第7話 瀕死の男
ヒナの視点のお話です
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森が途切れた。
鬱蒼と生い茂っていた木々が、
そこだけ巨大な爪で抉り取られたみたいに崩れ落ちている。
ぽっかりと開いた空間。
月蝕に染まった赤い光が、
その異様な光景を静かに照らしていた。
地面は焼け焦げ、
黒く炭化している。
あちこちに残る爪痕。
無惨に薙ぎ倒された木々。
砕けた幹からは、
まだ白い煙が細く立ち昇っていた。
鼻を刺すのは、
濃い血の臭い。
焼けた肉の臭い。
肺の奥までまとわりつく、
瘴気混じりの獣臭。
まるで、
そこだけ森ごと巨大な怪物に喰い荒らされたみたいだった。
静かだった。
けれど、
その静けさの奥では、
何か巨大なものが蠢いている気配だけが生々しく脈打っている。
そして——
見えた。
巨大なケルベロス。
黒く変異した三つの頭が、
血塗れの牙を剥き出しにしながら低く唸っている。
月蝕の赤光を浴びた毛並みは、
闇そのものみたいに鈍く濡れていた。
異様だった。
ヒナがこれまで倒してきた変異種とは、
明らかに格が違う。
膨れ上がったマナが、
周囲の空気そのものを歪ませている。
赤黒い瘴気が、
呼吸をするたびみたいに巨体から溢れ出し、
地面をじわじわ侵食していた。
見ているだけで、
本能が危険を訴えてくる。
けれど——
ヒナの真紅の瞳だけは、
逆に愉しげに細められていた。
その巨体の足元で——
ひとりの男が、
血塗れのまま倒れていた。
酷い有様だった。
片腕は肩口から失われ、
潰れた地面へ赤黒い血が広がっている。
呼吸は浅く、
胸がかすかに上下しているだけ。
生きているのが不思議なくらいだった。
ケルベロスの三つ首が、
ゆっくりと男へ牙を向ける。
粘ついた唾液が、
ぼたり、と地面へ落ちた。
獣の吐息が熱い。
次の瞬間には、
喉笛ごと噛み千切られて終わる。
そう理解した瞬間——
「——っ!」
ヒナの身体が弾けるように動いていた。
考えるより先に。
助ける理由なんて、
頭で探す暇もなかった。
ただ、
目の前で喰われる光景だけは、
どうしても見過ごせなかった。
地面を蹴る。
爆ぜた土が、
月光の下で大きく舞い上がった。
風が遅れて唸る。
白銀の髪をなびかせながら、
ヒナの身体が一直線に加速する。
その姿は、
まるで夜を裂いて走る銀の閃光みたいだった。
見えた瞬間には、
もう身体が動いていた。
考える暇なんてなかった。
月明かりを蹴り裂くように、
ヒナの身体が一気に加速する。
地面が爆ぜる。
細い身体からは想像もつかない踏み込みが、
大地を深く陥没させた。
風が遅れて唸る。
次の瞬間には、
ケルベロスの懐へ潜り込んでいた。
黒く変異した三つ首が、
ようやく侵入者を認識する。
だが——遅い。
ヒナは身体を捻り、
遠心力を乗せた蹴りを放つ。
轟音が、
夜の森を揺らした。
ヒナの蹴りを受けた瞬間、
ケルベロスの巨大な頭部が大きく歪む。
鈍く重い衝撃音。
骨が軋む嫌な感触が、
空気越しに響き渡った。
次の瞬間——
巨体が吹き飛ぶ。
まるで巨大な岩塊でも投げ飛ばしたみたいに、
ケルベロスの身体が横へ弾き飛ばされていく。
地面が抉れる。
爪が土を掻き、
火花みたいに土砂が爆ぜた。
何本もの木々が、
轟音と共にへし折れていく。
太い幹が悲鳴みたいな音を立て、
次々に砕け散った。
森が揺れる。
枝葉が激しくざわめき、
衝撃で鳥達が一斉に飛び立っていく。
転がるたびに、
ケルベロスの巨体が地面を削り取っていった。
砕けた木片。
巻き上がる土煙。
焦げた血の臭い。
赤黒い瘴気。
その全てが入り混じる惨状の中心で——
ヒナだけが、
静かに立っていた。
白銀の髪を、
夜風がゆっくり揺らしている。
真紅の瞳だけが、
月蝕の赤光を映して妖しく細められていた。
戦闘狂なヒナ…
ちゃんと人間です笑
読んで頂きありがとうございました




