22
最初の事件は唐突だった。被害者は花街の客。そして、その目撃者もまた、花街の客だった。彼が死んでいたのは人通りが少ない花街の東端の路地。翌朝、人々が活動を始めてすぐ見つかる場所に死体はあった。獣の爪に引き裂かれたような背中の傷。そして掻き切られた喉。それだけの重症であったにもかかわらず、その周辺にも、そして死体にも血は一滴も残されていなかった。目撃者の証言から彼は夜中、鬼に追いかけられ、絶命したことが判明した。加えてそのことから、鬼は少なくとも中級の吸血鬼であることが決定したのである。
彼は追いかけられていたと言うのにどこの地面や壁にも血はなかったことがそれの証明だ。ただの鬼ではそうはならない。
昔の言い伝えより、吸血鬼が首から人の血を吸う絵を思い描くが、事実、そんなことをするのは鬼や低級の吸血鬼のみ。中級以上からは血が散らばろうとも空気を吸うように血を吸い上げられる。自身の血液のみならず、どんな血も彼らは操ることができるのだ。当然、血を貯めておくことも。
更に、その目撃者は襲っている影が刃物などの凶器を持っていなかったこともはっきりと見ていた。つまり、犯人は素手で切り傷をつけたということである。それもまた、吸血鬼であることの裏付けとなった。血を扱うのは吸血鬼の専売特許。鬼はそうもいかない。ただ、血を使っているのは主に低級や中級。上級以上となると魔力を主に行使すると言われている。
これらの状況から、犯人は中級の吸血鬼である可能性しかないと言ってもいいほど高いのだ。
「……目撃者は他には何て?どういう人なの?本当に見たの?僕達は聞きに行かないの?」
聞き終えたイドは食いついて尋ねる。
それに対して苦々しい反応を見せたのは珀人と娜月だった。
余計にイドは不思議に思ってしまう。
「…………目撃者はもういません」
珀人は重々しく答えた。
「どういうこと?」
いない、とは。
その場にいたのだから目撃者なのであって、いなくなるなんてことあるのだろうか。実は見間違いでした、とか。証言がでっち上げの嘘だった、だとか。しかも、『もういない』と言うことは始めは『いた』ということ。『いた』から今は『いない』に変わった。
イドは珀人の言葉の意味を考え、左右に首を傾げた。
「この証言も、その目撃者から直接聞いたのではなく、噂話から信憑性のあることだけを絞って推察したものです」
はぁ。珀人がため息を吐いて、やれやれ、と降参の仕草をする。
珀人が何を伝えたいのか、よく分からない。
何を思ってそんなジェスチャーをしているのか。
「……?えーと?つまり?」
イドは端的に答えを促した。
それを聞いて、珀人はちらりと仁織を見てから、観念したかのように口を紡ぐ。
「目撃者は私達が話を聞く前に自殺していたのです」
「自殺?!なんで?!」
「目撃者が周りに話した内容では……何者かの視線をずっと感じる。自分は狙われている。いつか殺される――と。おそらく、花街の者達が監視していたのでしょうが」
珀人が言うには、毎日の正体不明な恐怖に耐えかねて自殺したのだそう。そして、その正体不明の犯人は花街。暗に城主である仁織が命じたのだろう、と珀人は示唆していた。
珀人に続き、自然と仁織に視線が集まる。
「……そうなの?」
ややあって、イドは子どもに事実を確かめるように、仁織へ問いかける。
珀人も娜月も確認したかった。したかったが、まさかできるはずもなかった。
ごくり。
珀人は知らずのうちに生唾を飲み込む。
「…………いや、してない」
暫くの沈黙の末、仁織は珀人達が予想していなかった否定を口にした。
「はっ?!いや……そんなはず……」
「してるに決まってる!花街に不利になる噂話だったんでしょ?!口封じしようとしてたんじゃないの?!」
珀人はしどろもどろに、娜月ははっきりと、仁織の回答に反論した。
二人の中では自殺の話を聞いた時から花街が絡んでいると信じていた。いや、二人だけでなく、使役者組織の中では既にそう捉えられている。
仁織もそのことは予想していたのだろう。
忌々しそうに舌打ちをした。
「んなこと、いちいち気にしてらんねぇよ。どんなけここの噂があると思ってんだ」
「ぅ……」
返す言葉もない。
花街の噂は小さいものを含めても数多く言われている。花魁は奴隷だとか、人の臓器が売られているだとか、一度入ったら抜けられないだとか。それはもう、いろいろと。というのも、それだけ花街が注目されているということだった。更には、それらに対して花街が何か制裁を与えたことはこれまで一度もないことも噂を助長させている要因の一つである。
それは政府も知るところ。故に、これまで政府が花街に介入していなかったのだ。
実際、仁織は何とも思ってないのだろう。わざわざ答えることに対しての不愉快さは感じられるが、その目は凪いでいる。
珀人と仁織のやり取りの横で、イドはふむ、と顎に手を当てていた。
「ということは……その人は誰の視線を感じてたの……?」
誰に尋ねるでもなく、呟く。
むむむ。
眉間のしわが深くなっていく。
花街の人のものではないとしたら――
「犯人……?」
答えを導き出して、イドはそれでもしっくり来なかった。
何かを見落としているのか、はたまた、導き出した答えが違っているのか。何かが引っかかる。まだ靄がかかっているのかのような、そんな感覚。
「……ふぅん?」
何とも言えない。
情報が足りないからなのか。話を聞いただけではまた核心に迫ることはできないということなのか。
何だか、それも違う気がするが、説明はできない。
珀人達に続いてとぼとぼと歩き続けているが、イドの思考は彼方先へと向かっていた。
その様子を後ろから仁織が見つめていることも気づかずに。
「――着きました。ここです」
立ち止まった珀人の背中にぶつかりそうになりながら、イドははっとして覗き込む。
「この先の……あそこで発見されました」
「ここ?」
指された場所に目を向ける。
何の変哲もない、ただの道の途中。
「はい。ここでうつ伏せになって、背中と喉が切り裂かれた状態で見つかりました」
改めて、珀人は発見当時の状況を説明した。
ここに来る道中にも話があったこともあり、娜月と仁織の反応は知ったもの。反面、イドはふと、思い返した。
――……ん?背中と喉?
何だか、聞いたことのある傷だ。先の情報よりもずっと前。
『背中のとことか……首んとこもなんか、吸血鬼に吸われたみたいな傷もあるで!』今世、初めて目を覚ましたばかりの時、燈樹がそんなようなことを言っていた憶えがある。
イド自身は自分に付けられた傷を見たことがなく、一度目の説明の時は気づかなかった。
どんな傷だったかは詳しく知らない。しかし、こんな偶然があるのだろうか。逃げていれば背中に傷を負うことは想像できる。では、首はどうか。首は背中と異なり、決して、狙いやすい所ではない。走って逃げているのであれば尚更。
「…………まさか……?」
まさか、四芭を殺した犯人が吸血鬼事件の犯人なのか。
そんな考えが脳裏をよぎる。
イドのその思考が口から出ていたらしく、珀人が振り返った。
「何か、分かりました?」
「あ、ううん、何でもない」
意図せず問われ、イドは慌てて取り繕う。
ここで四芭が殺されたことを知る者はいない。仁織はどう見ているのか知らないが、気づいたような反応は見られなかった。
チラ、と背後にいる仁織の様子を盗み見る。相変わらず、無関係のような、何も考えていない態度だ。
人知れず、イドはふぅ、と安堵の息を吐く。
あくまでも自然。そう、自然に。
「そういえば、首のとこの傷はどんなものだったの?」
「首?何でそんなこと聞くんですか?」
「あ……いや……ただ、気になって……」
ダラダラ、背中の汗が止まらない。
椿が言っていたが、イドは嘘がつけない。誤魔化すのも下手なのかもしれない。
異変を感じているであろう珀人もおかしく思いつつ、素直に応じる。
「んー……確か、切り傷でしたよ?こう……頸動脈を切るように、左横から正面にかけて……」
そうなんだ。
掠れ声だったが、イドとしては精一杯の相槌だった。ほとんど思考に意識を取られ、頭の片隅で残っていた理性が応えたようなものである。
――切り傷だったら……違う、のかな?
イドに付けられていたのは、吸血鬼に噛まれたような痕だと言っていた。更に切り傷もあったかもしれないが。
あの時の傷を自分でもちゃんと見ておけばよかった。
今更、そう後悔しても遅い。
これに関しては仕方なかった。あの時は吸血鬼事件のことなど一ミリも知らなかったのだから。目覚めたばかりで他に考えることが多かったから。
言い訳はいくらでも並び立てられる。
過去のことにいくら後悔しても、時を戻すことはできないのだ。やれることを今、やるしかないだろう。
頭を切り替え、イドは周りに目を向けた。
大通りからかなり外れた所だからか、人は疎らではあるものの、こうして立ち止まっていてもすれ違う人は途切れることがない。
「……結構、人通り、ありそうだけど……」
「今は、ですね。ここらは妓楼がないので、夜になると極端に人が少なくなります」
「へぇ……」
今が昼過ぎだから分からなかった。後もう二、三時間で夕飯時になるからか、買い出しに行く人や帰ってくる人が通っていく。
珀人の言う通り、妓楼どころか商店も見当たらない。
「目撃者はおそらく、あそこから見たのでしょう。丁度、建物の隙間からここを見るのに一番近い窓です」
珀人が指したのは一、二通り越えた先の妓楼にある最上階の窓。今は閉められていて中の様子を見ることはできない。
続けて言うには、花街でも目撃者の話は届いており、らしいよ程度に囁かれているとのこと。珀人が客として聞き取りをした際に何度も聞いたらしい。目撃者が泊まったとされる店は四店舗ほどあり、数日かけて珀人が各店を調べ、今の場所に絞り込めたのだ。
「――……ほんとにあそこから見えるの?」
指された窓を眺めながら、ふとした疑問を投げかける。
下から見あげているせいか、窓がとても遠く見える。それも、数軒挟んだ所にあるため、他の窓に紛れていた。
夜に。遠い所から。素手であることも。果たして、見えるのだろうか。
「何?疑ってんの?」
娜月が目を鋭くして唸る。
珀人達が吸血鬼事件を調査し始めたのはここに来る前からだ。使役者本部で資料にも細かく目を通し、あらゆる可能性を試行錯誤し、花街での潜入方法も考えて。
娜月にはイドの言葉は珀人達の努力を否定したようなものに聞こえた。
ほんの少し、漸く吸血鬼事件に触れただけのイドに口出しをされることさえも娜月には不愉快である。
「疑ってはないけどさ。実際、見てみないと分からないでしょ?」
人差し指を立てて、もう、と娜月に聞かせる。
それももはや、娜月を煽っているようにしか聞こえない。イドにはそんなつもりなど一切なくとも。
「……見てみますか?」
「ううん。ちゃんと、見た時間に見ないと分かんないから。いつぐらいに襲われたの?」
珀人は何とも思ってないのか、微笑んでイドに応じる。
「店が始まってからですから、夕方から夜中にかけて、でしょうか?」
「じゃ、また夕方に来よう!」
「はあ?!」
「人通りも。いつから少なくなるのか見たいし」
「そんなこと……!」
「ちゃんと、再現しておかないとね!」
顔を歪ませる娜月を置いて、イドの提案でどんどんと進められていく。
珀人は調査書を読んだだけで、実際に調査し始めたのは数日前からということもあり、不明な箇所のみ調べ、事実確認はしていなかった、とイドを受け入れる。
仁織は何を考えているのか、完全に成り行きに任せ、傍観者を気取り、協力的とはとても言えない。
「では、時間も惜しいので、次の事件現場に行きましょうか」
パンッ、と珀人は両手を叩いた。




