第31話 半月の時間
《断月魔蟷/ムーン・ヘルサイズ》討伐後。
深夜。
ティーナ村へ戻る山道には、
まだ戦闘後のマナ残滓が薄く漂っていた。
半月の光が、
白銀混じりの粒子を静かに照らしている。
ロイドの背には、
布で厳重に包まれた巨大な結晶。
《断月魔蟷》から回収した、
超高濃度月蝕結晶。
布越しですら、
異常な気配を放っている。
近くを通るだけで、
空気が微かに震えていた。
「……重くないの?」
隣を歩くヒナが、
何気なく聞く。
「いや……
重いというより、“圧”だな」
「触れてるだけで、
妙に神経が削られる」
「へぇ」
ヒナは興味深そうに、
ちらりと結晶を見る。
その横顔に、
恐れはなかった。
まるで。
危険物を見ているというより、
“生き物”を観察しているみたいだった。
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鍛冶場。
ガンテツの工房は、
深夜でも熱気に満ちていた。
赤熱した炉。
鉄を打つ音。
焦げた鉄と炭の匂い。
「おぉ!
帰ってきおったか!」
ガンテツが豪快に笑う。
そして。
ロイドが背負っていた結晶を見た瞬間。
その目が、
職人の目へ変わった。
「……ほぉ」
「こりゃまた、
とんでもねぇモン持ってきおったな」
ロイドは布に包まれた結晶を、
ゆっくり床へ下ろす。
その瞬間。
ギシ――……
床板が軋んだ。
重量ではない。
“気配”だけで、
鍛冶場全体が押されている。
ガンテツは楽しそうに笑った。
「面白ぇ」
そう言って、
布を掴む。
そして。
一気に剥がした。
瞬間。
――ゴォォォォォォッ!!!
黒紫と白銀の光が、
鍛冶場の中で爆発した。
「ッ!?」
ロイドの全身へ、
本能的な警鐘が走る。
空気が暴れていた。
いや。
マナそのものが荒れている。
床が軋み。
工具が跳ね。
炉の炎が不自然に膨れ上がる。
黒紫の雷みたいな光が、
空間を這った。
まるで。
結晶自身が、
“拒絶”しているみたいだった。
「ぐっ……!」
ロイドは思わず腕で顔を庇う。
騎士として、
数え切れないほど危険な気配を感じてきた。
これは違う。
もっと原始的で、
本能へ直接叩き込まれるような危険。
触れてはいけない。
近付いてはいけない。
そんな感覚。
――その中で。
ヒナだけは、
静かだった。
赤熱した炉の灯りを受け、
ヒナの髪は夜の中で柔らかな亜麻色に揺れていた。
光が薄れる度に、
その奥から白銀が静かに浮かび上がる。
蒼と金が混ざる瞳が、
暴れる月蝕結晶を真っ直ぐ見つめている。
そして。
ヒナは左耳のピアスへ触れた。
軽く弾く。
――キン。
澄んだ音が、
暴風みたいな空間へ溶けた。
その瞬間だった。
ヒナの気配が、
変わる。
静かで。
冷たく。
深い。
まるで、
月の底を覗き込んだみたいな、
言葉に出来ない“何か”。
ロイドの背筋を、
ぞくりと悪寒が走る。
それなのに。
ヒナ本人は、
あまりにも自然だった。
暴れる月蝕結晶へ近付く。
白銀粒子が、
彼女の周囲で静かに揺れていた。
ヒナはそっと結晶へ触れる。
まるで、
怯える子供を落ち着かせるみたいに。
「あなたは――」
静かな声。
「ロイドの剣の素材になるの」
結晶が脈打つ。
黒紫の光が、
一瞬だけ強くなる。
ヒナは変わらない。
「静かに待ってなさい……」
その声が落ちた瞬間。
――スゥ……
暴走していた力が、
嘘みたいに静まった。
荒れ狂っていた光が収束し。
吹き荒れていた異常マナが消える。
鍛冶場へ、
静寂が戻った。
工具の転がる音だけが、
やけに大きく響く。
ガンテツは数秒固まり。
次の瞬間。
「はっはっはっはっ!!」
腹の底から豪快に笑った。
「こりゃ暴れ馬じゃなぁ!!」
「気に入った!!」
ガンテツは結晶を見つめながら、
子供みたいな顔をしている。
その隣で。
ロイドだけは、
笑えなかった。
今の一瞬。
ヒナの“気配”が、
確かに変わった。
あれは何だったのか。
言葉に出来ない。
けれど。
あまりにも静かで。
あまりにも、
危うかった。
ヒナは何事もなかったみたいに、
小さく首を傾げる。
「ロイ?」
「変な顔してる」
「……いや」
ロイドは短く返す。
胸の奥のざわつきは、
消えなかった。
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静寂が戻った鍛冶場で。
ガンテツは結晶とロイドを何度も見比べながら、
低く唸っていた。
「……なるほどな」
「こいつぁ、
普通の剣じゃ耐えられん」
結晶を軽く叩く。
キィン、と高い音。
「素材は文句無しだ」
「むしろ良過ぎるくらいじゃ」
そして。
ガンテツはロイドを見る。
「問題はお前さん側だな」
「……俺?」
「マナ適応がまだ荒い」
「急いだ剣は折れる」
「使い手ごとな」
その言葉には、
職人としての確信があった。
「完成までは、
最低でも半月」
「その間に身体を馴染ませろ」
「でなきゃ、
剣の方に振り回されるぞ」
ロイドは静かに頷いた。
「……分かった」
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その夜。
露天温泉。
月明かりが、
湯気を白く照らしていた。
静かだった。
湯の流れる音。
夜風。
遠くの虫の声。
ロイドは一人、
湯へ浸かりながら空を見上げていた。
ガンテツの言葉。
そして。
鍛冶場で見たヒナ。
あの瞬間だけ覗いた、
静かで冷たい“何か”が、
頭から離れない。
「……何なんだ、あいつは」
ぽつりと呟いた時だった。
ちゃぷん。
不意に湯音が響く。
ロイドは反射的に振り向いた。
そこには。
月明かりを背負ったヒナが立っていた。
普段は白銀が混じって見える髪も、
今は温泉の灯りを受け、
柔らかな亜麻色へ染まっている。
そのせいか。
いつもより少しだけ、
年相応の少女に見えた。
一瞬。
ロイドの思考が止まった。
「っ――!?」
思わず視線を逸らす。
「な、なんで普通に入ってくるんだお前は!?」
慌てて湯の中で身体の向きを変える。
ヒナ本人はまるで気にしていなかった。
「?」
「温泉だから?」
「そういう問題じゃない!!」
珍しく本気で動揺するロイド。
ヒナはきょとんとしていたが、
やがて可笑しくなったのか、
くすっと笑った。
「ふふっ」
「ロイってほんと真面目」
そして。
何事もないみたいに、
ロイドの近くへ入ってくる。
ちゃぷん、と湯が揺れた。
月明かりが、
白い湯気を照らしている。
近い。
妙に近い。
ロイドは落ち着かないまま、
必死に視線を逸らした。
そんな様子を横目に見ながら、
ヒナは不意に口元を緩める。
「……見たいんでしょ?」
「っ……!?」
ロイドの肩が跳ねた。
完全に心を読まれたみたいで、
思わず言葉に詰まる。
図星だった。
ヒナはそんな反応を見て、
楽しそうに笑った。
「あたしのルーティン」
その言葉で、
ロイドはようやく我に返る。
「……ルーティン?」
聞き返しながら、
乱れかけていた思考を無理やり整える。
ヒナの強さ。
異常な戦闘感覚。
静かなのに、
圧倒的な存在感。
その理由を、
少しでも知りたかった。
ヒナは肩まで湯へ浸かりながら、
悪戯っぽく笑う。
「ならさ」
「あたしと一緒に行けばいいじゃん」
「……は?」
「朝のお風呂も」
「巡回も」
そこで一拍。
ヒナはわざとらしく、
にやっと笑った。
「着替えも」
「……えっ?」
ロイドの顔が固まる。
ヒナ本人は平然としていた。
「どうせ、
こっそり見る気だったんでしょ?」
「だったら最初から普通に見れば?」
「い、いや普通にってお前……!」
ロイドが珍しく本気で狼狽える。
ヒナはそれが面白かったのか、
肩を震わせながら笑った。
「ふふっ」
「ロイってほんと真面目」
月夜。
湯気。
静かな笑い声。
その空気だけ見れば、
ただ穏やかな時間だった。
それでも。
ロイドの胸には、
鍛冶場で感じた“あの気配”がまだ残っている。
ヒナは湯から立ち上がる。
滴る雫が、
月光で白く煌めいた。
「明日、朝早いからね?」
それだけ言い残し。
ヒナは湯気の向こうへ消えていく。
残されたロイドは、
しばらく言葉を失ったまま、
静かな半月を見上げていた。




