第14話 今は、休んでいい
ヒナはしばらく、
そんなロイドを静かに見つめていた。
蒼い瞳が、
揺れるみたいに細くなる。
それから。
ヒナは木匙を器へ戻し、
小さく息を吐いた。
「……ずっと、
無理してきたんだね」
その言葉に。
ロイドの呼吸が、
一瞬だけ止まる。
無理してきた。
あまりにも不意な言葉だった。
王都では。
そんな風に言われたことなど、
ほとんどなかった。
強くて当然。
勝って当然。
守って当然。
第一騎士団長とは、
そういう存在だったからだ。
だから。
誰かに、
“無理をしていた”と気付かれること自体が、
ロイドには酷く不慣れだった。
ロイドは小さく目を伏せる。
胸の奥が、
妙に熱かった。
痛みとは違う。
もっと静かで、
どう扱えばいいのか分からない熱だった。
ヒナはそんなロイドを見ながら、
少し困ったように笑う。
「……なんか、
ずっと気を張ってる顔してる」
「……」
「ロイド、
ずっと頑張ってたんでしょ」
その声音は柔らかかった。
責めるでもなく。
踏み込むでもなく。
ただ。
そう感じたことを、
静かに口にしただけみたいに。
ロイドは返事をしなかった。
出来なかった。
もし今、
口を開けば。
胸の奥へ押し込め続けていた何かまで、
零れてしまいそうだったからだ。
部屋には、
静かな沈黙だけが落ちる。
窓の外では、
風に揺れた木々が、
さらさらと葉を鳴らしていた。
その穏やかな音が、
逆に胸の奥を静かに抉ってくる。
ロイドは目を伏せたまま、
小さく息を吐く。
第一騎士団長。
その肩書きは、
常に“強さ”を求められるものだった。
弱さを見せれば、
部下達を不安にさせる。
迷いを見せれば、
騎士団が揺らぐ。
だからロイドは、
ずっと前だけを向いてきた。
痛みも。
恐怖も。
疲れも。
全部押し殺して。
そうすることが、
団長として正しいのだと思っていた。
だが。
目の前の少女は違う。
肩書きも。
功績も。
王国最強という名も知らず。
ただ。
“ロイド”だけを見ている。
その事実は、
今のロイドにはどうしようもなく眩しかった。
すると。
ヒナがそっと木匙を置き、
静かな声で呟く。
「……今は、
休んでいいと思うよ」
その一言は、
驚くほど自然に胸へ落ちた。
まるで。
張り詰め続けていた糸へ、
静かに触れられたみたいに。
ロイドはゆっくり目を閉じる。
その瞬間。
張り詰めていた身体から、
ほんの少しだけ力が抜けた気がした。
ヒナはそんなロイドを見つめながら、
小さく息を吐いた。
それ以上は、
何も聞かなかった。
どこで戦ってきたのか。
何を失ったのか。
どうしてあんな傷だらけだったのか。
何一つ聞こうとしない。
ただ。
今ここに、
ロイドが生きていることだけを見ている。
その距離感が、
ロイドには不思議だった。
踏み込み過ぎない。
けれど、
離れ過ぎもしない。
静かなのに、
妙に温かい。
まるで。
冬の夜に差し込む月明かりみたいだった。
ヒナは空になった木匙を見つめながら、
ふと小さく笑う。
「ちゃんと食べた」
「……子供扱いするな」
掠れた声で返すと、
ヒナは少しだけ肩を揺らした。
「だって、
さっきまで死にそうだったし」
「……」
「今のロイド、
怪我した狼みたい」
「何だその例えは」
ロイドが眉を寄せる。
するとヒナは、
少し考えるみたいに視線を上へ向けた。
「怪我してるのに、
無理して立とうとする感じ」
「……」
「でも、
少し落ち着くと大人しくなる」
「誰が狼だ」
即座に返す。
そのやり取りに、
ヒナがくすりと笑った。
柔らかな笑い声が、
静かな部屋へ溶けていく。
ロイドは小さく息を吐いた。
……調子が狂う。
本当に。
こんな風に、
誰かと穏やかな時間を過ごすこと自体、
いつ以来なのか思い出せなかった。
すると。
廊下の向こうから、
軽やかな足音がぱたぱたと近付いてきた。
ヒナが小さく瞬きをする。
次の瞬間。
勢いよく扉が開いた。
「ヒナー!
起き――」
そこまで言いかけた女性が、
ぴたりと動きを止める。
朝日を受けた長い髪が、
ふわりと揺れた。
柔らかな亜麻色の中へ、
淡い銀糸を溶かし込んだような髪。
光を受ける度に、
金にも銀にも見える不思議な色合いだった。
大きな瞳が、
ベッドの上のロイドを見開く。
数秒の沈黙。
それから。
「起きてるーーーーっ!?」
部屋へ声が響き渡った。
「母さん、
うるさい」
ヒナが即座に眉を寄せる。
だが母さんは、
そんなことを気にする余裕もないまま、
勢いよくロイドへ駆け寄ってきた。
「え、ちょっ……
ほんとに!?
生きてる!?」
「……生きてるが」
掠れた声で返すと、
母さんは目を潤ませながら胸を押さえる。
「よかったぁぁ……」
その反応に。
ロイドは僅かに目を瞬かせた。
まただ。
この村の人間は。
どうしてこんなにも、
他人が生きていることを、
自分のことみたいに喜ぶのか。
母さんはそんなロイドへ、
じーっと顔を近付ける。
「ほんとに起きた……
ヒナが毎日付きっきりだったから……」
「母さん」
「いたっ」
ヒナが無言で、
母さんの額を軽く小突いた。
母さんは額を押さえながら、
少しだけ頬を膨らませる。
「だってほんとのことじゃん……」
するとロイドは、
ゆっくりヒナを見る。
ヒナは少しだけ視線を逸らした。
白銀の髪の隙間から見える耳が、
ほんのり赤い。
「……別に。
放っとけなかっただけ」
小さく零れた声は、
どこか照れ隠しみたいだった。




