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双月のヒナ 〜禁足地の戦乙女〜  作者: 哀川 とあ
1章  禁足地の少女
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第42話 夕暮れの来訪者



 巡回帰りの森は静かだった。


 夕方が近い。


 木々の隙間から差し込む西陽が、

長い影を地面へ落としている。


 先頭を歩くヒナが、

時折森の奥へ視線を向ける。


 ロイドはその少し後ろを歩き、

コトハは落ち葉を踏みながら後を追っていた。


 風が静かに森を揺らす。


 女神の湖方面から戻るこの道は、

ティーナ村周辺でも特に静かな場所だった。


 湖面には、

赤金色の夕陽と、

薄く浮かび始めた月が同時に映っている。


 静かだった。


 本来なら、

ただそれだけの巡回で終わるはずだった。


 その時。


「――っ!!」


 遠くから、

女の悲鳴が響いた。


 ヒナの目つきが変わる。


 亜麻色の髪が翻るより先に、

彼女の身体は地面を蹴っていた。


「湖!」


 ロイドとコトハも即座に反応する。


 三人は枝を裂き、

草を踏み越えながら森を駆け抜けた。


 そして。


 女神の湖へ飛び出した瞬間だった。


 巨大な影が、

低空を旋回していた。


 白銀の翼。


 獅子の胴。


 鋭利な鉤爪。


 月神系マナを纏ったSS級変異種――

《月翼獅子/ルナ・グリフォン》。


 その巨体が、

湖畔へ倒れ込む女を弄ぶみたいに旋回している。


 不気味なほど静かだった。


 普通の魔物みたいな咆哮がない。


 ただ、

獲物を見定める冷たい視線だけがある。


 女は血塗れだった。


 衣服は裂け、

片腕には深い裂傷。


 呼吸も浅い。


 今にも死にそうだった。


 だが。


 ヒナは僅かに眉を寄せる。


(……変)


 死にかけている。


 それは確かだった。


 なのに。


 呼吸が静か過ぎる。


 恐怖で乱れる匂いが、

妙に薄かった。


 まるで。


 無理やり恐怖を押し殺しているみたいだった。


 次の瞬間。


 《ルナ・グリフォン》が急降下する。


 巨大な鉤爪が、

女へ向かって振り下ろされた。


 ヒナは髪をかき上げる。


 左耳のピアスへ指先が触れた。


 軽く弾く。


 ――キン。


 澄んだ音が、

夕暮れの湖畔へ響いた。


 直後。


 白銀の残光が走る。


「っ――」


 ヒナの姿が消える。


 空気が遅れて裂けた。


 《スウィフトネスブレイズ》。


 超高速連撃。


 湖面へ月光みたいな斬光が幾重にも走り、

《ルナ・グリフォン》の翼を切り裂いていく。


 巨大な獣が初めて咆哮した。


 空気が震える。


 だが。


 ヒナは止まらない。


 白銀混じりの亜麻色の髪が、

夕陽と月光を同時に反射する。


 速い。


 ロイドですら、

視線で追うのがギリギリだった。


 《ルナ・グリフォン》が翼を広げ、

強引に空へ逃れようとする。


 その瞬間。


 ロイドが踏み込んだ。


「――逃がすか!!」


 《スヴェード・クシフォス》を抜く。


 白銀光が奔る。


 以前みたいな暴走はない。


 制御されている。


 守るために振るうと決めた、

今のロイドの斬撃だった。


 白銀の一閃。


 空間を裂いた斬撃が、

《ルナ・グリフォン》の核を正確に断ち切る。


 巨大な獣が崩れ落ちた。


 湖畔へ重い音が響く。


 静寂。


 その中で。


 《クシフォス》が、

微かに震えた。


 まるで、

何かを警戒しているみたいに。


 ロイドは僅かに眉を寄せる。


「……?」


 だが。


 今はそれどころじゃない。


「コトハ!」


「うん!」


 コトハが即座に駆け寄り、

回復魔法を展開する。


 白い光が、

血塗れの女を包み込んだ。


 ヒナはその様子を見つめながら、

小さく呟く。


「……変な感じするんだけどね」


 ロイドへ視線を向ける。


 言葉は少ない。


 だが、

ロイドも理解していた。


 禁足地深部。


 しかも、

ティーナ村近辺。


 普通の人間が来られる場所じゃない。


 まして、

SS級変異種に追われながら生存しているなど異常だった。


 だが。


 目の前の女は、

本当に死にかけていた。


 コトハの回復が無ければ、

助からなかっただろう。


 ロイドは警戒を抱きながらも、

まず保護を優先する。


 しばらくして。


 女の睫毛が小さく震えた。


「……っ」


 浅い呼吸。


 ゆっくりと瞼が開く。


 淡い夕陽が、

その瞳へ差し込んだ。


「……ここは……?」


 掠れた声だった。


 息も途切れ途切れだ。


 ヒナは警戒を隠したまま、

静かに問い掛ける。


「ティーナ村の近くだけど……

 あなたは?」


 女は苦しそうに息を吐く。


 少し間を置いて、

震える声で答えた。


「……セリニス……


 グランディアで、

 商人をしている父と……


 ミレナ港まで向かっていて……」


「グランディア?

 ミレナ?」


 コトハが首を傾げる。


「聞いた事あるような……?」


 その瞬間。


 セリニスの表情が、

ほんの僅かに止まる。


 だが、

次の瞬間には怯えた顔へ戻っていた。


「お父様は……!?


 私達、

 ミレナ近くで……

 魔物に襲われて……」


 ロイドの表情が変わる。


 “ディドラス”


 その単語へ、

身体が先に反応していた。


「ミレナまで魔物が出ただと……!?」


 低い声だった。


「あり得ない……

 あそこは騎士団が抑えていたはずだ……!」


 セリニスが肩を震わせる。


 ヒナはロイドの腕を軽く叩いた。


「ロイ。

 落ち着いて」


 ロイドは息を止める。


 そして短く息を吐いた。


「……悪い」


 だが、

灰色の瞳から警戒は消えていない。


 セリニスは怯えたまま続ける。


「数ヶ月前……


 グランディアの第一騎士団が、

 禁足地へ向かって消息を絶ったんです……


 その後すぐ、

 禁足地から見たことのない魔物が、

 ディドラス地方全域で目撃され始めて……」


 空気が変わった。


 風の音だけが、

静かに湖畔を抜けていく。


 ロイドは言葉を失っていた。


 胸の奥へ、

重い感覚が沈んでいく。


(……俺達が止められなかったせいで)


 そんな考えが、

頭を過ぎる。


 ヒナもまた、

静かに外の世界へ意識を向け始めていた。


 ロイが生きてきた世界。


 その場所で、

今も誰かが襲われている。


「他に動ける人はいないの?

 騎士団とか……

 王国の強い人達」


 ヒナの問いへ、

ロイドは俯いたまま答える。


「第一騎士団は精鋭だった。


 俺の部隊だ。


 ……ヒナも知ってるだろ?


 あの日、

 全滅したんだ」


 重い静寂が落ちる。


 風が湖面を撫で、

赤金色の光が静かに揺れた。


 セリニスは息を飲む。


「……やっぱり……

 禁足地で何か起きていたんですね……?」


 ロイドは静かに頷いた。


「禁足地深部で、

 特異体と遭遇した。


 結果は……

 俺がここにいる事でわかるだろ」


 その声に、

僅かな苦さが滲む。


 セリニスは視線を落とした。


「私達を襲った魔物も……

 特異体だったと思います……


 護衛ギルドの人達が戦って……


 私は逃げる途中で、

 あの魔物に捕まって……」


 呼吸が乱れる。


 コトハの回復光が、

静かに傷口を包み続けていた。


「気付いた時には……

 ずっと空を飛ばされていて……」


 ロイドは倒れた《ルナ・グリフォン》を見る。


 白銀の翼は、

人を抱えたまま長距離を飛ぶには十分過ぎた。


 外界で、

確実に何かが起きている。


 沈黙の後。


 ヒナが空気を変えるみたいに、

小さく笑った。


「何にしても、

 ここじゃ危ないからさ?


 ティーナ村まで案内するよ。


 セリニス、

 立てる?」


「脚に……

 力が入らなくて……」


 するとコトハが前へ出る。


「わたしが浮遊魔法で運ぶよ!」


 ヒナとロイドは頷いた。


 その時だった。


 浮遊魔法で身体が持ち上がる直前。


 セリニスの視線が、

一瞬だけヒナの左耳のピアスへ向く。


 口元が、

ほんの僅かに歪んだ。


 だが。


 夕陽の揺らぎのせいだったのかもしれない。


 次の瞬間には、

怯えた表情へ戻っていた。


 しかし。


 ロイドだけは見逃さなかった。


 胸の奥で、

戦場時代の嫌な感覚が蘇る。


(……あの女)


 本当に、

ただの被害者か――?


 その時。


 腰の《クシフォス》が、

微かに震えた。


 ロイドは視線だけを落とす。


 白銀の刃は、

まるで何かを警戒するみたいに、

小さく共鳴を続けていた。

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