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双月のヒナ 〜禁足地の戦乙女〜  作者: 哀川 とあ
1章  禁足地の少女
39/52

第31話  半月の時間



 《断月魔蟷/ムーン・ヘルサイズ》討伐後。


 深夜。


 ティーナ村へ戻る山道には、

 まだ戦闘後のマナ残滓が薄く漂っていた。


 半月の光が、

 白銀混じりの粒子を静かに照らしている。


 ロイドの背には、

 布で厳重に包まれた巨大な結晶。


 《断月魔蟷》から回収した、

 超高濃度月蝕結晶。


 布越しですら、

 異常な気配を放っている。


 近くを通るだけで、

 空気が微かに震えていた。


「……重くないの?」


 隣を歩くヒナが、

 何気なく聞く。


「いや……

 重いというより、“圧”だな」


「触れてるだけで、

 妙に神経が削られる」


「へぇ」


 ヒナは興味深そうに、

 ちらりと結晶を見る。


 その横顔に、

 恐れはなかった。


 まるで。


 危険物を見ているというより、

 “生き物”を観察しているみたいだった。


---


 鍛冶場。


 ガンテツの工房は、

 深夜でも熱気に満ちていた。


 赤熱した炉。


 鉄を打つ音。


 焦げた鉄と炭の匂い。


「おぉ!

 帰ってきおったか!」


 ガンテツが豪快に笑う。


 そして。


 ロイドが背負っていた結晶を見た瞬間。


 その目が、

 職人の目へ変わった。


「……ほぉ」


「こりゃまた、

 とんでもねぇモン持ってきおったな」


 ロイドは布に包まれた結晶を、

 ゆっくり床へ下ろす。


 その瞬間。


 ギシ――……


 床板が軋んだ。


 重量ではない。


 “気配”だけで、

 鍛冶場全体が押されている。


 ガンテツは楽しそうに笑った。


「面白ぇ」


 そう言って、

 布を掴む。


 そして。


 一気に剥がした。


 瞬間。


 ――ゴォォォォォォッ!!!


 黒紫と白銀の光が、

 鍛冶場の中で爆発した。


「ッ!?」


 ロイドの全身へ、

 本能的な警鐘が走る。


 空気が暴れていた。


 いや。


 マナそのものが荒れている。


 床が軋み。


 工具が跳ね。


 炉の炎が不自然に膨れ上がる。


 黒紫の雷みたいな光が、

 空間を這った。


 まるで。


 結晶自身が、

 “拒絶”しているみたいだった。


「ぐっ……!」


 ロイドは思わず腕で顔を庇う。


 騎士として、

 数え切れないほど危険な気配を感じてきた。


 これは違う。


 もっと原始的で、

 本能へ直接叩き込まれるような危険。


 触れてはいけない。


 近付いてはいけない。


 そんな感覚。


 ――その中で。


 ヒナだけは、

 静かだった。


 赤熱した炉の灯りを受け、

 ヒナの髪は夜の中で柔らかな亜麻色に揺れていた。


 光が薄れる度に、

 その奥から白銀が静かに浮かび上がる。


 蒼と金が混ざる瞳が、

 暴れる月蝕結晶を真っ直ぐ見つめている。


 そして。


 ヒナは左耳のピアスへ触れた。


 軽く弾く。


 ――キン。


 澄んだ音が、

 暴風みたいな空間へ溶けた。


 その瞬間だった。


 ヒナの気配が、

 変わる。


 静かで。


 冷たく。


 深い。


 まるで、

 月の底を覗き込んだみたいな、

 言葉に出来ない“何か”。


 ロイドの背筋を、

 ぞくりと悪寒が走る。


 それなのに。


 ヒナ本人は、

 あまりにも自然だった。


 暴れる月蝕結晶へ近付く。


 白銀粒子が、

 彼女の周囲で静かに揺れていた。


 ヒナはそっと結晶へ触れる。


 まるで、

 怯える子供を落ち着かせるみたいに。


「あなたは――」


 静かな声。


「ロイドの剣の素材になるの」


 結晶が脈打つ。


 黒紫の光が、

 一瞬だけ強くなる。


 ヒナは変わらない。


「静かに待ってなさい……」


 その声が落ちた瞬間。


 ――スゥ……


 暴走していた力が、

 嘘みたいに静まった。


 荒れ狂っていた光が収束し。


 吹き荒れていた異常マナが消える。


 鍛冶場へ、

 静寂が戻った。


 工具の転がる音だけが、

 やけに大きく響く。


 ガンテツは数秒固まり。


 次の瞬間。


「はっはっはっはっ!!」


 腹の底から豪快に笑った。


「こりゃ暴れ馬じゃなぁ!!」


「気に入った!!」


 ガンテツは結晶を見つめながら、

 子供みたいな顔をしている。


 その隣で。


 ロイドだけは、

 笑えなかった。


 今の一瞬。


 ヒナの“気配”が、

 確かに変わった。


 あれは何だったのか。


 言葉に出来ない。


 けれど。


 あまりにも静かで。


 あまりにも、

 危うかった。


 ヒナは何事もなかったみたいに、

 小さく首を傾げる。


「ロイ?」


「変な顔してる」


「……いや」


 ロイドは短く返す。


 胸の奥のざわつきは、

 消えなかった。


---


 静寂が戻った鍛冶場で。


 ガンテツは結晶とロイドを何度も見比べながら、

 低く唸っていた。


「……なるほどな」


「こいつぁ、

 普通の剣じゃ耐えられん」


 結晶を軽く叩く。


 キィン、と高い音。


「素材は文句無しだ」


「むしろ良過ぎるくらいじゃ」


 そして。


 ガンテツはロイドを見る。


「問題はお前さん側だな」


「……俺?」


「マナ適応がまだ荒い」


「急いだ剣は折れる」


「使い手ごとな」


 その言葉には、

 職人としての確信があった。


「完成までは、

 最低でも半月」


「その間に身体を馴染ませろ」


「でなきゃ、

 剣の方に振り回されるぞ」


 ロイドは静かに頷いた。


「……分かった」


---


 その夜。


 露天温泉。


 月明かりが、

 湯気を白く照らしていた。


 静かだった。


 湯の流れる音。


 夜風。


 遠くの虫の声。


 ロイドは一人、

 湯へ浸かりながら空を見上げていた。


 ガンテツの言葉。


 そして。


 鍛冶場で見たヒナ。


 あの瞬間だけ覗いた、

 静かで冷たい“何か”が、

 頭から離れない。


「……何なんだ、あいつは」


 ぽつりと呟いた時だった。


 ちゃぷん。


 不意に湯音が響く。


 ロイドは反射的に振り向いた。


 そこには。


 月明かりを背負ったヒナが立っていた。


 普段は白銀が混じって見える髪も、

 今は温泉の灯りを受け、

 柔らかな亜麻色へ染まっている。


 そのせいか。


 いつもより少しだけ、

 年相応の少女に見えた。


 一瞬。


 ロイドの思考が止まった。


「っ――!?」


 思わず視線を逸らす。


「な、なんで普通に入ってくるんだお前は!?」


 慌てて湯の中で身体の向きを変える。


 ヒナ本人はまるで気にしていなかった。


「?」


「温泉だから?」


「そういう問題じゃない!!」


 珍しく本気で動揺するロイド。


 ヒナはきょとんとしていたが、

 やがて可笑しくなったのか、

 くすっと笑った。


「ふふっ」


「ロイってほんと真面目」


 そして。


 何事もないみたいに、

 ロイドの近くへ入ってくる。


 ちゃぷん、と湯が揺れた。


 月明かりが、

 白い湯気を照らしている。


 近い。


 妙に近い。


 ロイドは落ち着かないまま、

 必死に視線を逸らした。


 そんな様子を横目に見ながら、

 ヒナは不意に口元を緩める。


「……見たいんでしょ?」


「っ……!?」


 ロイドの肩が跳ねた。


 完全に心を読まれたみたいで、

 思わず言葉に詰まる。


 図星だった。


 ヒナはそんな反応を見て、

 楽しそうに笑った。


「あたしのルーティン」


 その言葉で、

 ロイドはようやく我に返る。


「……ルーティン?」


 聞き返しながら、

 乱れかけていた思考を無理やり整える。


 ヒナの強さ。


 異常な戦闘感覚。


 静かなのに、

 圧倒的な存在感。


 その理由を、

 少しでも知りたかった。


 ヒナは肩まで湯へ浸かりながら、

 悪戯っぽく笑う。


「ならさ」


「あたしと一緒に行けばいいじゃん」


「……は?」


「朝のお風呂も」


「巡回も」


 そこで一拍。


 ヒナはわざとらしく、

 にやっと笑った。


「着替えも」


「……えっ?」


 ロイドの顔が固まる。


 ヒナ本人は平然としていた。


「どうせ、

 こっそり見る気だったんでしょ?」


「だったら最初から普通に見れば?」


「い、いや普通にってお前……!」


 ロイドが珍しく本気で狼狽える。


 ヒナはそれが面白かったのか、

 肩を震わせながら笑った。


「ふふっ」


「ロイってほんと真面目」


 月夜。


 湯気。


 静かな笑い声。


 その空気だけ見れば、

 ただ穏やかな時間だった。


 それでも。


 ロイドの胸には、

 鍛冶場で感じた“あの気配”がまだ残っている。


 ヒナは湯から立ち上がる。


 滴る雫が、

 月光で白く煌めいた。


「明日、朝早いからね?」


 それだけ言い残し。


 ヒナは湯気の向こうへ消えていく。


 残されたロイドは、

 しばらく言葉を失ったまま、

 静かな半月を見上げていた。

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