24
その知らせが届いたのは朝、イドが目覚めてすぐのことだった。
昨夜、結局、妓楼の窓から第一の事件を検証し、イドはそのままいつの間にか眠りこけてしまった。そして、朝には何故か、見慣れない場所で目を覚まし、イドは暫くの間、何が起きているのか理解できずに固まっていた。そこへクロがやって来て、漸く、イドが覚醒するよりも前の早朝、仁織がイドを抱いて城主邸に帰ってきたのだと教えられた。珀人達はそのまま妓楼の部屋に泊まったらしい。
何故、イドも妓楼の部屋に泊まらなかったのか。その答えを知るのは唯一仁織だけだろう。
イドは話をふんふん聞きながら、朝食を食べ、のんびりゆっくりしていた。
それがまさか、何気にクロの口から発せられた、二乃の訃報とニィの存在を知ったことで一変することになる。
そこからイドの動きは速かった。
部屋を飛び出し、クロに仁織の居場所を尋ね、真っ先に仁織のもとへと走る。
大きな音を立てながら襖を開ける。
「どういうこと?!」
聞かされた時、速攻、クロにもこれと同様のことを尋ねた。だが、その答えはひどく曖昧なものだった。
納得などできるはずもなく、こうして仁織にも詰め寄っているというわけである。
「……はぁ」
机上の書類から顔を上げた仁織は目頭を抑えた。
その様はまるで、頭痛を堪えるかのよう。
クロが言わなければ仁織からイドへ伝えるつもりはないらしかった。
仁織はこの問題を一人でどうにかしようとしているのだろうか。
イドはムッ、と顔を顰める。
それをどう受け取ったのか、ゆっくりと仁織は瞬きを一回すると、立ち上がり、前のソファへと腰を下ろした。扉から動こうとしないイドにも座るよう目視で促し、クロにお茶を入れさせる。
誰も口を開こうとしない時間が流れる。
イドは仁織を睨み続け、仁織は腕を組んで目を閉じていた。ソファにゆったりと凭れる姿からはどことなく、余裕を感じられる。
目の前に用意されたお茶と茶菓子に手をつける気になれず、イドは前のめりにお茶を啜る仁織を見つめる。
ややあって、仁織がイドの目を見返した。
思わず、ドキッとしたのは思いの外、仁織の瞳が力強かったからか。
「…………何が聞きたい」
カチャリ。
置かれた食器が音を立てる。
それに間も空けず、イドは仁織へ食っかかった。
「ニィを犯人にするつもり?!」
「現状、一番疑わしいってだけだ」
「疑わしいって何さ!ニィじゃない!絶対そう!ニィなわけない!」
「匿ってたんだろ?」
「――っ……そ、う……だけどでも」
言葉の応酬に躊躇いが出たのはイドの方だった。
仁織の言っていることは決して間違いではないし、何なら、上げられた情報を冷静に客観的に見ている。
感情を露にしているのは確実にイドである。
瞬間的なものであっても、目が泳ぐ。
「何のために?二乃を殺してニィに何か意味があるの?!」
この事件の裏には必ず何かある。まだ見えていないだけで、何かが。
それが可視化されないと、誰も動かないことは自分勝手なイドであっても理解している。イドは今、信頼のない状態なのだから、余計に。
ままならない。
離れていたいのに、平和に過ごしていたいのに、今世こそは皆を自由にしたいのに。事件もイドの心もそうさせてはくれない。
「――僕、行くよ」
ゆっくり、しかし確かに、イドは決意した。
「……どこにだ」
「決まってるでしょ、二乃のとこに行くの!ニィを疑ってるんでしょ。仁織は来ないでよ。僕がニィを守るんだから……」
何も見捨てない。
したいことはするし、大切にするならする。平穏でいたいのも、守ることも、諦めない。
来た襖へと確かな足取りで向かった。
「駄目だ」
背後からイドの行く手を阻む仁織の声が歩みを制止する。
圧はない。しかし、自然と立ち止まっていた。
この期に及んで邪魔をするというのか。
イドは胸が焼かれる思いで振り返った。
「なん――」
「イドが行くなら俺も行く」
仁織は立ち上がり、イドを見据える。
イドは口元が震えた。
「それは確定事項だ」
結果、イドは仁織を連れて二乃がいた妓楼へと足を運んでいた。
以前はニィにしがみついていたり、城主邸に行くのに短縮したりしたため、イドは街に出てから途方に暮れた。どこを進めばいいのか、皆目見当もつかなかったのだ。
それを予想していたのか、仁織が先導して、イドは仁織について行くだけとなった。
妓楼に着けば、一人の黒蝶が出迎え、楼主を通り過ぎて現場まで二人を案内する。仁織のことはどう認識しているのか、態度は粗野な印象だった。楼主はイドのことを敵だとでも思っているらしい。イドを一瞥すると、睨みつけ、如何にも歓迎していない様子だった。
「あ」
「え?」
「あ。あ、あ、ああああんた!一体全体、どういうつもり?!」
二乃の部屋に入った途端、二人と目が合う。
事件を聞きつけて珀人達もここへ来ていたのだ。
「『どういうつもり』?」
何かした覚えはなく、娜月に問い詰められる覚えもない。
本気で娜月が何を言っているのか分からず、首を傾げるイドに娜月のこめかみがピクピク動く。
娜月はイドを指して激情のまま捲し立てる。
「あんた!絶対、ニィって奴に協力してるんだろ?!あんたが昨日あたし達を案内しなかったからこうなったんだよ!」
「……」
「…………娜月の言っていることは極論だとしても、現時点でニィという吸血鬼が人間を襲わないという貴方の説は覆りました。ニィという名前が出たこと、匿っている花魁がいたこと。これらは到底見過ごせることではありません。そうですよね、城主殿?」
「…………後半は、そうだな」
話が進んでいるようで進んでいない。三人が一様に自分の主張を押し、話し合っているようで、ただただ言葉で殴り合っている。
イドは口を出さず、視線を動かして三者の言葉を聞いていた。
「後半、ですか?」
「…………」
「ニィが行ったという証拠はまだない」
「何言ってんの?!匿ってたんだから、ニィが殺ったに決まってんだろ!」
「どういう理屈だ」
「っ……じゃ、じゃあ!こいつは何だって言うんだよ?!こいつの主張の方がよっぽど、何の根拠もないじゃんか!」
イドが話の中心にいながら、俯瞰しているかのような目をしている。
その姿はまるで、周りを見定めているかのよう。
一方、仁織は昨日と異なり、二人の主張を冷静に受け流しつつ、返答していた。時折、バレない程度に横目でイドの様子を確認しながら。
「ああ」
仁織は頷く。
「イドにも証拠がねぇし、てめぇらにもねぇ。それだけだ」
腕を組み、珀人達を見下ろす。
娜月はともかく、珀人の方はそれほど身長差があるわけではないはずなのに、仁織が大きく見える。
珀人はずっと、仁織の感情が読めないでいた。会う前も会ってからも得体の知れない存在に他ならなかった。
珀人達は使役者として、イドはニィを庇うため。ならば、仁織は何のために珀人達に協力しているのか。始めは花街のためだと思っていた。だが、それではこれまでの仁織の言動がどうも合わないように感じる。
珀人と仁織が顔を見合わせていると、にわかにイドが宙を見つめて呟いた。
「……ニィは言っていた、『あいつは縛りつけようとしてくる』と――」
割って入るイドに自然と視線が集まる。
「ニィと二乃の関係性は僕達が思っているようなものではなかったのかもしれない……」
イドは思い返していた。あの時、ニィと一緒に街を歩いた時の会話を。
不思議にも、ニィは好き好んで二乃と一緒にいたわけではなさそうだった。
「はあ?何言ってんの?」
娜月がイドに迫って、額を小突く。
「それはねぇ、あ・ん・た・が!そいつに騙されてるだけだっての!信じる方がどうかしてる」
「騙され……」
「鬼は総じて欲に忠実な者。私利私欲しか考えていないのです。人を誑かすことが得意な鬼もいますし、他者を裏切っても何も思わない、心のない者達です。イドが心砕く必要などないのですよ」
珀人もまた、娜月に付け加える。
イドも二人の言葉をじっと見つめて耳を傾けていた。
さながら、イドは悪い大人に誑かされた可哀想な子どもだろう。
イドのアンバーの瞳が珀人と娜月を交互に見つめる。
「………………あぁ、なんだ、そんなこと」
軽く。それはもう、羽のように軽く、発せられた。
「そんなこと?」
「はあ?」
珀人と娜月はイドの反応に本気で怪訝な表情を浮かべる。
二人を視界の端に映しつつ、イドは部屋の中をざっと眺める。
イドが来た時と特段、変わったところはない。荒らされた形跡も、抵抗した痕跡もない。クロから聞いた話ではここで殺されたそう。確かに、顔見知りの犯行である可能性が高い。そうなると、ニィも容疑者の一人となる。
「騙されるだとか、裏切るだとか、そんな些末なこと、どうでもいいよ」
ふむ、と内心で事件のことを考えながら、イドは続けた。イドの頭の中は口で発している内容などはもう既に過ぎたこと。考えるまでもないし、そこに何か感情を割くこともない。
「僕はニィが好きだし、ニィの力になりたい。裏切られるとかはそこに関係ないことでしょ」
「……関係ない…………ですか」
珀人達には理解しがたいのだろうか。イドにとっては、理解されようがされまいがどちらでも構わず、目を向けることもない。
それでも、珀人は何やら思ったようで、思案顔でイドを見つめる。
「――ここの用は済んだ。もう帰る」
そう告げると、イドは踵を返し、部屋を後にした。




