第40話 剣との対話
昼過ぎ。
ティーナ村、いつもの鍛錬場。
山から吹き下ろす風が、
乾いた土を静かに撫でていた。
ロイド・ディドラスは、
《スヴェード・クシフォス》を握ったまま、
額へ薄く汗を浮かべている。
「ぐっ……!
ぐぐっ……!」
白銀の刀身が低く唸る。
まるで、
不満を漏らしているみたいだった。
ロイドは歯を食いしばる。
抑え込め。
制御しろ。
武器とはそういうものだ。
騎士として、
ずっとそう教え込まれてきた。
だが。
その瞬間だった。
ズドォン――!!
「どわっ!?」
《スヴェード・クシフォス》から、
巨大な白銀斬撃が暴走した。
山を断ち切りかねない三日月型の衝撃波が、
轟音と共に空を裂いて飛んでいく。
ロイドは慌てて飛び退いた。
だが。
暴走した斬撃は、
鍛錬場外周へ展開された結界へ衝突し、
白銀の火花を散らして霧散する。
村には被害一つ出ない。
普通なら、
小さな村など一撃で消し飛ぶ威力だった。
その結界を張っている本人はというと――
ズズッ。
縁側で茶を飲んでいた。
「……」
ロイドは無言で視線を向ける。
ヨネは何事もなかったみたいに、
湯呑みを置いて笑った。
「ロイよ。
ヒナにも言われたじゃろうて」
「普通に振るうでない。
振るう前に、
剣へ何をしたいのかをマナで語りかけるんじゃよ」
「……語りかける」
ロイドは眉を寄せた。
頭では理解している。
だが、
感覚が追いつかない。
武器へ語りかける?
剣に?
騎士として生きてきたロイドには、
どうしてもその感覚が理解出来なかった。
すると横で、
コトハが首を傾げる。
「ペット……
みたいな感じかな?」
「わたしも上手く説明出来ないけど……」
「ペット……」
ロイドはじっと剣を見る。
脳裏へ浮かんだのは、
《断月魔蟷》の巨大な姿だった。
巨大な鎌。
暴風のような殺気。
あの圧倒的な異形。
「……可愛くないな」
ピクリ。
刀身が微かに震えた。
次の瞬間。
ブォンッ――!!
「うおぉっ!?」
《スヴェード・クシフォス》が激しく暴走。
白銀の衝撃波が周囲へ撒き散らされる。
ロイドは慌てて後退した。
ヨネはケラケラ笑う。
「ほれ。
機嫌を損ねたのぅ」
「機嫌……」
ロイドは剣を見る。
怒り。
焦り。
困惑。
恐怖。
自分の感情へ呼応するみたいに、
剣が震えている。
まるで。
本当に生きているみたいだった。
ロイドは静かに息を呑む。
するとヨネが立ち上がった。
「やれやれ。
見本を見せた方が早いのぅ」
そう言って、
ロイドから《スヴェード・クシフォス》を受け取る。
その瞬間だった。
先程まで荒れ狂っていた白銀光が、
嘘みたいに静まる。
まるで、
相手を見定めるみたいに。
「……!」
ロイドは目を見開く。
ヨネの所作は自然だった。
構え。
呼吸。
剣の握り方。
全てが静かで、
無駄がない。
だがロイドは思う。
――ご老体には危険では?
するとヨネが笑った。
「誰が老体じゃ」
「あっ!
おばあちゃんの本気だ!」
コトハが目を輝かせる。
その瞬間。
空気が変わった。
風が止まる。
木々の揺れる音が消える。
虫の声すら遠くなる。
鍛錬場へ、
異様な静寂が落ちた。
《スヴェード・クシフォス》すら、
静かに沈黙している。
ヨネは静かに呟く。
「大いなる理よ……
我が血潮を巡り、
過ぎし刻を今一度この身へ――」
ドクン――。
世界が脈打った。
次の瞬間。
ヨネの身体が、
目の前で若返っていく。
白髪が色を取り戻す。
皺が消える。
曲がっていた背筋が伸びる。
淡い銀混じりの髪。
そこに立っていたのは、
若々しい美しさを持ちながらも、
落ち着いた微笑みと老練さを纏う、
若き日のヨネだった。
「……っ」
ロイドの本能が警鐘を鳴らす。
強い。
圧倒的に。
ほんの一瞬。
戦場で強敵と対峙した時みたいに、
無意識に身体が警戒していた。
だが。
その圧は、
ヒナみたいに鋭くはない。
深く。
穏やかで。
完璧に整っている。
それでも、
どこかヒナと同じ系譜を感じさせる気配があった。
数秒遅れて、
コトハが目を輝かせる。
「わぁ〜!
今日は若いね、おばあちゃん!」
「やっぱり綺麗〜!」
そのまま抱きつくコトハ。
ヨネは苦笑しながら肩を回した。
「老体じゃキツいのでな。
ワシはもう前へ出んが、
今はヒナ達がおるからのぅ」
「昔はブイブイ言わせてた時期もあったんじゃよ」
「この頃のマナ量が、
この剣を扱うには丁度いいのじゃ」
ロイドは言葉を失う。
理解が追いつかない。
こんな存在が、
つい先程まで縁側で茶を飲んでいた。
王都なら国家機密級。
いや。
国中が騒ぎになる。
だがティーナ村では、
これすら日常。
年齢という概念そのものが、
この村では曖昧になる。
ヨネは静かに剣へマナを流す。
すると。
白銀光が、
静かに脈打った。
まるで、
理解者を見つけたみたいに。
先程まで荒れ狂っていた光が、
ゆっくり整っていく。
「要するに、
自らのマナで剣へ“何をしたいか”を伝えるんじゃ」
「ワシは今、
この瞬間だけはワシの剣じゃ、
脅威から村を守る力を貸せ……
と伝えておる」
そう言って、
ヨネは軽く剣を振るう。
ヒュン――。
放たれた白銀斬撃は、
暴走ではない。
空だけを綺麗に裂き、
遠くの雲を静かに割った。
ロイドは息を呑む。
これが。
真の使い手。
これが、
剣との共鳴。
そして気付く。
ヒナは、
最初からこれをやっていたのだと。
武器と喧嘩していない。
理解し、
共鳴している。
ヨネはロイドへ剣を返した。
「その剣は、
お主自身を映す鏡になる」
「怖がるな。
理解してやれ」
「お主、
頭で剣を振っとる」
ロイドは静かに剣を見る。
――……悪かった。
心の中で、
そっと語りかける。
すると。
《スヴェード・クシフォス》の白銀光が、
ほんの少しだけ穏やかに揺れた。
完全制御には程遠い。
だが。
ほんの少しだけ、
伝わった気がした。
その瞬間。
暴走しかけた光が、
僅かに弱まる。
「……!」
ロイドは目を見開く。
初めて。
ほんの少しだけ。
剣と会話出来た気がした。
鍛錬場へ静寂が戻る。
白銀光だけが、
静かに呼吸するみたいに揺れていた。
ヨネは満足そうに笑う。
「ほれ。
やっと挨拶出来たのぅ」
その横で、
若返ったヨネへ抱きついたコトハが笑う。
「おばあちゃんすべすべ〜!」
「わたしも将来こうなるのかな〜?」
ヨネは軽くなった腰を叩きながら笑った。
「今日は麗しきレディで過ごすしかないのぅ」
ロイドはそんな光景を見つめながら、
静かに息を吐く。
少し前までなら、
この村を理解出来なかっただろう。
だが今は違う。
剣を握る感覚が、
ほんの少しだけ変わった気がしていた。




