第18話 疼く力
本日から18時更新になります
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朝の空気は冷えていた。
ティーナ村の外れ。
切り立った崖の上で、
ヒナはいつものように足をぶらぶらと揺らしている。
隣には、
ロイド。
最近は毎朝のようにここへ来ていた。
眼下には深い森。
遠くには、
朝日に照らされた山々が連なっている。
風が吹くたび、
ヒナの白銀色の髪がさらりと揺れた。
静かだった。
鳥の鳴き声。
木々のざわめき。
崖下を抜ける風の音。
その全部へ溶け込むように、
ヒナは自然にそこにいる。
ヒナは、
毎朝ここへ来る。
理由は知らない。
だが。
朝日を見ている時のヒナは、
戦っている時とも、
村で笑っている時とも違った。
静かで。
どこか、
この世界から少しだけ遠い。
ロイドはそんな横顔を見ながら、
小さく息を吐いた。
そして。
どくん。
胸の奥が脈打つ。
熱い。
怪我が治ってからずっとだ。
身体の深い場所に、
何かが流れている感覚がある。
鼓動に合わせるように、
熱が身体の奥を巡っていく。
血管をなぞるように。
呼吸へ溶け込むように。
時折、
失ったはずの左腕が、
微かに熱を持つこともあった。
「……なぁ、ヒナ」
「んー?」
朝日を見たまま、
ヒナが返事をする。
「最近……
身体の中が妙に熱いんだ」
「熱い?」
「あぁ。
流れる感じっていうか……」
ヒナは少しだけ考える。
「それ、多分マナじゃない?」
「マナ?」
「なんかこう……
じわ〜ってして、
ぶわぁってなるやつ」
「全然わからん」
「えぇ……」
ヒナが困った顔をした。
「でもロイド、
回復速度おかしいし」
「……そうなのか?」
「普通あんな治らないよ」
ロイドは無意識に左腕を見る。
禁足地から戻ってから。
失ったはずの腕は戻り、
身体は異様な速度で治った。
そして今は、
ヒナの気配まで感じ取れる。
まるで、
身体そのものが別物へ変わっていくみたいだった。
力を得ることは、
騎士として喜ぶべきことのはずだ。
だが。
胸の奥には、
小さな恐怖も残っている。
この力は、
本当に“人のもの”なのか。
「自然の力を借りてるからね〜」
「自然の力……」
「モンちゃん達にも再生する子いるし」
ヒナが軽く笑う。
「比較対象が魔物なの怖いんだが」
「あはは」
笑うヒナを見ながら、
ロイドは小さく目を細めた。
ティーナ村では、
これが普通なのだろうか。
ヒナも。
コトハも。
ヨネも。
この村の人間は、
どこか王国の常識から外れている。
「……マナ適正とか?
多分」
「適正?」
「おばあちゃんなら詳しいと思う」
ヨネ。
ティーナ村で最も長く生きる老婆。
自然やマナについて、
誰よりも詳しい存在だ。
ロイドは静かに頷いた。
「聞いてみるか……」
「ん」
ヒナは立ち上がる。
その瞬間。
ふわり――
淡い月色の何かが、
呼吸に合わせるように揺らめいた。
ルナとも違う。
だが、
確かに“力”だった。
ロイドは目を細める。
「……?」
「どしたの?」
「いや……
なんでもない」
ヒナは不思議そうにしながらも、
小さく手を振った。
「またあとでね、ロイ」
「あぁ」
次の瞬間。
ヒナは崖から飛び降りた。
音もなく着地し、
そのまま森へ駆けていく。
速い。
朝霧の中へ、
白銀色が溶けるように消えていった。
残されたロイドは、
静かに胸の奥へ意識を向ける。
どくん。
熱が、
脈打った。
「……マナ、か」
まだ実感はない。
だが、
考えても答えは出そうになかった。
ヒナに言われた通り、
ヨネのところへ行ってみるか。
あの老婆なら、
何かわかるかもしれない。
ロイドは崖から立ち上がる。
そのまま、
ティーナ村へ続く細い坂道を下っていった。
朝の村は静かだった。
煙突から立ち上る煙。
遠くから聞こえる薪を割る音。
畑へ向かう村人達の声。
穏やかな空気。
だが。
畑仕事をしている老人達ですら、
王国兵より身体つきがいい。
大人二人分はありそうな木材を、
平然と一人で運んでいる。
ティーナ村では、
それが普通らしい。
ロイドは未だに慣れなかった。
穏やかなのに、
どこか異質だ。
この村は、
まるで自然そのものが強い。
歩きながら、
ロイドは無意識に左腕を見つめる。
指を握る。
開く。
問題なく動く。
だが。
胸の奥の熱だけは、
今も静かに脈打ち続けていた。
◇
ヨネの家では、
コトハが庭先でマナ練習をしていた。
「えいっ!」
ぽふっ。
小さな風が起き、
落ち葉が舞う。
「おぉ〜
上手くなっとるのぅ」
縁側でヨネが笑った。
「まだ小さい……」
「十分じゃよ」
そこへ、
ロイドが姿を見せる。
「失礼する」
「おや、ロイド坊」
コトハがぱっと振り返った。
「あ、お兄ちゃん!」
「少し聞きたいことがある」
ヨネは目を細める。
「ふむ」
その瞬間。
ヨネの視線が、
ロイド全身をゆっくりとなぞった。
空気が変わる。
老いた瞳とは思えない。
まるで、
身体の内側を見透かすような視線。
「……ほぅ」
「?」
「コトハと同じくらい、
良質のマナを持っとるのぅ」
「……マナって何なんだ」
ロイドの問いに、
ヨネは静かに笑った。
「世界を流れる力じゃ」
風。
水。
火。
光。
空気。
大地。
命。
全てに流れている“巡り”。
それを感じ、
借り、
形にする。
それがマナ。
ロイドは黙って聞いていた。
「マナは奪うもんじゃない。
共に流れるもんじゃ」
ヨネは、
庭を揺らす風を見ながら呟く。
「急げば逃げる。
力で掴めば濁る。
自然いうもんは、
案外気難しいんじゃよ」
風が吹く。
木々が揺れ、
葉が擦れる音が響いた。
「人によって、
流れやすい力も違う。
火に好かれる者。
風に愛される者。
月へ寄る者もおる」
「自然の力を借りるってのは……」
「そういうことじゃ」
ヨネはそこで一度、
湯呑みを口へ運ぶ。
そして。
ふと思い出したように、
ロイドを見た。
「そういえば、
おまえさんの国では……
ルナ、とか言ったかのう?」
「あぁ」
ロイドが頷く。
王国で使われていた力。
詠唱。
魔法陣。
術式。
それらを用いて発動する戦闘技術。
ヨネは小さく鼻を鳴らした。
「おまえさんから聞いた話だと、
アレは自然ではないな」
「……違うのか?」
「違うのぅ」
ヨネは静かに目を細める。
「詠唱、
魔法陣……
形を無理やり固定して、
強制的に使っとるだけじゃ」
ロイドの眉がわずかに動く。
「強制的……」
「本来の流れではない。
川の流れを堰き止めて、
無理やり別方向へ流しとるようなもんじゃな」
ヨネは空を見上げながら、
ぽつりと続ける。
「マナはもっと曖昧で、
もっと自由なもんじゃ」
「……」
「ルナは便利なんじゃろう。
じゃが、
自然と共にある力とは違う」
そして。
ヨネはいつもの調子で、
にやりと笑った。
「まぁ、
マナのハナクソみたいなもんかのぅ」
「急に酷くなったな!?」
ロイドが思わず突っ込む。
隣でコトハが吹き出した。
「ぶっ……!
おばあちゃん最低〜!」
「はっはっは!」
ひとしきり笑ったあと。
コトハが、
こてんと首を傾げた。
「要するに……
こうしたいですって、
自然さんにお願いする感じ?」
ヨネが頷く。
「そうじゃな」
「だいぶ雑だな……」
「でも合ってる!」
コトハが胸を張る。
ヨネはくつくつ笑った。
「ロイド坊」
「なんだ?」
「おまえさん、
ヒナの居場所よくわかっとるじゃろ?」
「……は?」
ロイドの動きが止まる。
「なんでそれを……」
「それがマナじゃ」
ヨネがにやりと笑う。
「おまえさん、
ヒナばかり考えとるからのぅ」
「っ……!?」
一瞬で顔が熱くなる。
隣でコトハまで真っ赤になった。
「お、おねえちゃんと……
ちゅう……きゃ……」
「コトハ!?」
「青いのぅ〜」
ヨネが楽しそうに笑う。
ロイドは額を押さえた。
だが。
その言葉で、
はっきり繋がった。
禁足地で負傷してから続く違和感。
ヒナを感じる感覚。
胸の奥の熱。
全部、
同じものだ。
「……これが、
マナ」
胸の奥で、
熱が静かに脈打つ。
まるで。
“何か”が、
目を覚まし始めているみたいに。




