25
イドはそれ以降、何も喋ろうとしなかった。
ただ淡々と来た道を戻る。後ろについてくる仁織のことなど、最早眼中にはない。
頭の中にも雑念はなく、何を感じているのか、イド自身も分からなかった。
視界に入る全てが、耳に触る全てが、肌を撫でる風が、遠い。
感覚がまるで働いていない。
どれほどそうして歩き続けていたのか。イドが気づいた時には大通りを抜け、城主邸の門さえも通り過ぎていた。
立ち止まって、パチパチ、瞬きを数回。
――どこ、ここ……
見渡してみても、見覚えのない通りに来てしまったことは判断がついた。
Uターンをしようと振り向いた時、イドは名前を呼ばれた気がした。
「……イド」
「何?」
確信が持てなかったのは呼んだ張本人が凝視するだけで何もしなかったからだ。
咄嗟に返事してしまったイドは見つめ合う形になったことも含め、やや気まづくなって少しずつ横を見る。仁織も少しくらい反応してもいいだろう、と毒つくのは仕方ないことだろう。無反応もいいとこだ。
むむむむ。
むず痒い。
耐え切れなくなってきたイドが無理やり吹っ切れて歩き出そうとした丁度その時。
「…………――――あ」
「イドーーー!!」
「うわぁっ!」
仁織の口が開くと同時にイドは背中に物凄い衝撃を受けた。
「あぁ、イド……会いたかったのじゃ、イドぉ」
この声は。顔を見なくても分かる。
何なら、頬を擦りつけられる感覚に彼女を思い浮かばない方がおかしい。
イドにこんなことをしてくるのは現時点で彼女しかいない。
「椿?」
「…………」
イドがいる角度からは椿の姿は見えなかった。
椿はイドが僅かに顔を動かしたのを感じ、イドの視界に入るよう、肩を丸め、微笑んで見せる。が、すぐに仁織を睨んで、イドを抱き締める。
「ふん。この臆病者め!よくもイドを攫ってくれたのぅ!今更、何のつもりじゃ」
「はぁ……るせぇ」
「ねぇ、椿」
「何じゃと?!」
椿も仁織も顔を歪めて、互いに不快を顔に出す。
そして、椿は指を仁織へと向けた。
「ぬしが城主でなければ今頃、殺しておるところじゃぞ」
腕に囲われ、ふい、と仁織から遠ざけられる。
「妾のイドに手出しはさせぬ!」
「椿」
「もう……黙れ、てめぇ」
仁織は頭痛がすると言わんばかりに額に手を当てた。腹の底から出される声色はドスが効いているようで覇気がない。
どういうわけか、間に挟まれた状態となったイドの声は繰り返し呼んでも気づかれない。
むうぅぅぅ。
イドの頬が膨れる。
「椿ってば!」
焦れたイドがバシバシ、椿の腕を叩いて強行突破に出る。
「す、すまぬ、イド……」
漸く気づいた椿は申し訳なさそうに眉尻を下げた。
むふー。
それにイドは満足気な表情を浮かべ、そして、椿を見上げる。
「それはいいけどさ。どうしたの?何か、あった?」
椿はイドのことを知っている唯一の人であり、イドが花街に来た時から一緒にいる。当然、イドがニィを気にかけていることも知っている。また、不本意ながら、夕霧とも仲良くしたいと考えていることも。
椿のことだ。イドがどこで何をしていようとも把握し、遠目から見守っていたのだろう。
こうしてわざわざ出てきたということは何かあったのか。
まさか、ニィのことか、と不穏に思う。
「む?何もないぞ?」
けろり、と。はて、と。
イドの質問には椿の方が首を傾げた。
「……そうなの?何か用でもあるのかと思った」
詐欺にでも遭ったかのようだ。
つい、脱力してしまう。
「ああっ!イドよ!妾は何もなくとも会いたいのじゃ!」
「ふぅん?」
つまり、会いたくて来た、と。
椿とはこういう性格だったのか、イドは自分自身の観察眼に自信を失くす。
いや、少なくとも、前世ではこんな性格ではなかったはずだ。仁織との関係に関しては、前世では二人が一緒にいるところを見たことがなかったからだが、椿だけの場合は異なる。記憶違いがなければ、椿はイドを陰ながら見守るだけに留まっていたし、用があっても椿本人が直接やって来るのではなく、回り回ってイドに伝わる形にしていた。それ故、椿とイドが顔を合わせたのは数える程度。
イマイチ、前世の椿―つまり明星―と今世の椿が重ならない。
加えて、何が両者の間にあったのか、椿と仁織は水と油。混ざらない関係にあるらしかった。
椿は以前、言っていたから分かるとして、仁織は、何故。
――そうだ。椿と一緒にいれば仁織から離れられるんじゃないか……?
不意に思いついた。
これは正に天啓。
「僕も会いたかったよ、椿!僕、椿とずっと一緒にいたい」
方向転換をして、イドも椿に乗じてみることにした。僅かばかり、棒読みになってしまったのは無視だ。
椿の顔が固まり、急激に赤く染っていくのを見るに、作戦は成功した。
「っ――はわわわわわわ!イド!そんな大胆なっ!妾はいつでも、イドであれば全てを捧げとう思うとるぞ!あぁっ!今日!これから妾と共に……夜を越さぬか……?」
「……」
「?今は昼だよ?」
「んもう!妾とイドの間に夜も昼も関係ないのじゃ」
「ん?んう。なら、行く?」
椿のテンションがおかしい。
「はぅあっ!イド、そんな、はうぅぅっ」
「椿?椿ーー!」
よく分からず頷いた途端、何かに撃ち抜かれたかのように椿に衝撃が走る。そしてそのまま、ノックアウト。
一体椿の中で何が起きたのか、イドは展開についていけなかった。
地面に倒れ込んだ椿の身体を揺さぶる。
反応はない。まるで屍のようだ。
「…………チッ――――はぁ……」
「仁織?」
黙って冷めた目で見ていた仁織が椿に覆いかぶさり、椿を担いだ。
「うがぁぁ!この痴れ者めが!妾に触るでないわ、穢れるっ!は、早く!早くやめるの――」
抵抗して暴れる椿を無造作に振り回し、投げる。
「ああぁぁぁぁぁぁーー」
「がぁっ――!」
「ぐぅ――」
その先で、椿に下敷きになる人物が一人。
呆気に取られていたイドはおろおろと飛ばされていった椿へと近寄る。
「だ……大丈夫、椿――あ、ニィ!」
椿を心配していた表情から一転して、喜色に変わる。
その様は無邪気で、思惑など存在しなかった。
しかし、そんなイドをニィは見向きもせず、ただ一点。狙いだけを研ぎ澄ませる。
「――く……っ、始祖ぉぉぉぉぉお!血ィ寄越せぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
予期しないことだったか、予想通りなことだったか。ニィは一直線に仁織へと牙を突き立てた。
「…………」
突っ込んできたニィを半身で避け、腕を掴むとその遠心力を利用して投げる。
どこまでも飛んでいきそうな勢いだったが、どこにもぶつかることはなく、仁織によって無限に引き伸ばされた空間に落ちる。
イドのすぐ側にいたはずの二人が近いようで遥か遠い。
空間魔法を応用した、無限空間。
既に認識しているイド達にとっては変わらないが、仁織は更に認識阻害も併用している。
誰にも害を及ぼすことなく、新たに注目されることもない状況がこれで完成されていた。
地面に落ちたニィはすぐさま体勢を変え、再び仁織へと襲いかかる。その両手にはいつの間にか生成された血の刃。
「仁織っ!」
「死ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇえ!!」
イドの声に被さってニィの怒鳴り声が響く。
二つの刃から十字に更なる血の刃が飛ばされる。幾重にも重なって、隙間すらなくなる。
仁織に触る一瞬。
指先が斜め上に薙ぎ払われると凝固された血液が無数に飛び散り、仁織とは反対方向に跳ね返った。結界に阻まれたかのように。
それを諸共せず、ニィは仁織の背後へと瞬時に回り込む。
途端――
ニィの首筋に仁織の払った指が手刀となって叩きつけられ、ニィの頭が地面にめり込み、そのまま数メートル滑った。
間髪入れず、ニィの頭上に無数の血色の針が出現し、仁織の指先の動きに応じて降り注ぐ。
「っ――」
突き刺さった衝撃で砂埃が舞った。
砂塵が晴れていくと、ニィの影はそこにはなかった。寸でのところでニィは地面を転がって躱したのだ。
刹那、仁織の背後に姿を現し、首を刈りにかかる。
ニィが腕を振り下ろした時、ニィの頭は左から蹴り下ろされる。仁織は決してニィを逃してはいなかった。ニィが仁織の背後を取った際には既に上半身を捻り、その反動を利用してニィに蹴りを叩きつける。
起き上がる暇も与えず、地面にニィの肩をめり込ませる。
「が、ぁっ――」
ニィが抜こうと抵抗しても足は退けられない。
肩が砕けるよりも前に、顔を歪め、風刃を仁織に降らせる。
チラ、と視線を流し、切り裂いてくる風刃を全て跳ね返した。それは一秒もかからなかった。が、ニィもそんなことは織り込み済みで、意識が足下から逸れた隙に抜け出し、距離を取る。
「くそ、があぁっっ!!」
跳び退いたニィの右手には太く頑丈な赤い鎖。それを鞭のようにしならせ、力任せに引っ張る。
仁織の視界の外で空気中の水が血液に染っていく。血色の靄が徐々に、しかし素早く集まって大鎌を形作る。
大鎌の切っ先は仁織の項に目掛けて弧を描いた。
いち早く察知した仁織も半身で避けようとするも、くい、と足が地面に引っ張られる感覚がした。
感覚を頼りに目を滑らせると、そこには裾を地面に縫いつける刃が両足に四つ。風刃を飛ばした際、刃も一緒に飛ばし、仁織の一瞬の油断を誘う。
仁織の首を刈り取る寸前――
ガチ、とニィの手元の鎖が止まる。
ニィの両手から仁織の左手まで、一本の鎖がピンッ、と張られ、そこから先の大鎌がだらりと宙に揺れた。
そして、途轍もない力でニィは身体ごと浮く。
気づいた時には仁織の足下の地面に叩きつけられていた。
朦朧とする意識を無理やり起こし、再度、仁織へと向かおうとした瞬間、ドンッ、という幻聴と共に身体全体が地面に沈み込む。
圧だ。
「……ニィ?」
柔らかなイドの声が両者の耳に触る。
しかし、仁織から放たれる物凄い重圧がニィを押し潰し続けた。
ギギギギ、と頭だけでも正面を向かせ、仁織を見る。仁織の瞳は変わらない。ニィを見下ろす双眼は冷酷を感じさせる。
仁織は懐から銀色の細い杭を取り出すとニィへと歩き始めた。
「仁織?――ねぇ、仁織!」
焦りの色が見えるイドに配慮する者はいない。
ニィの眼前にやって来た仁織はそのまま、ニィの心臓へと杭を振り下ろした。




