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双月のヒナ 〜禁足地の戦乙女〜  作者: 哀川 とあ
1章  禁足地の少女
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第35話  静かな異変



 昼過ぎ。


 柔らかな陽光が、

ティーナ村へ静かに降り注いでいた。


 いつも通り、

ヒナの家で昼食を食べ終えたロイドは、

湯呑みを静かに置く。


 窓の外では、

穏やかな風が木々を揺らしていた。


 数日前とは、

明らかに違っていた。


 身体が軽い。


 視界が広い。


 森の音が、

以前より鮮明に聞こえる。


 踏み込み。


 反応。


 気配察知。


 全てが、

異様な速度で研ぎ澄まされ始めていた。


 そんなロイドを見て、

ヒナがじっと目を細める。


「……ロイ、

 また速くなった?」


「そうか?」


「うん。絶対」


 ヒナは少し楽しそうだった。


 まるで。


 ロイドの変化を、

心待ちにしていたみたいに。


 その様子を見ていたコトハが、

ぱっと前へ出る。


「お姉ちゃん!」


「わたしも巡回行ってみたい!」


 ロイドは少し驚いた。


 コトハは基本的に、

村内での結界補助やマナ制御訓練が中心だ。


 本格的な巡回へ同行するのは初めてだった。


 ヒナは少し考える。


「んー……」


 そこへ。


 洗濯籠を抱えたミツキが、

のんびり現れた。


「今日は月の出ない日だからね〜」


「モンスターも比較的大人しいと思うよ?」


 そして。


 ミツキは、

コトハへ優しく笑いかける。


「午後、一緒に行ってみたら?」


 コトハの顔が、

ぱっと明るくなる。


「ほんと!?」


 ティーナ村周辺では、

月の有無で危険度が変わる。


 月が出ない日は、

比較的静かだ。


 ミツキは、

ヒナとロイドを見比べる。


 特にロイド。


 以前とは、

纏う空気そのものが変わり始めていた。


「ロイドくんもいるし」


「ヒナもいる」


「二人でちゃんと守ってくれるなら、

 見学くらいはいいんじゃない?」


 ヒナは苦笑した。


「絶対あたしから離れないこと」


「危ないと思ったらすぐ下がる」


「うん!」


 ロイドは、

そんな姉妹のやり取りを静かに見つめる。


 穏やかな昼下がり。


 いつもの巡回。


 いつもの森。


 ――のはずだった。


 だが。


 ヒナだけは、

胸の奥へ小さな違和感を覚えていた。


 言葉に出来ない。


 気配とも違う。


 何かが、

“いつもと噛み合っていない”。


 左耳のピアスへ、

無意識に指先が触れる。


 ――キン。


 澄んだ音が、

静かな昼の空気へ溶けた。


 だが。


 その時はまだ、

誰も異変の正体を知らなかった。


     ◇


 森へ入った直後は、

普段通りだった。


 木漏れ日。


 揺れる枝葉。


 遠くで鳴く鳥。


 コトハは少し興奮気味に辺りを見回している。


「わぁ……

 巡回ってこんな感じなんだ」


「今日は静かだねー」


 ヒナは軽く笑う。


 だが。


 ロイドは、

以前より森の違和感を感じ取れていた。


 妙に静かだった。


 風の流れ。


 気配の薄さ。


 森全体が、

何かを待っているみたいだった。


 そして。


 森の奥へ踏み込んだ瞬間。


 ヒナが止まる。


 空気が変わった。


 風が止む。


 鳥が鳴かない。


 虫の音も消える。


 ヒナが小さく呟く。


「……静かすぎる」


 左耳へ触れる。


 ――キン。


 その瞬間。


 ロイドの背筋へ、

冷たいものが走った。


 何かがいる。


 本能が警鐘を鳴らしていた。


 直後。


 森の奥から、

“それ”が現れる。


 ロイドは息を呑む。


 通常モンスターとは、

明らかに違う。


 高位知性。


 異様な静けさ。


 神秘的圧力。


 存在しているだけで、

空気そのものが歪む。


 そして何より。


 “人”に近い目をしていた。


 ロイドは直感する。


 ――SS級とも違う。


 もっと別の。


 神話の側の存在。


 そして。


 神獣が、

静かに口を開いた。


「……久しいな」


 低く、

重い声。


 その瞬間。


 ロイドの背筋が凍る。


 喋った。


 モンスターが、

人の言葉を話した。


 理解不能だった。


 ロイドが僅かに剣を握り直す。


 だが。


 ヒナも一瞬だけ目を見開いたものの、

すぐに視線を逸らさなかった。


 驚いてはいる。


 だが、

完全には動揺していない。


 ロイドはそこにも驚く。


 まるで。


 最初から、

“会話できる存在”として認識しているみたいだった。


 神獣の視線が、

ゆっくりコトハへ向く。


 長い沈黙。


 その瞬間。


 コトハの肩が、

僅かに震えた。


 まるで。


 見られただけで、

身体の奥を覗き込まれているみたいだった。


 そして。


 神獣が、

静かに口を開く。


「……我を感じたか……?」


 低く、

古い響きの声。


 コトハが小さく息を呑む。


「え……?」


 意味が分からない。


 だが。


 胸の奥が、

妙にざわつく。


 神獣は続ける。


「……白き器……」


 まるで。


 確認するみたいな声音だった。


 ロイドには意味が分からない。


 だが。


 空気だけが、

妙に張り詰めていた。


 次の瞬間。


 神獣は、

今度はヒナを見る。


 長い沈黙。


 まるで、

何かを見定めるみたいに。


 そして。


「……異なる“対”の器……か……」


 ヒナだけは、

ほんの僅かに目を細める。


 静かに、

一歩前へ出た。


「あんた……

 コトハ知ってるの?」


 神獣は答えない。


 代わりに、

ヒナを見つめたまま呟く。


「なるほど」


「太陽と月の混ざり子……」


 長い沈黙。


 そして。


「……お前次第か……」


 ロイドには意味が分からない。


 だが。


 ヒナだけは、

ほんの少しだけ眉を寄せた。


「……よく分かんないけど」


「なんか……

 ふーちゃん絡みっぽいんだよね」


 軽く呟くみたいな声。


 だが。


 神獣はその言葉へ、

僅かに目を細めた。


 ロイドだけが、

完全に置いていかれていた。


 何を話しているのか分からない。


 だが。


 “普通ではない”。


 それだけは理解出来た。


 短い静寂。


 風が止まる。


 森そのものが、

息を潜めたみたいだった。


 ヒナが静かに髪をかき上げる。


 左耳のピアスへ触れる。


 軽く弾いた。


 ――キン。


 澄んだ音が、

静かな森へ響く。


「あたし、

 今ちょっと機嫌悪いんだよね」


 その声は静かだった。


 だが。


 ロイドの肌が粟立つ。


 空気が変わった。


 ヒナの気配が、

一瞬で別物になる。


 さっきまでの柔らかい少女の空気が消えた。


 代わりに現れたのは。


 静かで。


 鋭く。


 異様なまでに研ぎ澄まされた、

“戦闘者”の気配。


 白銀混じりの亜麻色の髪が、

風も無いのに揺れる。


 神獣は、

そんなヒナを静かに見つめていた。


 次の瞬間。


 地面が弾ける。


 ヒナの姿が消えた。

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