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双月のヒナ 〜禁足地の戦乙女〜  作者: 哀川 とあ
1章  禁足地の少女
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第57話  月見ノ瞳

 満月だった。


 森全体へ、

青白い月光が静かに降り注いでいる。


 月が近い。


 森全体へ満ちた夜のマナが、

皮膚へまとわり付く。


 気を抜けば、

そのまま本能まで引きずられそうなほどに。


 ヒナは、不意に足を止めた。


 風が揺れた。


 けれど、

違う。


 風ではない。


 もっと深い、

夜そのものの流れだった。


 満月に満たされた森のマナが、

僅かに波打っている。


 誰かが動いた。


 静かな湖へ石を落としたみたいに、

月夜の均衡が崩れている。


 ヒナは細く息を吐き。


 静かに目を細めた。


「……動いた」


 隣で気配を殺していたロイドも、

すぐに反応する。


 互いに視線を交わす。


 言葉は必要なかった。


 ここまで来る間に、

互いの役割は、

何度も確認してきた。


 ロイドが救出へ向かう。


 ヒナがゼクトを引き受ける。


 人質を取る相手に対して、

正面から二人で動くのは危険だった。


 ゼクトの意識を引き付ける者。


 その隙に、

コトハへ辿り着く者。


 役割を分けた方が、

安全に救出出来る可能性が高い。


 それが、

ロイドの判断だった。


 ヒナは静かに目を閉じる。


 満月の光が、

睫毛へ淡く落ちた。


 ゆっくり呼吸する。


 肺へ入った冷たい夜気が、

身体の奥へ沈んでいく。


 そして。


 瞼が開く。


 青と金が混ざる瞳へ、

月光が静かに滲んだ。


《月見ノ瞳》。


 その瞬間。


 世界から、

“曖昧さ”が消えた。


 森が、

ただの景色ではなくなる。


 木々の輪郭。


 葉先に残る夜露。


 地中を脈打つマナの流れ。


 空間へ静かに編み込まれた結界。


 月光へ溶けるように張り巡らされた糸術式。


 本来なら見えるはずのないもの達が、

夜そのものに輪郭を与えられたみたいに、

静かに浮かび上がっていく。


 視界の奥。


 女神の湖近く。


 複雑に絡み合う無数の糸。


 その中心。


 淡い月光へ縫い留められるように、

コトハの姿があった。


 細い手首。


 首筋。


 足元。


 全身へ絡み付く銀糸。


 脈動するたび、

拘束術式が微かに揺れている。


 そしてヒナは理解する。


 力任せに壊せば、

コトハごと裂ける。


 だからこそ。


 静かにやる必要があった。


 ヒナは細く息を吐く。


「……いた」


 その小さな声だけで、

ロイドも状況を理解する。


 視線を巡らせた。


 揺れる木々。


 湿った土。


 湖側へ静かに流れていく夜のマナ。


 満月に満たされたこの場所そのものが、

既にゼクトの領域に近い。


 あの男が、

何も仕込んでいないはずがなかった。


 見えている危険だけじゃない。


 見えていない“何か”が、

必ずある。


 だからこそ、

派手に動くわけにはいかなかった。


 大きな衝撃。


 広域魔法。


 無理な突撃。


 そのどれもが、

コトハを危険へ巻き込む可能性がある。


 救出を優先するなら、

静かに動くしかない。


 ゼクトの意識を引き付ける者。


 その隙に、

コトハへ辿り着く者。


 役割を分けたのは、

そのためだった。


 ロイドの判断に、

ヒナも異論はなかった。


『救出するまでは派手にやるな』


 その言葉が、

不意に脳裏へ蘇る。


 満月だった。


 月が近い。


 濃密な夜のマナが、

じわじわと身体の奥へ染み込んでくる。


 鼓動が熱い。


 視界が冴える。


 空気の震えすら、

指先で掴めそうなほどだった。


 戦いたい。


 斬りたい。


 本能が、

静かに牙を立ててくる。


 満月の夜ほど、

自分の中の“何か”が濃くなる。


 けれど。


 ヒナは小さく肩を竦めた。


「……わかってるって」


 呆れたような声。


 だがその奥には、

ちゃんと抑えるつもりがある。


 ロイドは小さく息を漏らした。


 安心したのか。


 呆れたのか。


 自分でも分からないような顔だった。


 ただ。


 それでも、

ヒナが約束を守ろうとしている事だけは、

分かっていた。


 そして。


 ロイドの身体が、

静かに影へ溶ける。


《影縫いの首飾り》。


 存在感が薄れ、

森の闇へ同化していく。


 消える直前。


 ロイドは低く呟いた。


「……ヒナ」


「ん?」


「無茶はするな」


 一瞬だけ。


 ヒナが笑う。


 いつもの、

どこか悪戯っぽい笑み。


「ロイにだけは言われたくないかな」


 ロイドは何も返さなかった。


 ただ、

小さく目を細める。


 次の瞬間には、

その姿はもう闇へ溶けていた。


 あとに残ったのは、

静かな月光だけだった。

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