第53話 ハナオとボレロ
第44話
## 影縫いの首飾り
ガンテツの鍛冶場。
扉を開けた瞬間、
熱気が押し寄せてくる。
赤熱した炉。
淡い紫光を放つ月蝕結晶。
散乱した工具。
飲みかけの茶。
床へ転がった布。
誰かが寝ずに作業していた空気が、
工房全体へ残っていた。
「ねぇ!
兄ちゃんいる!?」
ヒナの声が鍛冶場へ響く。
その瞬間。
ガンテツが僅かに目を見開いた。
昨日から、
ヒナはかなり張り詰めていた。
飯も喉を通らず、
村中を無言で巡回していたくらいだ。
だからこそ。
こうして勢いよく飛び込んで来た事に、
少しだけ安心してしまう。
「……がはは!」
「昨日あんだけのことがあったのによぉ、
相変わらず威勢がいいな!」
豪快に笑う。
だが。
「ハナオか?
アイツ、
コトハ攫われてから工房に篭りっぱなしだ」
「何企んでんだか……」
その瞬間だった。
工房の奥で響いていた金属音が、
不自然なくらいぴたりと止まる。
熱気だけが残った。
赤熱した炉の光が揺れ、
暗がりをゆっくり照らしている。
誰も喋らない。
空気が妙に重い。
視線。
工房入口の奥。
積み上げられた資材の隙間。
そこに、
赤い目だけが浮かんでいた。
ロイドの背筋へ、
ぞわりと寒気が走る。
ケルベロスと対峙した時とも違う。
もっと別方向の、
理解不能な圧。
生理的な怖さ。
静寂。
炉の火だけが、
ごう、と低く鳴っている。
そして。
「ヒーナちゃ〜ん?」
聞き慣れた間延びした声が、
暗がりの奥から響いた。
次の瞬間。
くるり。
ひらり。
袖を翻しながら、
ハナオが回転して現れる。
長い髪がふわりと舞い、
月蝕結晶の装飾が光を反射した。
空気が一気に壊れる。
さっきまでの不穏さが、
別の意味で最悪な方向へ吹き飛んだ。
ロイドは思わず真顔になる。
――やっぱり怖い。
「ヒナちゃん?
やっぱり来たわねぇ〜」
ハナオは、
どこか納得したみたいに笑う。
「まぁ、
来る気はしてたけど?」
そして。
チャラ、と指先へ掛けられたロケット型ペンダント。
月蝕結晶の細工。
銀糸装飾。
淡く脈打つような光。
「ぼくを呼んだ理由は、
これよね?」
ケース部分には、
今より少し幼いヒナとハナオの姿が刻まれていた。
しかも妙に距離が近い。
無駄にキラキラしている。
ヒナの顔が少し明るくなる。
「そう!これ!
ハナオ兄ちゃんが前、
あたしの誕生日に無理やりつけさせようとしたネックレス!」
ロイドは数秒沈黙した後、
真顔で呟いた。
「……拒否するだろ、これは」
ヒナも即座に頷く。
「うん。
あの時、
本気で逃げた」
ハナオが胸を押さえた。
「酷いわヒナちゃん……!」
「ぼく、
“気配が消える二人だけの友情ペンダント”って説明したのよ!?」
「説明がもう怖いんだって……」
ヒナは少し引いた顔をする。
「しかも、
無理やり首につけようとしてきたし……」
ハナオは胸へ手を当てる。
「保護者の愛よ?」
「圧が強いの」
ロイドは思わず視線を逸らした。
なるほど。
これは逃げる。
むしろ逃げない方がおかしい。
ガンテツも呆れたように鼻を鳴らす。
「昔っからそのテンションなんだよ、
コイツは……」
ハナオは満足そうに笑っていた。
だが。
次の瞬間、
ふっと表情から笑みが消える。
「……やっぱり必要になったでしょ?」
空気が少し変わる。
ロイドとガンテツが目を向ける。
そして。
「それと……」
ハナオは静かに工房の奥へ歩いていく。
炉の赤光が、
長い影を床へ落としていた。
散らばった工具。
削り屑。
焼けた月蝕結晶の匂い。
その奥から、
ハナオは一枚の布を放る。
ヒナが慌てて受け止めた。
「わっ」
ふわり、と布が広がる。
新しいボレロだった。
白銀混じりの白を基調にした軽装。
肩から袖へ流れる銀糸装飾が、
月光を受けて淡く煌めいている。
ヒナの細い体格。
超高速戦闘時の動き。
風の抜け方まで計算された形状。
それだけでも、
異常な完成度だった。
だが。
ロイドはすぐ気付く。
昨日、
《エクリプス・ドラグ》が裂いた箇所。
そこだけ、
僅かに布の色が違っていた。
近付かなければ分からない。
だが確かに、
そこへ高密度マナが流れている。
月蝕結晶糸。
衝撃分散加工。
微弱結界。
しかも。
防御強化されているにも関わらず、
布の重さがほとんど変わっていない。
動きやすさも、
一切死んでいなかった。
ロイドは無意識に息を呑む。
王都の技術者達でも、
ここまで自然な補強はまず不可能だ。
防御を上げれば、
重量が増す。
重量を削れば、
耐久が落ちる。
だがこのボレロは、
その常識を壊していた。
「女の子の服裂くなんて最低よねぇ?」
ハナオは笑う。
だが。
その目だけは、
まるで笑っていなかった。
ヒナは、
新しいボレロを静かに撫でる。
指先が、
補強された布地をゆっくりなぞった。
月蝕結晶糸が、
微かに光を返す。
その感触を確かめるみたいに、
ヒナは少しだけ目を細めた。
「……相変わらず、
ハナオ兄ちゃんらしいね」
その声だけは、
少し柔らかかった。
ハナオは肩を竦める。
「保護者ですもの」
「ヒナちゃん、
昔から無茶するんだから」
「……してないし」
「するのよ」
即答だった。
ロイドは思わず視線を逸らす。
否定出来ない。
というか、
ここ数日だけでも十分無茶を見ている。
ハナオは、
そんなロイドの反応を見て満足そうに笑った。
だが。
その笑みは、
すぐ静かに消える。
「……コトハちゃん、
ちゃんと連れて帰ってきなさい」
工房の空気が少し変わった。
炉の火が、
ごう、と低く揺れる。
ヒナはボレロを抱えたまま、
小さく頷く。
「うん」
短い返事だった。
だが。
そこには、
迷いより覚悟の方が強く滲んでいた。




