第41話 スライム異常発生
《スヴェード・クシフォス》を受け取ってから数週間。
ロイドはティーナ村で鍛錬を重ね、
少しずつクシフォスの制御を身につけ始めていた。
まだ完全ではない。
だが、
以前みたいな大暴走は減っている。
剣もまた、
少しずつロイドという使い手を見定め始めているようだった。
⸻
昼前。
いつもの露天温泉。
岩風呂から立ち昇る白い湯気が、
昼の光へゆっくり溶けていく。
ロイドは、
湯へ肩まで浸かりながら小さく息を吐いた。
……慣れてしまった。
ヒナと一緒に温泉へ入る事に。
最初こそ毎回死ぬほど動揺していたが、
最近では妙に自然になってきている。
それはそれでどうなんだ、
とロイドは思う。
「どわぁっ!?って顔してたもん」
向かい側。
濡れた亜麻色の髪を揺らしながら、
ヒナが腹を抱えて笑っていた。
「ぷぷぷっ……
ロイほんとおもしろいなぁ」
「笑うな……」
ロイドは眉を寄せる。
今日の午前中。
巡回中、
ロイドはクシフォスのマナ制御を誤り、
盛大に暴走させた。
原因はモンスターの幻影術だ。
問題は、
見せられた内容だった。
妙に距離感の近いヒナ。
やたら薄着。
何故か耳元で囁いてくる。
結果。
平常心が吹き飛んだ。
当然、
そんな事は絶対に言えない。
「少し気が散っただけだ!
平常心なら問題なかった!」
「へぇ〜?」
ヒナはにやにやしながら覗き込んでくる。
「幻影術にでも……
何か見せられてたのかな?」
「っ!?」
図星だった。
次の瞬間。
ロイドの鼻から勢いよく血が吹き出した。
「の、のぼせた!!」
ロイドは勢いよく立ち上がる。
「先に上がる!!」
逃げるように温泉を出て行く。
ヒナはきょとんとした。
「……ロイまた変なこと考えてた?」
ロイドは何も答えなかった。
⸻
湯上がり。
昼のティーナ村。
風に揺れる洗濯物。
昼食の匂い。
村人達の笑い声。
穏やかな昼だった。
そのはずだった。
「増えてるぞ!!」
「火を使うな!!
分裂する!!」
突然、
村の方から怒声が響いた。
ロイドは思わず足を止める。
「地下水脈側だ!!」
「雨の後で一気に湧いた!!」
その瞬間だった。
隣のヒナの表情が凍る。
――ぬち……
――ぴちゃ……
遠くから、
粘ついた水音が聞こえてくる。
湿った臭気が、
風に混じって流れてきた。
ヒナは無意識に、
左耳の《陽輪》へ触れる。
――キン。
だが、
いつもの澄んだ音は弱い。
「……やだ」
ヒナが、
そっとロイドの後ろへ半歩隠れた。
白銀混じりの髪が、
僅かに震えている。
左耳の《陽輪》を握る指先にも、
強く力が入っていた。
ロイドは困惑する。
意味が分からない。
だがヒナは、
明らかに顔色を失っていた。
その時、
遠くの村人が叫ぶ。
「ヒナちゃんには聞かせるな!!」
ロイドだけが事情を知らなかった。
⸻
家へ入ると、
ミツキとコトハが既に外の様子を見ていた。
ヒナは少しだけ視線を逸らす。
左耳の《陽輪》を握る指先へ、
また力が入った。
――ぬち……
遠くから、
あの嫌な水音がまだ聞こえる。
少し沈黙。
そしてヒナは、
嫌な予感を押し殺すみたいに口を開いた。
「……何かあったの?」
ミツキは普通に答えた。
「スライムが出たのよ」
沈黙。
ヒナの動きが止まる。
笑顔が消えた。
目が泳ぐ。
完全硬直。
ロイドは理解が追いつかない。
「……大丈夫か?」
その直前。
コトハがぽつりと呟いた。
「お姉ちゃん……
スライム大嫌いなの」
「嘘だろ?」
ロイドは思わず聞き返す。
「あんなに強いのにか?」
「強いとかの問題じゃないみたい」
コトハは慣れた様子だった。
ミツキも苦笑する。
「ヒナじゃ対応できないのよねぇ」
ヒナは真っ青な顔で呟く。
「……今ちょっと無理……」
「……別に怖くないし……
ただ無理なだけで……」
全く説得力がない。
ロイドが顔を覗き込むと、
本当にこの世の終わりみたいな顔をしていた。
しかも。
恐怖で震えているのに、
ヒナの瞳だけは、
窓の外の侵入経路を正確に追っていた。
本能だけは、
止まらない。
だが身体が拒絶している。
⸻
その時。
「村の中まで来たぞ!!」
「壁の隙間から入ってくる!!」
「去年より多いぞ!!」
「塩足りねぇ!!」
外からさらに大きな悲鳴が響く。
ヒナは反射的にロイドの服を掴んだ。
「ほらっ!!
来た来たっ!!」
「アイツら勝手に入ってくるの!!」
「弱いくせに沢山来るの!!」
「中身ネバネバなの!!」
「臭いし!!
触れないよぉ……!」
完全に半泣きだった。
恐怖で早口になっている。
だが途中で、
ヒナは少し悔しそうに俯いた。
「……本当は手伝いたいんだけど……」
「……無理……」
ロイドは初めて、
ヒナの“弱さ”を見た気がした。
今まで何度も、
この少女に救われてきた。
月光みたいに静かに。
圧倒的な強さで。
そんなヒナが、
今は震えている。
ロイドの表情から、
湯上がりの緩さが消えた。
灰色の瞳が細まる。
騎士団長だった頃の空気が、
静かに戻ってくる。
⸻
その時。
バンッ!!
勢いよく扉が開く。
「ロイ君!!
コトハ!!
ミツキも!!」
ゲンだった。
「急に増えた!!
手に負えん!!」
「手伝ってくれ!!」
そしてヒナを見るなり即断する。
「ヒナは絶対外へ出すな!!
またあの時みたいになるぞ!!」
完全に村全体のトラウマだった。
⸻
ロイドはヒナを見る。
涙目。
震える肩。
服を掴む細い指。
普段の、
月光の怪物みたいな少女とは別人だった。
「……先に隠れてろ」
ヒナを部屋へ連れて行く。
だが、
ロイドが部屋を出ようとした瞬間。
ヒナが服を掴んだ。
「……一人にしないでぇ」
ロイドは思わず吹き出しかける。
だが、
本気で怖がっている事に気付いた。
気付けば自然に、
ヒナの頭を撫でていた。
「大丈夫だ」
「ここには結界もある」
「任せろ」
少し沈黙。
ヒナは《陽輪》を握ったまま、
小さく俯く。
そして。
「……ロイなら大丈夫」
ロイドの腰の《スヴェード・クシフォス》を見て、
少しだけ安心したみたいに息を吐いた。
⸻
外では、
既に村人総出のスライム駆除が始まっていた。
農具。
薬草玉。
マナ塩。
結界縄。
ティーナ村独特の駆除法が飛び交っている。
「切るな!!
増えるぞ!!」
ゲンの怒声。
ロイドは慌ててクシフォスの出力を抑える。
王国なら、
一撃で焼き払って終わりだった。
だが。
ここには畑があり、
家があり、
人の生活がある。
広範囲斬撃では畑ごと吹き飛ぶ。
ロイドは何度か制御を誤り、
地面を浅く抉った。
「違う!!
もっと細く流せ!!」
村人達の声が飛ぶ。
「ロイ!!
右だ!!」
「ロイド兄ちゃん!!
後ろ!!」
「ヒナちゃん頼んだぞ!!」
ロイドは、
少しずつ自分がティーナ村の一員になっている事を感じ始めていた。
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戦闘中。
小型スライムがロイドの腕へ飛び付いた。
「うわっ!?」
ぬめり。
腐った沼みたいな臭気。
ベタつき。
しかも全然取れない。
クシフォスの白銀光すら、
露骨に嫌そうに揺れた。
「……お前も嫌なのか?」
ロイドは本気で顔をしかめた。
「……ヒナが嫌がる理由、
ちょっとわかった……」
⸻
戦いは長引いた。
弱い。
だが数が多い。
壁の隙間から侵入し、
焼けば分裂し、
畑を荒らす。
完全に災害だった。
夕焼け。
汗。
泥。
疲労。
それでもロイド達は戦い続けた。
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最後のスライムを駆除し終えた頃には、
村は夜になっていた。
静かな夜風が、
昼間の嫌な臭気をゆっくり洗い流していく。
クシフォスの刀身を流れる白銀光は、
今夜は不思議なほど穏やかだった。
まるで。
“守るために振るった”事を、
剣自身も理解したみたいに。
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全ての確認が終わってから数分後。
家の扉が、
そっと開く。
「……本当に全部確認した?」
恐る恐る顔を出すヒナ。
村人達は笑った。
「全部片付いたぞー!」
ヒナは安心したように息を吐く。
「……今日は二回入る」
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夜の露天温泉。
湯気。
静かな月。
ロイドは疲れた身体を湯へ沈める。
「……まだちょっと臭う気がする……」
するとヒナが真顔で言った。
「でしょ?」
「あたし十二歳の時、
全身ネバネバにされて、
しかも臭くて三時間泣いたもん」
ロイドは苦笑する。
「……そりゃ嫌いにもなるか」
ヒナは少しだけ笑った。
「ロイ、
今日ちょっと騎士っぽかった」
ロイドは少しだけ目を逸らす。
騎士として認められた気がした。
それが妙に嬉しかった。
月明かりを受けたヒナの横顔は、
やはりどこか人外じみて美しかった。
普通の女の子みたいなのに。
それでもやはり、
“月光の怪物”だった。
だがロイドはもう、
その姿を怖いとは思わなかった。
静かなティーナ村の夜が、
ゆっくり更けていく。




