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カミサマゲノム  作者: 祷幸崇
1章

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22/31

18


 刹那、空気が凍った。

 しかし、イドはそれをまるで諸共せず、気づいていないかのようにムフー、と息を吐く。

 その様子はどこか誇らしげだ。


「ニィとやらは知らんが、花街がたかが一匹の野良ごときにいいようにできると思わんことだ」

「はっ。話になりませんな」

「そもそも、逃亡事件の犯人ならさっさと拷問でも何でも処刑したらいいだろう?!」

「黒蝶も随分と優しくなったものだな。なぁ、筆頭?」

「お静かに」


 僅かに賑やかになったところを黒蝶筆頭が制す。

 制止が遅れたのは少なからず、イドの発言が原因だろう。

 黒蝶筆頭が許しているのは一言二言程度の雑音。それ以上は不快であることに他ならない。

 鋭い眼光の前に楼主達はおずおずと態度を改める。


「中級の野良を殺すことは決まっております。ただ、今は姿を隠している状況です」


 淡々と決定事項を告げる。


「未だ、野良の姿を確認していないのかい?」

「はい」


 楼主達の眉が顰められる。

 黒蝶ですら、野良の吸血鬼の姿形を把握していないなど異例中の異例だった。

 まさか、本当に黒蝶内に裏切り者がいるのでは。

 そう多くの者が思ったが、黒蝶筆頭が創り上げたずぅんとした厳かな雰囲気に口にすることはできなかった。

 だが、まだ花街に来て年が浅く、楼主なりたての楼主は声を荒らげる。


「ここまで時間が経っていて、まだ分からんのか!職務怠慢ではないのか?!」

「……花街に協力している者がいるのかと予想されます」

「また協力者ね……はっ!」


 あろうことか、黒蝶筆頭の言葉を彼は笑い飛ばした。

 その波紋に流されたのか、周囲の楼主達もひそひそと言葉を交わし始める。

 イドは静かに彼らの様子を見つめていた。その姿が先の様子とは異なっていることはこの場にいる誰も知ることはできなかった。


「黒蝶の調査不足を隠しているのではないかね?」

「政府が動いている今、あまり下手に動くことはできないでしょうね」

「それも本当かどうか……」

「皆さん、黒蝶筆頭の言葉を信じられないということは城主のことを信じられないと言っているのも同義だと承知の上での発言かしら?」


 楼主の中でも長年花街に身を置き、楼主になってから随分と経っている女の楼主が彼らに忠告する。

 黙って成り行きを眺めていた長年の楼主達からすれば、至極当たり前のことだ。

 情報を知らない者ほど、騒ぎ立てる。

 自ら情報を得ようとしない愚か者。

 長年の楼主達の彼らへの印象はそんなものだった。

 その上、明らかに目上の者には媚びへつらうように狼狽える。


「…………」

「そ、そんなことは!」

「とんでもございません!」

「っ!」


 焦って言い繕う楼主がいる一方、それでもなお、苦言を呈する楼主がいた。


「城主様のことは信頼しておりますが……黒蝶筆頭とはまた別のことでしょう?」

「否。黒蝶は城主直属」

「……同意、する……」


 表面上、そんな者達への対処は平和的に。一応、会議という体裁は整えて。

 ボーッとイドと宙をゆっくり交互に眺める朧楼楼主はいつものことだと置いておいて。

 宵狐楼楼主がくふ、と笑う。


「城主様。城主様はいかがお考えでありんすか?」


 軽やかに何てことはなく尋ねた。


「…………」


 その場にいる全員―黒蝶筆頭やイドは除く―が固唾を飲んで帳の先を凝視する。

 仁織の言葉で白が黒に、黒が黒に、そして黒が白になる。

 黒蝶筆頭はさすがに城主付きであるだけあり、どんな処遇も受け入れる心構えができているらしい。是非を問われているにもかかわらず、心から平然としていた。

 それはもはや信頼ではない。

 盲目的な崇拝だ。

 だからこそ、過去も現在も花街唯一の城主付きであるのかもしれない。


「――俺が何か言う必要があるのか」


 それは明確な拒否。

 宵狐楼楼主の問いかけを一蹴した、とも言えるだろう。

 つまり、仁織は黒蝶筆頭を疑っていないことなど当然で、それを他の楼主達も承知しているはず、ということ。

 言外に警告しているとも取れる。


「っ」

「そのお言葉が聞けて嬉しいでありんす」


 そう言って一礼した。

 続けて、顔を上げると楼主達を見渡してニコリと告げる。


「これで分かったでありんすね?黒蝶の言葉は城主様のお言葉でありんす」

「……」


 騒いでいた楼主達は一様に黙する。

 三妓楼楼主の威厳に変わりなし。宵狐楼楼主の言葉はそれを表してもいた。

 竜胆楼にイドを逃したという汚名がありつつも、竜胆楼楼主の権力に傷は付いていない。

 宵狐楼楼主はちらりと竜胆楼楼主を一瞥した。

 どういうつもりなのか、竜胆楼楼主は今会議において問いかけに対し一言発しただけでそれ以降は弁解も意見も控えている。

 宵狐楼楼主は竜胆楼楼主もイド同様、野良の吸血鬼を知っていると確信していた。

 それなのに、その当事者が発言しようとしない。

 あまつさえ、腕を組み、目を瞑って、会議の行く末を受け入れているように見えた。

 今も宵狐楼楼主からの視線を感じ取っているはずなのに、飄々としている。

 朧楼楼主は僅かな異変があったものの、総じてはいつも通り。

 竜胆楼楼主だけなのだ。

 いつも通りのようで違っているのは。

 平生であれば、楼主達を見守り窘めつつ、釘を刺したり、それこそ宵狐楼楼主ののらりくらりとした態度を諌めたりしている。基本的に黙っていることが多いが、決して楼主達を野放しにはしない。

 だからであろう。三妓楼の一人、竜胆楼楼主が口を出してこないのをいいことに騒ぐのは。


「しかし!その者が怪しいのは確か。ここは何か明確な指針を出していただきたい」


 一人の楼主がイドを指して仁織に進言する。

 それに慌てたのは周りの新参の楼主達だった。


「城主様に命令するか、貴様!」

「不敬だぞ!」


 机を叩き、顔を顰める。

 小さな妓楼は花街にて他の楼主達から目溢しを貰って成り立っているようなもの。ここで城主どころか、他の楼主達の不興を買って圧力がかかろうものならすぐに破綻してしまう。

 今回、古くからの楼主達でさえ対応が異なる。

 何をして良くて、何をしてはいけないのかが不透明すぎて、会議の流れを見るにもはや口を挟むことすら躊躇われるのだ。

 そう思われたが、意外にも周囲の楼主達の反応はそれほど悪くはなかった。


「野良が花街に与えた損失は大きい。野良を殺すためにもその者を使うのがよろしいかと」

「うふふ。わたくしも同意見よ」

「ニィとやらがその野良なのかは分からんが、少なくとも今最も可能性が高い野良を知っているそやつを利用すべき!」

「その者は確実に野良を殺すためには必要でしょうな」


 概ね、良好な反応が多数な反面、イドはすぅ、と目を細めた。


「……ニィを、殺す……?」


 楼主達が指している『その者』はイドであり、『野良』はニィのことであることは簡単に察しがつく。

 少し前、仁織に質問がされるよりも前からイドはほかごとで騒ぐ会議を置いて、黒蝶筆頭の言葉を反芻していた。


「当然だ!百害あって一利なし。さっさと片付けるべきだ」

「花街の平穏のためには必要なこと」


 うんうん。

 楼主達は頷き合っている。

 花街に多大な損害を齎し、政府に使役者を遣わせるという隙を見せた今回の吸血鬼事件。楼主達にそんな野良の吸血鬼に温情はなかった。

 今更、否と言う方がおかしい。


「それは――」

「ダメだよ」


 刹那、暫しの沈黙。

 大会議室にイドの声が響き渡る。

 誰もが呆気に取られるほど、イドの声ははっきりしていた。

 数秒後、ハッとした楼主達が動き出す。


「なっ……何を言うか、小僧!」

「やはり野良の協力者だったか!」

「わたくしには理解不能ね」

「我らの決定に異を唱えるとは、余程死にたいと見える」

「そもそも、貴様が意見する立場ではない!」


 一気に責め立てられるイドだったが、その表情は一切変化しない。

 真っ直ぐ、イドの琥珀色の瞳が鋭く光る。


「僕が決めた」


 イドは断言した。

 そして、何人たりとも拒絶することはできないとばかりに言い放つ。


「守ると、僕が決めた。僕は全てを愛している。だから、僕の最期のその瞬間まで危害を加えることは許さない」


 誰かが息を飲む。

 楼主達にとって、イド――いや、四芭という眼前の青年は無力で、逃亡するしかなかったという印象だった。

 敢えて言うならば、見下していた。

 それなのに、何故か、イドのその言葉に城主同等かそれ以上に緊張が走った。

 逆らうことなどできはしない。

 そんな気迫があった。


「――……」


 この時は楼主に新参も古参もなかった。

 目の前の青年が想像もつかないようなバケモノのように感じた。


「何を――」


 一人の男が口を開く。

 しかしそれはすぐに閉じることになった。


「静粛に」


 黒蝶筆頭の単調な声が止めたのだ。

 古参ですら予想していなかったタイミング。そして、心のどこかで待っていたもの。

 黒蝶筆頭は脳に届けられた言葉に従い、頷く。


「城主のお言葉である。此度の野良の吸血鬼は城主の名をもって刑に処す」


 それは驚愕の命令。

 思わず、立ち上がる楼主も少なくない。


「っ!城主様自ら?!」

「わざわざ御身が前に出ずとも――」

「異論があるのか?」


 仁織がまさか、有り得ない、と投げかければ、ざわざわしつつも収まる。


「っ、とんでもございません」


 それでも信じられないことだった。

 仁織の顔はこうして会議をしている楼主であってもなかなか拝めるものではない。仁織の顔も知らない楼主などざらにいる。むしろ、知っている方が稀だ。

 それくらい、仁織は花街に余程のことがない限り、動かなかった。まして、個人的なことで腰を上げるなど聞いたことがない。

 今回はそれほどのことなのか。

 楼主達は互いに顔を見合せ、動揺を露わにする。

 しかし、それだけでは終わらなかった。


「続けます。また、逃亡事件の犯人、四芭の処遇に関しては城主預かりとする」


 また――


「四芭――否。イドは今後、城主付きの命を任ず」

「――――?!」


 これは一体どういうことか。

 黒蝶筆頭を見ても、城主付きという立場は花街の中で特別なものを意味する。

 何をもってしてイドが城主付きとなったのか。

 楼主達にはとんでもないことであったが、この事態はイドも予想だにしていなかったことだった。


――何で?!


 非常に困る。

 困るし、不都合だ。

 前世での因縁はもう断ち切ったはずで、イドとしても関わるつもりはない。

 椿は例外にはなってしまったが、それはそれ、これはこれだ。

 前世でのことを隠し通せばいいのか、とも思ったが、関わり合いにならないならそれが一番である。


「っ、ちょっ――」

「以上。解散」


 誰の心も追いつかないまま、無情にも会議は閉ざされた。

 イドの内心の嘆きは知る由もない。


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