第32話 亜麻色のルーティン 前編
# 第24話
## 『月光少女のルーティン』
翌朝。
空にはまだ、
群青色が薄く残っていた。
ティーナ村は静かだった。
鳥の声。
朝露の匂い。
山から吹き下ろす冷たい風。
そんな静寂の中。
ロイド・ディドラスは、
民家の物陰へ隠れていた。
「…………」
視線の先。
ヒナの部屋。
障子越しに、
淡い灯りが漏れている。
……いや。
別に怪しい事をしようとしていたわけではない。
ただ。
昨夜のやり取りが、
頭から離れなかっただけだ。
『張り付きたいんでしょ?』
『お風呂一緒に行くよ?』
あの軽い口調。
からかうみたいな笑顔。
さらに。
『着替えも?』
そこまで言われて、
完全に思考が止まった。
結局、
返事は曖昧なまま。
なのに今こうして、
部屋の前へ来ている時点で、
完全に不審者だった。
「……何やってるんだ俺は……」
騎士団時代なら、
絶対にあり得ない行動だった。
すると。
すっ――と。
障子が少しだけ開く。
「ロイ」
「っ!?」
心臓が跳ねた。
障子の隙間から、
ヒナの顔が覗いている。
寝起きのはずなのに、
妙に目が冴えていた。
「隠れるなら、
もうちょっと上手くやりなよ」
「い、いやこれは……!」
「ふーん?」
ヒナは楽しそうに笑う。
完全に最初から気付いていた。
しかも。
そのまま普通に着替えの準備を始めた。
ロイドは一瞬固まる。
部屋の灯りに照らされた髪が、
夜より少し柔らかい亜麻色に見えた。
そこへ銀色が淡く混じる。
寝起きなのに妙に綺麗で、
ロイドは慌てて後ろを向いた。
「見ないの?」
「見ません!!」
「あははっ……」
鈴みたいな笑い声が、
静かな朝へ溶けていく。
「昨日はあんなに気にしてたのに」
「気にするに決まってるだろ!?」
「えー?」
ヒナはわざとらしく首を傾げた。
「ロイって、
真面目過ぎるんだよね」
「普通だ!!」
「普通の人は、
朝から女の子の部屋の前で固まってないと思うけど」
「ぐっ……」
図星だった。
ロイドは額を押さえる。
ヒナは肩を揺らしながら、
楽しそうに笑っている。
……遊ばれている。
完全に。
だが。
その空気は不思議と嫌ではなかった。
---
しばらくして。
ヒナは当然みたいな顔で露天風呂へ向かった。
ロイドも反射的について行く。
……いや。
違う。
正確には。
「ロイも来るよね?」
その一言で、
逃げ道が消えた。
「…………」
「来るよね?」
二回目だった。
しかも笑顔。
断れる空気ではない。
結局。
ロイドは押し切られる形で、
朝の露天風呂へ来ていた。
「なんでこうなるんだ……」
「昨日、
張り付きたいって顔してたじゃん」
「してない!!」
「してた」
即答だった。
朝霧の中。
岩造りの露天風呂から、
白い湯気がゆっくり立ち昇っている。
山から流れてくる冷たい風と、
温泉の熱が混ざり合う。
静かだった。
鳥の声だけが、
遠くで微かに聞こえている。
ヒナは慣れた様子で、
湯気の中へ入っていく。
さらり、と。
濡れた亜麻色の髪が背中を滑った。
朝の光を受けて、
そこへ淡い銀色が浮かぶ。
肩まで湯へ沈めると、
ヒナは気持ち良さそうに息を吐いた。
「んー……」
まるで猫みたいだった。
ロイドは逆に、
全く落ち着かなかった。
距離が近い。
近過ぎる。
しかも。
ヒナ本人に、
羞恥心がほとんど無い。
「ロイ、
もっとこっち来れば?」
「来れるか!!」
思わず声が裏返る。
すると。
湯気の向こうで、
ヒナが楽しそうに肩を揺らした。
「あははっ」
完全に遊ばれていた。
しかも。
朝の湯気のせいで距離感が狂う。
視線を逸らそうとしても、
白い湯気の隙間から、
どうしてもヒナの姿が見えてしまう。
濡れた髪。
白い肩。
湯へ沈む細い身体。
その輪郭が、
朝日にぼやけて滲んでいた。
妙に綺麗だった。
ロイドは思わず視線を逸らす。
「ロイ」
「な、なんだ」
「さっきから全然こっち見ないね」
「見れるか!!」
「あははっ」
ヒナは肩を揺らして笑う。
そのたび、
湯面が小さく波打った。
「ティーナ村じゃ普通だよ?」
「普通じゃない!!」
「ロイが気にし過ぎなんだって」
そう言いながら、
ヒナは岩場へ腕を乗せる。
濡れた髪を後ろへ流し、
細い指で梳いた。
水滴が朝日を反射して、
きらきら光る。
そのまま小さく息を吐いた。
「ふぅ……朝のお風呂は落ち着く」
本当に自然体だった。
警戒も無い。
気負いも無い。
だからこそ逆に、
ロイドの方がどうしていいか分からなくなる。
「お前、
本当に風呂好きだな……」
「一日三回入るし」
「三回!?」
「朝昼夜」
「入り過ぎだろ……」
「普通普通」
どこがだ。
ロイドは思わず額を押さえる。
だが。
そんなやり取りをしている間も、
ヒナはどこか嬉しそうだった。
朝の静かな空気。
白い湯気。
遠くで鳴く鳥の声。
その中で。
ヒナの笑い声だけが、
やけに心地良く響いていた。




