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珀人達が案内された大広間から門までの距離も途轍もなく遠く、城主邸全体の広さは考えるまでもないほど。多くの人が所属している使役者の本部でさえ、城主邸と比べ物にならない。それほどの富と絶対的な権力を城主は有していることは確かだ。細部にまでこだわられた装飾の数々。天井にまで施された壁画。広大な庭園や湖と勘違いしてしまいそうな池に浮かぶ廊下。全体的に昔ながらの日本式でありつつ、どこか洋風にも感じられる。時代錯誤などではない。独自の世界観がここには詰まっていた。
イドはその風景を楽しみながら、自分好みすぎるそれらに目を奪われる。娜月もまた、芸術や建築技術など一切通じていないのに一級品の美しさというものを感じていた。
しかし、珀人は正直それどころではない。
まさか本当に花街の主である仁織がついてくるとは思いもしていなかった一人である珀人は城主邸を歩いている時も、そして出てからも背後にいる仁織に汗が止まらなかった。むしろ、何故、同じ感情を共有しているはずのイドと娜月が純粋に城主邸に関心を寄せることができるのか不思議である。
門前を行き交う人々に紛れ、珀人は振り返って頭を下げる。
「……改めまして、よろしくお願い致します、城主様」
門が開いたところで花街に住まう人々は特に反応は示さない。門が開くことなど、日常なのだ。楼主達が使うのはもちろん、花街を見回っている黒蝶や衛兵、使用人もここから出入りする。申請をすれば城主邸に関係のない観光客にすら門は開く。本殿と花街の人々の間では呼ばれている場所の手前までは誰だって行くことができるというわけだ。
逆に、この門から仁織やクロが外に出たことは一度たりともない。それ故に、仁織は敢えてここから出たのだ。
今回のことで仁織は決して城主としての顔を表に出すつもりはない。
「仁織だ」
目の前の珀人に一切目もくれず、呟いた。
「……はい?」
「ここからは仁織と呼べ」
珀人はきょとんとして顔を上げて、視線を仁織へと向ける。
これが偽名かどうかは珀人達には判別がつかない。花街の城主はあくまで城主であって、名前は知られていないのだ。
城主の名前を知っているのは顔同様、限られている。
例え仁織と呼んだところで楼主含め周囲は城主だとは思わない。
「え?なぜ……あっ、は、はい……」
取り付く島もない。珀人は何故か問おうとして、すぐに止めた。
仁織はそれ以上、何か言う意思はない様子だった。
とは言え、珀人も仁織がそう言った理由は容易に予想がつく。城主が来たとなれば人々への調査は滞りなく進むだろうが、犯人に関連のある、それこそ重要人物となる存在にはあまり良い影響はない。遠ざかる可能性を十二分に秘めている。仁織の素性を隠すとなれば、調査の範囲は狭まるが、注目度は比較にならないくらい減る。
どちらを取ってもメリットとデメリットがあるため、珀人もまた、仁織の言う通りにすることにした。
ただ、それでも物申したい人はいる。
「むぅ。なんでついてくるの」
イドだ。
珀人と仁織がやり取りをしている最中も、そして道中も、イドの不満は止まらない。
ブツブツブツブツ、独り言ちっていた。
それはもう、執拗いくらいに。それくらい、イドは現状が不服だった。
「何か、問題でもあるのか?」
仁織はイドに身体を向け、首を傾げる。
その様は言葉では質問形式であるにもかかわらず、威圧を含んでいた。まさか、あるなんて言わないよな。そんな声が聞こえてくる。何なら、目は雄弁にそう語っていた。
珀人は人知れず、ごくり、と生唾を飲む。
常人であれば即座に萎縮して、仁織の言う通りに返答するほどのことだ。イドはそれを正面に受けて平気なのか心配しつつも、イドが何て返答するのか気になる好奇心も捨てがたい。
珀人の視線が仁織へ、イドへ、行ったり来たり繰り返す。
しかし、珀人の内心なんてなんのその。イドにはなんてことない。イドはそのままの調子で口を尖らせて開口する。
「問題しかないし。一緒に行くのは珀人と娜月だけだったのに……そもそも城主って言うなら城主らしく偉そうにしてればいいじゃん、いや偉そうだけども。ついてくる必要なんかないし、調査とか、下々の者にやらせればいいじゃん、なんでわざわざ」
早口で言うほど、イドの頭の中は文句でいっぱいだった。それを一度口に出してしまえば、止まらない止まらない。
聞いている珀人の方が冷や汗が止まらないほどだ。
城主の不興をかってしまえば、どうなるかは分からない。今の時代、不敬罪が適応されるのか怪しいが、治外法権の花街だ。何かの罪で処罰されてもおかしくはない。
穏便に調査できれば御の字だ。もはや、それでいい。その低いハードルを高い壁にしないでくれ。珀人の願いはイドに向けられる。
「…………イドには、言われたくないな」
その中、ぽそり、と呟かれた仁織の声は誰にも届かなかった。
何か言ったのは分かったが、何を言ったのかは不明である。ただ、イドは直感で自分に関することだと横目で睨みつけた。
「何さ」
「いや……」
意外にも、目を背けたのは仁織の方だった。
イドのことを禿、だと紹介されたが、珀人の目からはどうもそれだけの関係性には見られなかった。
珀人は眉を顰め、二人を更に観察し始める。
仁織には注視していてもどちらにせよバレるだろうから、堂々と。
「ねえ、さっさと行こ。悠長にしている暇なんかないんだから」
「そ、そうですね。行きましょうか」
空気を読めないのか、読む気がそもそもないのか、珀人が冷や汗をかいている一方、娜月は欠伸をしながら先を急かす。
確かに時間はない。いつ犠牲者が出てもおかしくないのだ。
ふぅ、と一息ついて、珀人も思考を切り替える。
「取り敢えず、鬼が出現したとされる箇所に行きましょう。向かいがてら、情報共有するというのはどうでしょうか?」
珀人の言葉にイドは素直に耳を傾けた。
仁織のことは不承不承ではあるものの、これ以上言っても平行線になるだけだと割り切ることにした。どういうわけか、何を言われても仁織はついてくる気満々のよう。
――僕を監視するためなのか……もう、知らないや。
今、重要なのはイドにとっても仁織のことよりも離れ離れになってしまったニィのことだった。仁織は今後も挽回の余地はあるが、ニィについては何が起こるか分かったものではない。
「異論なーし!」
イドは手を挙げて珀人に頷く。
ただ、その珀人はチラチラ、仁織の様子を戦々恐々と見ていた。
「……」
一方、仁織の方と言えば、そんな視線など完全に無視だ。目を瞑って成り行きに任せているようで、口を出すつもりはなさそうである。
あくまでも仁織は同行者、ということか。
珀人は内心でそう呟く。珀人は仁織が何を考えているのか全く見当もつかなかった。
吸血鬼事件を余程気にしているのか。しかし、あの珀人達に見せた傲慢な態度の仁織が自ら名乗り出るとは信じがたい。
イドも珀人から見たら何を考えているのか、調査にノリノリの様子だ。
「ニィの魅力、語っちゃうよ!」
いや、何も考えていなさそうではある。
イドに関しては考え過ぎか、と珀人はゆっくり息を整えた。
「ちょっと。今更、鬼の出現場所に行ったって無駄じゃない?さっさとそのニィとか言う鬼の所に連れてってよ」
「娜月。それはさっき、イドが嫌だと言ったでしょう?」
「でも……」
不満げに娜月はイドを控えめに睨む。
イドは仁織が同行することについて不服であるが、娜月はイドが吸血鬼の所に案内しないことに納得していなかった。加えて、吸血鬼の共犯者ではないかと疑っているのだ。
使役者である珀人にも目で異論を訴える。信用するなんて本気か、と。
珀人は娜月の苦情をびしびし感じていながら、苦笑して肩を竦めるだけだった。
その対応に娜月の不信感は蓄積されていく。イライラさえしてくる。
「?どうして無駄なの?」
イドは首を傾げて純粋に質問した。
これには珀人もつい呆気に取られる。イドの声に思惑などを一切感じられなかったことも要因である。本心からの問いかけだと分かるほどに。
「はあ?」
思ったよりもドスの効いた声が出た。
「珀人達はもうそこに行ったの?」
だが、イドの投げかけは続く。
「……いいえ」
今度答えたのは、娜月のイラつきが限界に達したことを察した珀人だった。
相性の悪い二人だったかもしれない。
珀人が後悔した時には既に遅し。イドは共に調査をすることになっているし、珀人は吸血鬼の場所を教えないことに了承している。
「じゃあ全然無駄じゃないじゃん!行ったことないんでしょ?新しい場所だよ!」
イドは無邪気にも娜月の地雷を踏んでいく。
あ、もう無理かも、と珀人が思った正にその時、娜月は声を荒らげて感情を露にした。
「だーかーらー!そんなとこ、もう皆が調べ尽くしてるに決まってる!どこが新しい場所なんだよ!あんたしか知らない場所を調べた方が有意義だって言ってんの!」
「皆って誰?娜月は?調べ尽くしたの?それでもう満足なの?」
それでも、イドの疑問はなくなることを知らない。
これも意図してやっているわけではない。純粋な質問攻めだ。これには娜月も苛立ちを通り越して戸惑う。
「だ、だから……」
目が泳ぐ。何も疚しいことはないはずなのに、答えられなかった。
両手を動かして、オロオロ。
動揺しているのが丸分かりである。
「はいはい。娜月の言い分も分かりますが、今回はまた一から調べ直すということで、ね?丁度、仁織もいることですし、改めて見ることは無駄ではないと思いますよ」
「――……」
パンッ、と手を打ち、終止符を打ったのは珀人だった。
娜月は納得はいっていないが、さすがに分が悪いと感じたのか、不平不満はそれきり口を噤んだ。
気を取り直し、珀人の提案通り、イド達は事件があった最初の場所に向かう。そしてその道すがら、珀人から使役者が現在掴んでいる事件の詳細が共有された。




