れていた。
「おう、グレン!」
騎士団の門をくぐると、
聞き慣れた声が飛んできた。
「おはようございます、ベルナール騎士」
「その呼び方、まだ続けるのか?」
「え?」
「もうずいぶん一緒に訓練してるだろ」
「でも、先輩ですし」
「律儀だな、お前は」
カイル・ベルナール。
王都でも名の知られた騎士だ。
以前なら、
剣を合わせるだけで精一杯だった。
今では
「行くぞ」
「はい!」
剣がぶつかる
一度
二度
三度
足を踏み込み、振り下ろす。
カイルが受け流す。
そのまま横薙ぎ。
グレンは身体を捻ってかわし、
距離を取った。
「……速くなったな」
「ありがとうございます」
「礼を言ってる場合じゃないぞ」
「はい!」
再び踏み込む。
剣術だけなら、まだカイルには届かない。
だが、以前とは明らかに違う。
身体の使い方
相手の動きの読み
間合い
そして、魔法との組み合わせ。
「アレナ」
足元の砂がわずかに盛り上がる。
カイルの足がほんの少しだけ浮いた。
「そこ!」
グレンが踏み込む。
しかし
カイルは空中で身体を捻り、
そのまま着地した。
「甘い!」
「……っ!」
剣が止まる。
グレンの喉元に、
カイルの木剣が触れていた。
「まだまだだな」
「はい」
「だが…」
カイルが木剣を下ろす。
「確実に強くなってる」
その言葉を聞いて、
グレンは少しだけ笑った。
「ありがとうございます」
「だから礼を言うなって」
訓練を終え、汗を拭う。
以前なら、
この後すぐに魔法の訓練へ向かっていた。
だが
「グレン」
「はい?」
「午後から学院なんだろ?」
「はい」
「ちゃんと休めよ」
「……はい」
そう言って、
カイルは満足そうに頷いた。
どうやら最近、周囲から
同じことを言われることが増えた。
無理をするな
休め
食べろ
眠れ
頼れ
少し前までなら、
全部聞き流していた
でも今は
「……悪くないな」
誰かに心配されることも。
誰かに気にかけてもらうことも。
少しずつ、嫌ではなくなっていた。
午後
王立魔法学院へ向かう。
廊下を歩いていると、
以前とは違う視線を
感じることが増えていた。
「……あれが、王都の悪夢の時の」
「学院長の弟子なんだろ?」
「本当に?」
「普通の騎士にしか見えないけど……」
聞こえてくる声。
グレンは少し困ったように頭を掻いた。
王都の悪夢
あの事件から、しばらく経った。
街はすでに復旧しつつある。
壊れた建物も少しずつ修復され、
日常が戻ってきている。
それでも。
あの日のことを知る者たちにとって、
グレンの存在は
少し特別なものになっていた。
「……目立つのは苦手だな」
「何が苦手なのじゃ?」
「うわっ!」
突然、後ろから声をかけられた。
振り返る。
「学院長……」
「ワシじゃ」
「びっくりしました」
「ほほほ。隙があるぞ、我が弟子」
「もう少し普通に登場してください」
「嫌じゃ」
「……」
相変わらずだ。
けれど、こうして学院長 いや、
ノアと一緒に歩くことにも、
少しずつ慣れてきた。
「ところでグレン」
「はい」
「今日は学院の外へ行かぬか?」
「外?」
「うむ。少し面白いものが来ておる」
「面白いもの?」
「パニアスからの交流団じゃ」
その名前に、グレンは首を傾げた。
「パニアス……」
「知らぬか?」
「名前は聞いたことがあります」
「そうじゃろうな」
エレノアは歩きながら説明する。
「中央大陸の西寄りにある国じゃ。
芸術や食文化、
それに魔法研究でも知られておる」
「そんな国があるんですね」
「あるとも」
グレンは少し考えた。
自分が知っている国は、まだ少ない。
アステカ以外の国のことなど、
ほとんど知らない。
そもそも。
南大陸の外に、どんな国があるのか。
どんな人々が暮らしているのか。
以前の自分には、
考える余裕すらなかった。
「パニアスの人たちは、
何をしに来たんですか?」
「文化交流じゃ。南大陸と中央大陸では、
文化も生活も大きく違うからの」
「……南大陸」
その言葉に、
グレンは少しだけ反応した。
「僕たちのことを、
珍しく思うんでしょうか」
「そうじゃろうな」
「……そうですか」
「どうした?」
「いえ」
王都に来てから、
ときどき感じることがあった。
アステカのことを知らない人が多い。
農民だったことを話すと、驚かれる。
太陽を信仰する国だと言えば、
珍しそうな顔をされる。
悪意があるわけではない。
ただ、
知らないのだ。
それだけなのだと思う。
「では、行ってみるかの」
「はい」
学院の外へ出る。
しばらく歩くと、広場が見えてきた。
そこには、見慣れない衣装を着た人々が
集まっていた。
色鮮やかな布
細かな刺繍
装飾品
荷物からは、香辛料のような
独特の香りまで漂っている。
「これが……パニアス」
グレンが呟く。
そのとき
「きゃっ!」
広場の端から、小さな声が聞こえた。
振り向くと、一人の子供が転んでいた。
膝を擦りむいている。
その傍らに、しゃがみ込む少女がいた。
派手な服装ではない。
むしろ、
周囲の人々と比べれば質素だった。
茶色の髪
飾り気のない服
どこにでもいそうな、普通の少女。
「大丈夫ですよ」
少女は子供に優しく声をかけていた。
「少し痛いですけど、
すぐに良くなりますからね」
少女の手から、
淡い緑色の光が生まれる。
傷口が少しずつ塞がっていく。
「……木属性」
グレンが呟いた。
「ほう」
エレノアも足を止めた。
「なかなか使えるようじゃの」
「はい」
子供の傷が綺麗になった。
「もう大丈夫ですよ」
「ありがとう、お姉ちゃん!」
「どういたしまして」
少女は笑った。
そして立ち上がる。
その視線が、こちらへ向いた。
ほんの一瞬。
少女とグレンの目が合った。
「あ……」
少女が小さく声を漏らす。
グレンも、なぜか目を逸らさなかった。
「……こんにちは」
「こんにちは」
ただ、挨拶を交わしていた。
少女は小さく頭を下げると、
交流団の中へ戻っていった。
「知り合いかの?」
「いえ。初めて会いました」
「そうか」
エレノアは少女の背中を見ながら、
何かを考えるように目を細めた。
「……面白いの」
「何がです?」
「いや、なんでもない」
「?」
グレンはもう一度、少女の方を見る。
その時、
彼女はすでに人の中へ紛れていた。
このときのグレンは、
まだ知らなかった。
あの少女が。いつか自分と共に
世界の命運を背負うことになることを。
そして、
この何気ない出会いが。
ずっと先で、もう一度繋がることを。
後編に続く
木属性の治癒魔法を扱う少女。
彼女の何気ない優しさでしたが、その腕前に
気づくものは…




