第49話 侵食の空
神殿を飛び出した瞬間、
ロイドは思わず目を細めた。
白く濁った陽射しが、
鋭く視界へ刺さる。
だが。
その光とは裏腹に、
空気は妙に冷えていた。
昼だというのに、
空には白く濁った月色の粒子が漂っている。
影も濃い。
まるで、
世界そのものが月側へ引き寄せられているみたいだった。
遅れて視界が慣れる。
そして。
「……っ」
ロイドは息を呑んだ。
ティーナ村上空。
そこを覆い尽くすように、
無数の《月蝕竜/エクリプス・ドラグ》が飛翔していた。
巨大な翼が空を裂き、
何度も村へ影を落とす。
爆音。
閃光。
崩れ落ちる家屋。
対空魔法が空を駆け、
白煙と火花が幾重にも広がっていた。
「ロイ君!!」
振り向く。
外壁近くで迎撃していたゲンが、
大剣を振り抜きながら叫んだ。
「かなり数は減った!!
だが厄介な奴が残ってる!!」
「こっちは手一杯だ!
ヒナを……
ヒナを手伝ってやってくれ!!」
「なんなんですか……
これは……!」
ロイドは空を見上げる。
ヨネが険しい顔で、
乱れた空気を睨んでいた。
「昼間なのに、
マナが乱れとる……」
「……あの人魔の影響かもしれぬのう」
低く呟く。
「上空四体。
わしが一体抑え、
ヒナが二体落とした」
「じゃが……
残り一体がおかしい」
ロイドは再び空を見る。
一……
二……
その瞬間だった。
――キン。
澄んだ音が、
張り詰めた空気を震わせた。
次の瞬間。
白い閃光が空を裂く。
轟音。
《エクリプス・ドラグ》二体が、
ロイドの目の前へ墜落した。
地面が揺れる。
一体は真っ二つ。
もう一体も地面へ転がり、
ピクリとも動かなかった。
土煙がゆっくり晴れていく。
その中心。
冷たい風の中で、
白銀混じりの亜麻色の髪が揺れていた。
ヒナだった。
肩が小さく上下している。
呼吸は少し荒い。
額には薄く汗が滲み、
白い肌を淡く濡らしていた。
それでも。
ヒナはいつも通りみたいに、
ふっと口元を緩める。
「ロイ。
まだ二体いる」
「手伝ってくれる?」
その軽い声音に、
ロイドの張り詰めていた感覚が少しだけ解ける。
だが。
呼吸が荒い。
それだけで、
胸の奥がざわついた。
ロイドは《スヴェード・クシフォス》へ手を掛ける。
(俺はヒナを守る)
(……力を貸してくれ)
マナが剣へ流れ込む。
キィィィン……
低い剣鳴り。
ロイドが残るドラグへ視線を向けた、
その時だった。
背後。
墜落していた一体が、
まだ生きていた。
巨大な口腔内部へ、
黒い火炎みたいなマナが渦巻いていく。
「――っ!」
次の瞬間。
黒い火炎が咆哮と共に吐き出され、
一直線にヒナへ迫った。
油断していたヒナが、
目を見開く。
その瞬間。
ロイドの身体が、
弾かれるみたいに前へ出た。
思考より先に、
足が動いていた。
風景が置き去りになる。
空気が裂ける。
次の瞬間には、
ヒナの眼前まで迫っていた黒い火炎へ、
《スヴェード・クシフォス》が振り抜かれていた。
白い閃光。
黒炎が、
音もなく両断される。
遅れて。
圧縮された光の斬撃が奔り、
《エクリプス・ドラグ》の巨体を呑み込んだ。
竜鱗が砕け、
肉が裂け、
光の中で巨体が崩壊していく。
次の瞬間。
轟音と共に、
ドラグが空中で爆散した。
一瞬、
世界から音が消えた。
ヒナが呆然とロイドを見る。
守られた。
初めての感覚だった。
少し間を置き。
ヒナが柔らかく笑う。
「……ありがと」
ロイドは剣を握り締める。
「俺が……
ヒナを守る」
ヒナは少しだけ目を丸くした。
それから、
照れ隠しみたいに笑う。
「ロイなら、
あたしの背中任せられそうだね」
軽く、
背中をツンツンと突かれる。
ロイドはその言葉の重みを理解していた。
“背中を預ける”。
それは騎士にとって、
最大級の信頼だった。
ヒナが空を見上げる。
「ティーナ村周辺でも、
コイツら災害級だから……」
「油断しないでね、ロイ」
ロイドも頷く。
「ヒナも強い。
だが無理は絶対するな」
その直後。
ヨネの放った《ルクス・スレイヴ》が、
空を灼いた。
爆ぜる炎光。
熱風が遅れて吹き抜ける。
《エクリプス・ドラグ》の片翼が、
灼熱の中で無理やり引き裂かれた。
黒い鱗が砕け、
焼けた肉片が火花みたいに空へ散る。
巨体が大きく傾ぐ。
苦鳴。
空気を震わせながら、
制御を失った竜が地面へ墜ちていく。
轟音。
大地が揺れ、
土煙が村外れへ広がった。
ヒナが左耳の《陽輪》へ触れる。
――キン。
澄んだ音が、
乱戦の空気へ静かに溶けた。
次の瞬間。
白銀の粒子が、
月光みたいに周囲へ舞い広がる。
《ルナ・フェザー》。
ふわり、と。
ヒナの身体から、
重力だけが抜け落ちた。
亜麻色の髪が宙へ揺れる。
白銀混じりの毛先が、
淡い光を受けて静かに煌めいた。
軽い。
まるで羽そのものだった。
空気を蹴るのではなく、
風へ溶け込むみたいに。
ヒナの身体が、
静かに宙へ浮かび上がる。
地面を踏み切った音すら、
ほとんど聞こえない。
ただ。
白い残光だけが、
空へ細く軌跡を残していた。
そのまま。
ヒナは落下する《エクリプス・ドラグ》へ、
一直線に駆け抜ける。
「追撃して動けなくする!!」
「ロイ!
下でとどめ!!」
白い閃光が奔る。
《ルナ・フェザー》で加速したヒナが、
落下する《エクリプス・ドラグ》の懐へ滑り込んだ。
斬撃。
回転。
蹴り。
細い身体から放たれたとは思えない衝撃が、
巨体を無理やり地面へ叩き落とす。
轟音。
土煙が爆ぜた。
「ロイ!!」
呼応するみたいに、
ロイドが踏み込む。
大地が砕ける。
《スヴェード・クシフォス》が、
唸るような剣鳴りを響かせた。
次の瞬間。
無数の光斬撃が、
暴風みたいに解き放たれる。
白い軌跡が幾重にも交差し、
《エクリプス・ドラグ》の巨体を斬り裂いていく。
竜鱗が砕ける。
肉が裂ける。
光そのものへ呑み込まれるみたいに、
ドラグの身体が崩壊していった。
そして。
轟音と共に巨体が爆散する。
遅れて舞い落ちたのは、
灰と、
無数の月蝕結晶だけだった。
二人は背中合わせのまま着地する。
砕けた月蝕結晶が、
足元で乾いた音を鳴らした。
荒い呼吸。
熱を帯びた空気。
だが。
次の瞬間。
空気が変わった。
冷たい。
まるで、
夜そのものが流れ込んできたみたいだった。
ロイドの肌へ、
嫌な粟立ちが走る。
最後の一体だけ、
明らかに違う。
空中で羽ばたく度に、
淀んだ月色のマナが周囲へ滲み出していた。
空間が軋む。
景色が微かに歪む。
呼吸する度に、
肺の奥へ冷たい異物が入り込んでくるみたいだった。
温度が下がる。
遠くで、
村人達が苦しそうに耳を押さえていた。
マナそのものが悲鳴を上げている。
「……アイツ、
他と違う」
ヒナが低く呟く。
その声には、
今まで無かった警戒が滲んでいた。
青と金の瞳から、
一瞬だけ余裕が消える。
「まさか……
特異個体……!」




