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カミサマゲノム  作者: 祷幸崇
1章

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4

「!椿!なんであなたがここに?」

「――ぅえっ?!」


 思わず出た声にイドは素早く自分の口を塞いだ。おかげで不自然さはなかっただろう。夕霧も突然現れた人物に意識が向いている。

 夕霧の背後から現れた人物はイドがよく見知った者だった。

 椿という名で呼ばれていたが、前世では確か明星という名で知られていたし、イドもそう呼んでいた。

 目の前の存在から目が離せない。

 月白色の髪。

 イドの記憶に相違なかった。


「夕霧〜、悪いんじゃが、この童、妾にくれないかのぅ?」


 いつの間に鉄格子の中にやって来たのか、イドを庇う形で話し始めた。

 そのせいで椿の表情はイドから窺い知ることができない。

 軽い声だが、その一言で場の主導権が変わった。

 夕霧が言葉を選ぶように慎重になる。


「罪人を?」

「うむ!妾の禿にしてはどうかのぅ」

「…………」


 椿の提案を険しい表情をしながら夕霧は暫く考え込んだ。


「椿なら……まあ、いいけど?」


 ややあって、頷く。


「うむ!それは重畳!」

「でも、楼主様に許可は取ったのかしら?」


 途端、椿の動きが止まり、ぎこちなくなる。


「……ぅむ」

「取ってないわよね?」


 今度は夕霧が詰めるように椿に迫った。

 イドがいくら首を長く伸びしても椿の表情は見えないが、おそらく微妙な顔をしているのは想像にかたくない。


「椿ぃ?」

「楼主殿にはうむ、この後、この後話に行こうかと思うてのぉ」


 椿の苦し紛れの言い訳に夕霧はため息を吐いた。


「……まさか事後申告で済まそうと思っているなんて……」

「い、いいじゃろう?!別に!話に行くだけマシじゃ!」

「あたしがここで聞かなかったらどうしてた?行かなかったわよね、絶対」

「そっ、その言い切りはどうかと思う!仮定の話じゃろう、仮定の」

「じゃあ、今、あたしに聞かれて、いつ、楼主様に言おうと思ってる?」

「む。妾とこやつで話し合った後じゃ!」

「事前ーーー!何悠長にこんなヤツと話し合ってんのよ!その前!話し合う前にせめて行きなさいよ!」


 どうしてそんなに胸を張って言えるのよ。

 夕霧のそんな言葉は椿には一切届きはしない。


「ふむ。それは無理な相談じゃ」


 この時、夕霧は眼前の自己中心女子を内心、殴ってしまおうかどうしようか、と拳を震わせていた。

 夕霧は女の子は好きだ、大好きだ。ちなみに男は嫌いだ。

 それでも、この自由人は本当にこれで夕霧と同格の花魁なのか疑ってしまう。


「無理じゃない!本当なら、ここの前に行くとこなの!」

「それも一理あるの」

「一理じゃなくて、そうするのが報連相!」

「うむ、分かった」

「はぁ……分かったのなら――」

「ほうれん草は大事じゃ。栄養素の宝庫じゃからな」

「え?ええ、そうね?」


 何となく頷いてしまったが、何か致命的な何かが食い違っているように思えるのは夕霧だけだろうか。


「ならばぬし。ぬしがほうれん草を持って楼主殿に言っておくのじゃ。妾達は今から話し合うでの」

「なんでそうなる――」

「じゃ、よろしく頼むでのー」


 ひらひらと手を振ってイドを連れていく椿。

 夕霧は動かない。

 いや、動いていないだけで、視線だけはイドを捉えて離さない。

 まるで、逃がすと思うな、と言わんばかりに。

 椿に手を引かれ、イドは地下牢から抜けて、妓楼の中をズンズンと進んでいく。

 階段を上っては廊下を歩き、また階段を上がる。

 まるで迷路だ。

 その先にあったのは、広々とした和洋折衷の一部屋。

 部屋に入ると、すぐさま扉を閉められる。


「さてと。ここまで来たら大丈夫じゃろう」


 一息吐いた椿はくるりとイドを振り返った。


「久しぶりじゃのう、主様」


 目を見開く。

 その一言で逃げ場がなくなった。

 否定する前に理解してしまう。


――見抜かれている。


 イドの予想通りなのなら、あそこで拷問でも受けていた方がずっとよかったとすら思えてしまう。

 それでもなお、イドは目を逸らして平然を装う。


「な、何のこと?誰のこと?僕、イドだよ」

「ふふん、そんなデタラメ、わしに通じるとでも、主様?」

「で、でたらめじゃないよ!僕はイドだもん。君のことなんか知らないよ」

「む。何故そうも頑ななのじゃ。主様に違いなかろう?妾が主様の魂を見抜けぬとでも言うのかのぅ」

「……」


 確かに。

 思わず黙ってしまった。


「……し、知らないよ」

「主様」

「ぼ、僕、記憶喪失らしいから、何も知らない、君のことも知らないよ」

「記憶喪失じゃと?」


 椿は首を傾げ、怪訝な表情を浮かべた。


「そんな訳なかろう?わしの顔を見た瞬間、明星(みょうじょう)?!何でここに??!って顔しておったくせに」

「し、ししししてない!」


 イドの周りをくるりくるりとゆっくり歩き回る。

 その様は正にイドがどう反応してくるのかを楽しんでいるようだった。

 ややあってから、椿はイドの前で立ち止まって息を吐き出した。

 やれやれ。まるで聞き分け悪い子どもに向かって言い聞かせている対応である。


「主様。いい加減、演技はやめるべきじゃ。主様に嘘つきはできぬ」

「なっ……」

「主様は根っからの正直者じゃからのぅ、しかも永い間主様だけを見ておった妾には主様の嘘を見抜くなんぞ、鬼か否か判別することより容易いことじゃ」

「むぅ……」


 図星を突かれてイドは口を尖らせた。

 椿がいつからイドのことに気づいていたかは分からないが、魂を身近に感じている椿だからこそ、遠くからでもイドの魂の違いを感知できたのだろう。


「そも、なんぞ妾に嘘をつく必要があるのじゃ?全く分からぬ」

「……」


 両手を上げ、頭を左右に振る。

 わざとらしさが明らさまに嫌味だ。


「…………」


 はぁ、暫く椿を見つめた後、イドは溜飲を吐いた。

 それは降参の合図だ。


「僕はただ、僕に縛られてほしくなくて……」


 近くにあったソファに身体を沈める。


「何じゃ、それは」

「前は僕と関わったせいで僕に縛られてたじゃないか。もう、僕は死んだんだ。それなのにまた僕に縛られることになるなんてこと、可哀想じゃないか。僕は死んだんだから、僕のことは忘れて君たちそれぞれの人生を歩くべきなんだよ」


 これはイドが目を覚ました時から決めていたことだった。

 前世に関わりのある人とは関わらない。

 それは一つの決意であり、慈悲でもあった。

 人類の敵として生きていた前世で少なからずイドを憎む者はいるだろう。その者達はイドが死んで解放された。ならばもし、イドが復活したと知れば、再び憎しみを向けてくるに違いない。それもまた選択かもしれないが、知らなければ幸せが続いていくかもしれない。

 理由はあれこれあるが、一番の理由は、イドはそこらの縛りに辟易していることだった。


「もう疲れたんだよ」


 ポツリと零れる。

 目線を逸らし、誰かに聞かせるつもりではない声量で呟く。


「もう終わりにしたいんだ」


 椿に聞こえたかは知らない。

 イドは明るい声で言ってみる。


「第二の人生というやつさ!僕に縛られる必要はない」


 笑顔で軽く言ってみたつもりだったが、返ってきたのは暫しの沈黙だった。

 立てた人差し指をどうしたものか、視線と共に泳がせる。


「……うむ。考えてみたんじゃが、やはりよく分からぬの」


 最終的に出された結論はろくでもないものだった。


「何でさ!」

「少なくとも妾は主様に縛られておったなんぞ思ったことないぞ」

「思ってなくてもそうだったじゃないか」

「縛られるというよりむしろ、主様と繋がっておったのぅ」


 身体をくねくねさせ、頬を染める。至福の時を思い出しているが如く。


――意味が分からない。


 この椿という人物は昔も今もイドにとってはよく分からない存在だ。

 独自の価値観がありすぎる。


「うむ。繋がっておったし、主様に縛られに行っておったわ」

「は……はあ?」

「主様がいつまで経っても妾を縛ってくれなかったのでな、歯痒かったのじゃ」


 つん。呆気に取られるイドの鼻先を突つく。

 そして、一歩、近づく。


「妾はな」


 イドの胸元を軽くソファの背に押す。


「縛られておったのではない」


 そして、ぐっと力が入る。


「自分から、縛られに行っておったのじゃ」


 同じ意味なのに、椿からはある種の執着が見えた。

 顔は妖艶に微笑んでいる。しかし、その瞳には熱が入り、どこか狂気が混ざっている。

 まるでイドを落としにかかっているかのように。

 ドクドクと血液が全身を流れる音がうるさい。

 イドはこの時、正に椿に魅了されていた。

 途端、椿の手がパッと離れ、にっこりと笑う。


「それに、じゃ。主様が亡くなっても主様のことを妾が忘れるわけなかろう?忘れられず、こうしてにっくき仁織(にしき)の傍におるのじゃからな」


 イドの隣に来て、垂れかかる。

 さすが客を手玉に取る花魁と言うべきなのか、その色気は思わず頷いてしまいそうだ。

 かつての椿―ここでは明星は決して花魁なんてしなかった。気高く、人々とこの世界を見守る一線を画した存在だった。


「主様、もう観念したらどうじゃ?」


 それがどうしてこうなったのか、ほとほと問い質したい。


「む。むむむむむぅ」


 何にでも染まる純真無垢な様だったことは否めない。

 染まってしまったのか、俗世に。それとも本人が染まりにいったのか。椿という花魁の存在を見るに、明らかに後者。


――何故こうなった……!


「ま、主様がいくら否定しようと妾の主様愛は止められぬのじゃ!」


 いつもの調子に戻る。

 だが、イドには分かる。

 椿は本気なのだと。


「止めてよ、そこは!」

「嫌じゃ〜。伊達にずっと主様をストーカーしておらぬわ!」

「もー」


 イドは項垂れた。

 椿の言っていることは自信満々に言うことではない。だが、確かに説得力がある。


「分かった。分かったから!」


 折れるしかないのはイドだった。


「でもこれはあくまでも明星にだけだからね?!僕はイドなんだから!」


 その一線は守ってもらわないと、と奮起する。

 イドはイド。それが前世と今世の区切りだ。


「うむ!それが良かろう!」


 途端に立ち上がった椿は胸を張る。


「ふっふっふっ。妾だけということは仁織は別ということじゃ。ああっ!妾、妾だけの主様!」


 そして謎のくねくねダンス。愉悦に浸っている。

 イドはもはや、もう好きにして、という感じだ。

 今世で初めて分かった、言い出したら聞かない頑固さと自由奔放さ。

 これが花魁というものなのか、と俗世にすっかり染まってしまっている椿を諦念で見つめる。


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