第五話後編 『住み込みの弟子』
王都の悪夢=N.O.C.以降も
ガムシャラにやってきたグレン。
とうとう倒れてしまいました。
これ以降、グレンに変化は訪れるのか?
カイルと訓練をしていたはずのグレン。
グレンの意識は暗闇へと落ちた。
その後、しばらくして…
意識が浮上した。
最初に感じたのは、
柔らかな布団の感触。
次に、額に触れる冷たい感触。
「……ん」
グレンが薄く目を開ける。
ぼやけた視界の向こうに、
二つの人影があった。
「おお」
聞き慣れた声。金色の髪が揺れる。
「目を覚ましたか」
「……学院長……?」
「うむ。ワシじゃ」
そして、その隣。銀色の髪。
眼鏡の奥から、
じっとこちらを見つめる女性がいる。
「セレフィーナさん……」
「はい」
セレフィーナは静かに頷いた。
二人の表情は、どこかいつもとは違う、
見たことのない表情に見えた。
「気分はいかがですか?」
「……大丈夫、です」
「その台詞は、今後禁止にしましょう」
「え?」
グレンが瞬きをする。
エレノアが頷く。
セレフィーナは
いつもの落ち着いた表情に戻り、
淡々と続けた。
「大丈夫ではありません。
あなたは魔力を使い、
騎士団の訓練を行い、
その後も学院で魔法の研究を
続けていたのでしょう?」
「……はい」
「食事も簡単に済ませることが多かった」
「……はい」
「睡眠時間も短かった」
「……」
「返事は?」
「……はい」
グレンは素直に頷いた。
セレフィーナの眉が、
ほんの少しだけ下がった。
「あなたは、頑張り過ぎています」
「でも……」
「でも、ではありません」
穏やかな声だった。
そして、少しいつもと違う方の表情が…
その声と表情に、
グレンは何も言えなかった。
「あなたは
誰かを助けることには迷いがありません」
セレフィーナはそう言った。
「ですが、
自分が助けられることには慣れていない」
「……」
図星だった。
グレンは農村で生まれ、
家族を支えるために働いてきた。
自分が誰かの面倒を見ることはあっても、
自分が面倒を見てもらうことなど、
殆どなかった。
「だから、少し覚えてください」
セレフィーナの瞳が
柔らかくなる。
「人を頼ることも、誰かに甘えることも、
悪いことではありません」
「……頼って、いいんですか?」
「ええ」
「むしろ、
弟子なら師匠をもっと使ってよいぞ?」
「学院長を?」
「そうじゃ」
エレノアは胸を張る。
「ワシは偉大なる白金の魔女じゃからな。
弟子一人の面倒を見るくらい、
朝飯前じゃ」
「……でも、
学院長は研究で忙しいんじゃ」
「む」
エレノアの笑顔が止まった。
「……学院長、か」
「?」
「いや、なんでもないぞ」
すぐにいつもの笑顔へ戻る。
グレンは気に留めなかった。
しかし、
セレフィーナだけはその横顔を見ていた。
そして、小さく息を吐く。
「まずは休みましょう」
「はい」
「それから食事です」
「はい」
「食べたら、もう一度休みます」
「……はい」
「魔法の訓練は?」
グレンが尋ねる。
「しません」
「騎士団の訓練は?」
「しません」
「研究は?」
「論外じゃ」
エレノアまで即答した。
「……」
グレンは布団の中で固まった。
「では、何をすれば?」
「何もしない」
「……」
それが一番難しかった。
◆
数日後
グレンは、エレノアの住居兼研究施設で
暮らすことになった。
理由は単純だった。
騎士団の宿舎から学院へ通い、
訓練を終えた後に魔法研究まで行う。
そんな生活を続ければ、また倒れる。
「だからここに住めばいい」
エレノアは
当然のように言った。
「研究施設もある。学院にも近い。
騎士団へ行くのもそう遠くない」
「でも……」
「それに」
エレノアがニヤリと笑う。
「ワシの弟子なんじゃぞ?」
その言葉に、
グレンは少しだけ困った顔をした。
「……ありがとうございます、学院長」
エレノアの笑顔が、一瞬だけ薄くなる。
「……うむ」
今度は、
ほんの少しだけ寂しそうだった。
だがグレンは気づかない。
「では、荷物を」
「もう運びました」
セレフィーナが答えた。
「え?」
「必要なものはこちらへ移してあります」
「いつの間に……」
「あなたが寝ている間に、です」
「……」
グレンは絶句した。
「衣類、騎士服、書籍、筆記具。
必要と思われるものは
一通り揃えてあります」
「すごい……」
「生活用品も揃えました」
「ありがとうございます」
「礼は不要です」
セレフィーナは
淡々としている。
「あなたが無理をしないように
することも、私の仕事ですから」
そう言って背を向ける。
だが、
誰にも見られていないところで、
その口元がほんの少しだけ緩んでいた。
◆
新しい生活は、
思っていたより静かだった。
朝
「グレンさん、起きてください」
「……あと五分」
「駄目です」
「……三分」
「駄目です」
「一分……」
「駄目です」
容赦なくカーテンが開けられる。
「朝食です」
「……はい」
昼
「グレンさん」
「はい」
「昼食です」
「ありがとうございます」
夕方
「グレンさん」
「はい」
「今日はここまでです」
「もう少しだけ」
「ここまでです」
「……はい」
夜
「そろそろ休んでください」
「でも、今日の魔法の復習を…」
「明日にしてください」
「……はい」
最初は戸惑った。
自分の時間を、
自分以外の誰かが管理する。
それがグレンには不思議だった。
けれどもなぜか不思議なことに、
嫌ではなかった。
魔法の訓練も再開した。
ただし、以前とは少し違う。
「初級魔法については、もう十分じゃ」
エレノアが魔導書を閉じる。
「え?」
「火、水、風、土。どれも初級として必要な制御は身についた」
「まだ弱いですよ?」
「初級魔法なんじゃから、それでよい」
エレノアは笑う。
「強さよりも、制御じゃ。
お主はそこが異常に上手い」
「そうですか?」
「そうじゃ」
グレンは首を傾げた。
エレノアは、その顔を見て苦笑する。
「……本当に自覚がないんじゃな」
「?」
「まあよい」
エレノアは立ち上がった。
「今日から中級魔法へ進む」
「中級……」
「うむ、では庭へ行くぞ」
机の上に、新しい魔導書が置かれた。
「火なら…」
エレノアが
指先に小さな火を灯す。
「炎よ!(Liama)」
火球が、先ほどまでとは
明らかに違う密度で燃え上がった。
「水なら、流水よ!(Corriente)」
水流が意志を持っているかのように
渦を巻く。
「風なら、疾風よ!(Viento)」
突風が舞う、
直撃すればまず立ってはいられない。
「土なら、土よ!(Tierra)」
地面が隆起し壁を作る。
「これが中級じゃ」
グレンは黙って見つめていた。
「まずは理屈からじゃ。焦る必要はない」
「はい」
「それと」
エレノアがグレンを見る。
「お主の場合、普通の魔術師と同じ練習を
する必要はない」
「?」
「そこも、これから考える」
エレノアの目が、
研究者のそれに変わった。
そんな日々が続いた
ある日の夕方。
グレンは研究室で魔導書を読んでいた。
「学院長、この術式なんですが……」
「……」
「学院長?」
「うん?」
エレノアが顔を上げる。
「どうした?」
「いえ。この部分がよく分からなくて」
グレンが本を差し出す。
エレノアはそれを受け取る。
「ここはな……」
説明を始める。
しばらくして、
「分かりました。
ありがとうございます、学院長」
「……うむ」
まただった。
エレノアの口元が、ほんの少しだけ曇る。
「……何か?」
「いや?」
「怒ってます?」
「怒ってないぞ?」
笑っている。
だが、どこか妙だった。
「そうですか」
「そうじゃ」
グレンは再び本に目を落とした。
エレノアはその横顔を見る。
「……学院長、か」
小さく呟く。
「何か言いました?」
「なんでもない」
また笑う。
今度は少しだけ、寂しそうに。
別の日
「学院長、これを……」
「グレン」
「はい?」
「……いや、なんでもない」
エレノアは言葉を飲み込んだ。
別の日
「学院長、今日は…」
「うむ」
返事はする。
だが、目が少しだけ泳ぐ。
そしてまた別の日
「学院長…」
「……」
エレノアは頬杖をついたまま、
グレンを見る。
「……お主」
「はい?」
「ワシのことを、どう思っておる?」
「え?」
突然の質問だった。
「どう、と言われましても……」
「師匠じゃ」
「はい」
「学院長でもある」
「はい」
「白金の魔女でもある」
「はい」
「……」
エレノアの眉が下がる。
「そこではない」
「?」
「お主にとって、
ワシはそんなに遠い存在か?」
グレンは目を丸くした。
「遠い?」
「うむ」
「そんなことはありません」
「本当か?」
「はい」
「ならば」
エレノアが
少しだけ身を乗り出す。
「もう少し近くてもよいと思わんか?」
「……?」
グレンは、首を傾げる。
エレノアはそんな彼を見て、
ふっと笑った。
「二人きりの時くらい」
その声は、いつもの軽い調子よりも
少しだけ柔らかかった。
「ノアで良い」
「……ノア?」
「うむ」
「学院長を……?」
「だから、学院長ではなく、ノアじゃ」
エレノアは
少し照れたように視線を逸らした。
その頬が、ほんのりと赤い。
いつもの彼女なら、
こんな時でも冗談を言って笑ってみせる。
けれど今は違った。
「……嫌なのか?」
「いえ」
グレンは首を横に振る。
「嫌ではありません」
「なら?」
「……ノア、さん」
そのとき
エレノアの瞳が大きく開いた。
そして
綻んだ。
今まで見せたことのないほど、
素直な笑顔だった。
「……うむ」
嬉しさを隠そうとしているのか。
隠す必要などないと思っているのか。
どちらともつかない。
ただ、その表情だけは、
少女のようだった。
「それでよい」
「はい。ノアさん」
「うむ」
また呼ばれる。
「ノアさん」
「……うむ」
エレノアの頬が、また少し緩んだ。
◆
その日の夜、グレン入浴中
グレンが頭を洗っていると……
「グレンさん…」
「あ、え?セレフィーナさん?」
「手伝いにきました」
「え?ちょ、待ってください」
「背中を流しますね、
グレンさんはそのままで」
「セレフィーナさんっ、
これはっ、色々と良くないっ」
「もっと頼ってくださいね」
「や、一旦落ち着かせてくださいっ、
まずは服を着て…」
セレフィーナは、少し顔を赤らめた。
「グレンさん?裸だと思ったのですか?
もう、エッチですね」
グレンは硬直している。
洗髪どころではない。
「しっかりタオルは巻いていますし、
中も着ていますから」
グレンは脱力した。
話し合いの結果、
背中を流すのは今回だけ、
ということで落ち着いた。
“入浴は、ひとりのほうが心身が休まる”
という
グレンの言い分を聞き入れてもらった。
入浴後
「グレンさん」
「はい?」
「髪が濡れています」
「え?」
「座ってください」
「いや、自分で…」
「座ってください」
「……はい」
グレンは椅子に座った。
セレフィーナがタオルを持ってくる。
「そのまま」
「……」
丁寧に髪を拭かれる。
グレンはなんとも言えない顔になった。先程のことも思い出してしまう。
「セレフィーナさん」
「はい」
「僕、もう子供じゃないですよ」
「知っています」
「じゃあ……」
「だから何です?」
「……」
反論できない。
「自分のことをやり過ぎています」
セレフィーナの声は静かだった。
「もっと頼ってください」
「でも……」
「これは命令です」
「命令?」
「はい」
セレフィーナは真顔で答える。
「私があなたの生活を管理します」
「……そこまで?」
「そこまでです」
グレンが困ったように笑う。
「なんだか、申し訳ないです」
「申し訳なく思う必要はありません」
タオルを動かす手が、
ほんの少しだけ優しくなる。
「あなたが頼ってくれたほうが、
私は助かります」
「助かる?」
「ええ」
セレフィーナは答えた。
「仕事ができますから」
「……そういうことなら」
グレンは納得した。
セレフィーナは眼鏡の奥で、
わずかに目を伏せた。
“仕事”
そう言ってしまえば、それでいい。
なのに
グレンが素直に頼ってくれると、
胸の奥が少しだけ軽くなる。
「お願いします」
と言われると、なぜか嬉しい。
それを彼女自身、
まだ上手く説明できなかった。
「……終わりました」
「ありがとうございます、
セレフィーナさん」
「どういたしまして」
グレンが立ち上がる。
「おやすみなさい」
「はい。おやすみなさい」
扉が閉じる。
静かになった廊下で、
セレフィーナはしばらく立っていた。
「……まったく」
小さく息を吐く。
そして、自分でも気づかないほど
微かな笑みを浮かべた。
◆
それから、季節がいくつか巡り、
グレンは少し大きくなった。
剣を振る速度も上がった。
中級魔法も上達してきた。
それでも、彼は変わらない。
強くなったことを、自分では
大したことだと思っていなかった。
◆
ある日の訓練場
「……本当に16歳か?」
カイルが
呆れたようにグレンを見る。
「もうすぐ17歳ですよ」
「そういう問題じゃない」
「?」
グレンは首を傾げた。
カイルは苦笑する。
「……お前、俺と初めて剣を交えた時、
15歳だったろ」
「そうでしたね」
「二年足らずで…速すぎるんだよ!」
その言葉を聞いて。
グレンはふと空を見上げた。
青い空
王都の街並み
学院
騎士団
そして、エレノアの邸宅。
そこに来てから、
どれほどの時間が経ったのだろう。
「……いつの間にか」
グレンは小さく呟いた。
「そんなに時間が経っていたんだ」
その横顔を見て、
カイルは何も言わなかった。
◆
その頃
王都から遠く離れた北方。
一通の報告書が、
王国軍の上層部へ届けられていた。
『北部辺境にて、魔物の出現件数が増加』
それだけなら珍しいことではない。
だが
『単独ではなく、
群れで行動する個体が増加』
『これまで確認されていない地域での
目撃報告あり』
『魔物同士の行動に、
一定の規則性が見られるとの報告』
報告書を読む男の眉が寄った。
「……群れ、か」
窓の外
北の空だけが、
わずかに暗く見えた。
まだ誰も知らない。
それが、
やがて世界を揺るがすことになる
異変の始まりだということを。
ただ
王都の日々は、まだ穏やかだった。
第五話 了
生活が一変したグレン。
修行、研究は効率が上がります。
そして、色々深まりますねえ。




