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「てか何さ、にっくき仁織って……」
もうどうでもいい境地だった。
それ故の呟きだったが、殊の外、椿は動きを止めて真顔になる。
「主様を殺したのじゃ、憎くて当然じゃろ」
イドの呟きの答えは単純明快だった。
「あの時は……!あの時は、僕は人類の敵だったし、仁織は人類の光だったんだから、僕が殺されるのはしょうがないことだよ」
「主様が人類の敵だしてもじゃ!妾には結果が全てじゃ」
ふん、と胸を張って怒る椿は続ける。
「じゃあ何か?主様を敵と見なした人類が悪いのか?」
「もー、何でそうなるのさ」
前世、あの時代に善も悪も入り乱れていた。人類を善と見なした場合は当然、前世のイドは完全なる悪だったろう。そのことに不満など抱いてはいないし、それもまた、時代の流れとして前世も今世も割り切れている。それに、イドもまた、人類の敵だと言われてそれを敢えてそう見えるようにしてきた節もある。
憎しみも何も無意味なものと化してしまう。それが殺し殺されの時代、【聖魔大戦】だった。
「……主様が亡くなったんじゃ……妾は誰を憎めばいいのじゃ……」
「明星……」
その声は今までで一番声が小さかった。
軽口も、ふざけた様子もない。
イドは言葉を失う。
しゅん、としおらしくなる椿にイドも同情的な感情が湧いてくる。
だがしかし、俗世に染まった椿だ。演技の可能性も大いにある、とキッと気持ちを持ち堪えさせる。
「いやいやいや!誰も憎まなくてもいいじゃんか!なんなら僕を憎んでくれてもよかったんだよ!」
「主様を憎むわけなかろうて!妾の主様愛、なめないでくれるかの!」
「知らないよ、そんな愛!」
危うく騙されるところだった。
椿はこのことについて一切迷っていない。何なら、仁織と人類のどちらも憎むことさえ何とも思っていない。
椿において大切なのはイドのみ。
昔からその部分は変わらない。
「主様主様!やっぱり、仕えると言ったらメイド服じゃな!」
空気がぶち壊れた。
「ちょっ!なんで着替えてるのさ!」
どこに、いつから持っていたのか、瞬時に花魁姿からメイド服へと早着替えしていた。
「それはもう、主様の傷を癒さねばならぬからのぅ。それは妾たるメイドの仕事じゃ!」
「意味が分からない!」
まさかこの事態を以前から読んでいたのか、はたまた椿の趣味か。
有り難くもない迷惑さだ。
「て、わー!痴女が、ここに痴女がいる!」
気持ち悪い恍惚とした笑みを浮かべて椿はイドの服を脱ぎにかかる。
「ぬひっひっひっ。妾の、妾の主様〜!」
「ぎゃーーー!もう傷は大丈夫だから!自分で治せるから!」
脱がされそうになっている着物を全力で掴み取り、肌を隠す。
大怪我といくら言われようとも、血の扱いに関して右に出る者は誰一人としていない。例え見えずとも、止血はおろか、傷だって治せる。何せ、人類の敵―【真祖】だったのだから。
何もできなかった幼い頃と違って、今は椿であってもなくても、誰の手を借りることなくできる。
そんなこと、椿もよく知っていることなのに。
「何を言っておるのじゃ、主様の身体はただの人間なんじゃぞ?全く、ただの人間の身体に主様の高貴なる魂が入って異常をきたしていたらどうするんじゃ」
「……え?」
刹那、イドの動きは停止した。
「僕、転生したんじゃないの?!」
始めは憑依を疑った。次に、何て間の悪い、ろくに人類の敵でも災いにもなれなかった、生きる意思も復讐する意思もないイドを降ろしたかと思った。降霊するならもっと、邪神やら大悪党やら相応しい者にすればよかったのに。
そして極めつけには、地下牢での二度目の記憶喪失の話。
あくまでも可能性としか考えていなかったが、一番状況説明ができていたのは転生論だった。
「?何を言うておるのじゃ。主様が転生していたらずっと前から妾が気づいてないとおかしいじゃろ?花街にまでいたんじゃからな、妾が気づかぬ方がおかしいの」
「えぇー……じゃあ、元の魂はどこに行ったのさー……」
「そんなこと知らぬ。妾にとっては主様以外どうでもいいからの」
「はー……そうだった……こういう性格だった……」
転生論はイドの希望的観測に過ぎなかったということか。
今世、目を覚ました理由を積極的には原因追求していなかったとは言え、意気消沈する。
そんなイドを傍目に椿はこれ幸いとイドの服を脱がせ、傷を見る。
「ほれ。止血も全然できておらぬではないか、全く」
不思議にも椿は慣れた様子で手当していく。
いつか弱る主様を甲斐甲斐しくお世話したかったのじゃ、とか何とかなんて聞こえはしない。
「いいかの、主様。今の主様は真祖でも吸血鬼でもないのじゃ。ましてや人間でもない、神に近い存在となっておる」
「神?!何でそん――」
「高貴なる魂……この五十七年で変容したと考えられるの」
イドの言葉を遮って、椿は感慨深げに話した。
五十七年。
イドが死んでからそれだけの年月が過ぎたらしい。
――それだけ経ってたら色々と変わってるか。
イドが知らない花街という区画ができたのも頷ける。
ただ、それだけ時間が経とうとも変わらないものはいくらでもある。
「まあ?元々、主様は高貴なる存在、真祖じゃからの。神になってもおかしくないのぅ」
「うん……て、いや、いやいやいや!おかしいからね?」
椿はやたらに納得しているが、ただの存在が神になどなれるわけがない。根本的に創りが異なっているのだから。
真祖が高貴な存在かどうかも疑わしい。ただの人や鬼、吸血鬼ではないことは確かだが。
「そんな高貴なる魂がただの、凡庸な人間の身体に入っておるのじゃ。本来は無意識で使える神力もまともには使えぬだろうのぅ」
前提が間違っている。前提が、大幅に。
だが、神に近い存在になっていることは否定しようがない。椿が言っているのだから、それは確かなのだろう。
身体の違和は感じてはいなかったが、真祖と人間では創りもだが、感覚も違う。それが目が覚めた時から変わった感覚はなかった。剰え、真祖の時と同じ感覚だった。
「傷が目覚めた時に治っていなかったのが証拠じゃ」
椿曰く、神に肉体の縛りはなく、自然と治ってしまうとのこと。
「力が安定するまでは神力が使える妾の傍で慣れていくのが良いわ」
神職の片隅で従事している椿にとっては神力など、手足のようなもの。
確かに、イドが椿の言う、神に近い存在となったのであれば、今後のためにも椿の側にいた方がいいだろう。
鬼でも真祖でもないのなら、今のイドは人間並みの力しかないということだ。
命を狙われた。
今後も狙われるかもしれない。
犯人も首謀者も不明。
そして――身体の主が殺された理由。
分からないことは多い。ここ花街もまた、安全とは言いがたい。
ややあって、イドは椿の提案に頷いた。
選択肢などあってないようなものだった。
「ということで、妾は今から主様のメイド――」
「ダメだよ!僕に仕えてたらみんなにバレるじゃないか!二人きりの時はいいけど、他の時はちゃんと花魁と禿っていう関係だからね?」
「えー」
「ぶーぶー言わないの!ちゃんと呼び方も、主様はダメだからね?!」
「主様は主様なのにぃ……」
そうぶつぶつ言いながら、渋々、花魁姿へと変わったのだった。




