第52話 満月の前日に
満月前日。
昨日の《月蝕竜/エクリプス・ドラグ》襲撃によって、
ティーナ村には大きな被害が残っていた。
崩れた家。
抉れた地面。
折れた柵。
それでも、
幸い村人達に大怪我はない。
昼過ぎの村では、
既に総出で復旧作業が始まっていた。
乾いた金槌音。
木材を運ぶ声。
修復マナの淡い光。
だが。
空気だけは妙に冷たい。
昼だというのに、
風は肌を刺すみたいに冷えていた。
ロイドは、
その音を聞きながら村の中を歩く。
王都とは違う。
規律も、
軍も、
命令もない。
なのに。
この騒がしさを、
どこか安心して聞いている自分がいた。
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村外れの崖。
そこに、
ヒナは座っていた。
冷たい風が、
亜麻色の髪を揺らしている。
温泉上がりなのだろう。
まだ少し湿った髪先から、
白い湯気が淡く消えていた。
だが。
昼食は食べていないらしい。
膝を抱えたまま、
崖の先をぼんやり見つめている。
呼吸も少し浅い。
顔色も良くなかった。
温泉も、
落ち着こうとして無意識に入っていたのだろう。
ロイドはそんな背中を見ながら、
ゆっくり近付いた。
「……ヒナ」
少女が振り返る。
蒼と金が混ざる瞳。
だが、
いつもの光は少し弱い。
「昼飯は食べないのか?」
「ミツキさん、
探してたぞ」
ヒナは少し目を瞬かせた。
「あ……」
本当に今気付いたみたいな声だった。
ロイドは小さく息を吐く。
いつの間にか、
自然と分かるようになっていた。
ヒナが、
どんな時間に風呂へ入り、
どんな時間に飯を食べるのか。
そんな、
どうでもいいはずの日常を。
沈黙。
風が吹く。
遠くでは、
まだ村人達の復旧作業の音が響いていた。
ヒナは、
女神の湖方向へ感覚を伸ばしている。
遠い。
かなり遠い。
それでも。
まだ、
コトハの気配は消えていなかった。
「……コトハ。
大丈夫……かな」
掠れた声だった。
その直後。
ヒナは村の方を見れなくなる。
視線を逸らした。
ロイドには分かる。
この少女は、
自分が狙われたせいで村が壊れたと思っている。
ティーナ村で過ごす中で、
ロイドも気付いていた。
ヒナは、
こういう所だけ妙に不器用だ。
「昨日のモンスター襲撃……」
ヒナが静かに呟く。
「マナの濃い奴がいた。
多分、
アイツが村を襲わせたんだ……」
ロイドは頷いた。
「……嫌な攻め方だな」
「周囲から削る。
暗殺者の手口だ」
理性では理解出来る。
人質は有効だ。
精神を削れば、
ヒナ本来の戦い方は崩れる。
騎士として考えるなら、
正しい。
だが。
ロイドの奥歯が、
無意識に軋んだ。
ヒナは俯く。
「絶対に許さない……!」
「コトハに……
村に……!」
「狙いはあたしなのに……!」
握った拳が震えていた。
そして。
ヒナは少しだけ笑おうとして、
失敗する。
「あたし……
戦う事しか知らないから……」
その声を聞いて。
ロイドは静かにヒナへ近付いた。
そっと頭へ手を置く。
指先へ触れた髪は、
驚くほど柔らかかった。
こんな細い身体で。
この少女は、
あれほどの化物達と戦っている。
未だに時々、
現実感が狂う。
「ヒナの看病が無ければ、
俺はここにいなかった」
「村のみんなのお陰で、
俺は強くなれた」
「だから明日、
必ずコトハを助ける」
ロイドの視線が、
無意識にヒナの腕へ落ちる。
袖口。
指先。
肌。
傷はない。
それを確認して、
ようやく少し息を吐いた。
――血を流させるな。
神殿で聞いた言葉が、
まだ頭から離れない。
ヒナは小さく息を吐く。
「……でも。
アイツ、
あたし一人で来いって」
「ゼクトは頭が良い」
ロイドは即答する。
「ヒナの戦闘センスが、
人質一つで崩れる事を理解してる」
風が吹く。
二人の間へ、
静かな沈黙が落ちた。
ロイドは、
ヒナの隣へ腰を下ろす。
「……気配を隠せれば」
ロイドが低く呟く。
「まだ、
戦術の幅はあるんだが……」
真正面から行けば、
ゼクトの思う壺だ。
人質を取られた状態で、
ヒナ本来の戦い方は出来ない。
だからこそ。
相手の想定を崩す必要がある。
その静かな空気の中で。
ふと。
ヒナが顔を上げた。
「そう言えば……」
「前、
ハナオ兄ちゃんが言ってた」
“ヒナちゃんのマナ、
隠せたら最強よねぇ〜”
「……って」
ロイドが目を細める。
「マナを隠す……
気配を消すのと同じか」
だが、
すぐに眉を寄せた。
「……いや。
そんな高度な事が本当に可能なのか?」
外界でも、
気配遮断系の術式は存在する。
だがそれは、
使用者自身が膨大な集中力で
魔力制御を行って初めて成立する技術だ。
常時発動型の魔道具など、
ロイドは聞いた事がなかった。
「もし本当に可能なら……
アイツの裏を取れる」
そんなものが本当に存在するのか。
ロイドはまだ半信半疑だった。
だが。
少しだけ光が戻ったヒナの瞳を見て、
ロイドは小さく息を吐く。
さっきまで張り詰めていた空気が、
ほんの少しだけ和らいでいた。
立ち上がるヒナ。
「……行こ、ロイ」
その声は、
さっきより少しだけ強かった。
ロイドは小さく笑う。
「少し、
ヒナらしくなったな」
少女はもう返事をしない。
風を切るように走り出していた。
満月まで、
あと一日。




